「塚本邦雄を書く」 二十首

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塚本邦雄の前衛短歌に「強く惹かれた」書家・中川萌翠氏が高辻大宮の古い京町屋(築104年とお聞きした)で、「塚本邦雄を書く」と題した展覧会を開いている(4日(日)迄)。言霊の国に住みながら、小生は短歌にも書道にも門外漢、でも、友人からお誘いを受け夕方お邪魔した。荷車を入れたと云う広い通り庭から始まる美しい室礼の中に、凛とした「書」が掛けられている。素人にはすぐに読めない「書」でありながら、エネルギーの迸りを感じるのはどうしてだろうか、運筆が肉体とつながり、一体となっているところに、塚本邦雄の現代性が加味されるのだから、感じない方がおかしいと言ってよいかもしれない。玄関の左側なので気づきにくいが、二階も含めて展示を拝見した後、正面に藤原定家の『明月記』に基づくとされる「紅旗征伐我が事に非ず」を踏まえた一首が置かれているのは、中川萌翠氏の強い意思の反映かと思った。



小杉憲之氏

中川萌翠書 塚本邦雄「感幻楽」より

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 当夜は、写真家である以上に塚本邦雄に私淑する歌人・小杉憲之氏が、「塚本邦雄とその文学」について、お話されると云うので楽しみにした催。塚本が滋賀県五箇庄出身と知って老蘇の井上多喜三郎や高祖保を思いつつ、反写実主義に徹する前衛短歌の成り立ち、背景について小杉氏の解説から得る部分が多かった。句またがりなどの「すらすら読めない」事による解釈の多様性やシュルレアリスムとの関連は、わたしにも親しい事柄であり、塚本の短歌は生涯に10,000首を超え、この数の10倍以上に及ぶ、ふるい落とした短歌があると云う。こうした前提をふまえて、今回、中川萌翠氏が「書」で表現された二十首の評釈を伺う。しだいに「書」が読めるようになって、「はね、とめ、はらい」が時間から空間に変化する。店の間には塚本が好きだと云う「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」(感幻楽)が掛けられ、対面しながら小杉氏が語る。そして、一階の座敷の床の間には、塚本が好きだと云う別の一首「柿の花それ以後の空うるみつつ人よ遊星は炎えてゐるか 」(森曜集)。家中に短歌の「幻」が渦巻いているように思われた。「塚本の短歌に惹かれると、自分自身も表現したくなる、それも、短歌以外で」と小杉氏。多くの若い方が聴講され盛況の内に時間が経った。中川氏はわたしと同学年、時代の雰囲気を共有しながら新しいエネルギーを頂いた(感謝)。