ベアトリスの手紙


京近美 平成29年度第3回コレクション展示 手前「関西美術院の画家たち」から足立源一郎『チューリップ』(1919年) 大西洋(?)を越えるとマン・レイの『自画像』と『アングルのヴァイオリン』が認められる。

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 マルセル・デュシャンアンデパンダン展に『泉』を持ち込み展示拒否をされた「リチャード・マット事件」から100年経った今年、世界各地でこれを祝祭(?)する展覧会が催されている事については、幾度か報告した。地元・京近美での1年間に渡る祝祭企画は、現在・第3期を開催中(8/9-10/22)で、展示のキュレーションは同館の元・学芸課長であった河本信治氏が担当されている。同氏とは古くからの付き合いで、デュシャンのマルチプル13点のお披露目展示の時には、小生のマン・レイ・コレクションを壁面展示用にお貸しした。懐かしい事柄である。そんな訳で、東京・駒込のギャラリー「ときの忘れもの」のブログで連載している「マルセル、きみは寂しそうだ。」の第3回は、沢山書きすぎてしまった(マン・レイがらみも有りましたので)。お許し下さい。恐らく携帯で読んで下さる人が多いと思うので、画像で主に楽しんでいただけたら嬉しい
 アール・ヴィヴァン第31号に矢内みどり訳で掲載されたベアトリス・ウッドの回想的エッセイ『マルセル』を最初に手にした時、わたしはすでに44歳になっていたけど人生の機微については、何も理解をしていなかったと思う。それから20年以上が経過して、深まったと言いたいところだけど、まあ---心もとない。「ときの忘れもの」のブログでは以下の引用をしたかったのだけど、上手くいかなかった。でも、恐れずここには書いておこう。
 経験豊富なアンリ=ピエール・ロシェの情事の相手にされてしまったベアトリスは、「毎晩マルセルのことを夢み、ロシェの胸に抱かれているときも私の裏切りをそっとささやいた。ロシェはただ笑うだけだった。彼もマルセルを愛していたから」。あるいは「マルセルと私はふたたび恋人に戻っていった。肉体関係は自然なことだった。マルセルはしかし同じことばをつぶやいた。ことあるごとに何度も繰り返していたフレーズ---「意味のないことだよ」と。 <略> あたかも彼は肉体の試練をへてきて、肉体をそこに残してきたひとのようだった。」


再現された事件現場

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 マルセル・デュシャンが投げ掛けたわたしたちへの「謎」を、彼の生い立ちや家族構成、性格から読もうとする態度は、礼を失し、フェアでないのかも知れない。デュシャンの死に関する荒川修作の発言(日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ 2009/4/4)も含め、鬼籍に入られた方々の「ピース」を当てはめたデュシャン像と云うのは、鏡のわずかな反射にすぎないと、やはり思っている。まあ、これも「意味のないことだよ」。

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京近美2016年度購入のマン・レイ作品『糊の時代』と『自画像』については、いずれ改めて紹介したいが、まず、第一報!!

左からフランシス・ピカビアの『機械的構図』連作、『アストロラーブ』、マン・レイの『糊の時代』『アングルのヴァイオリン』『自画像』

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京近美で初公開されたマン・レイの『糊の時代』の横に立って、同作品が京都に住むことになったお祝いを(個人的に)させていただいた。

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『糊の時代』(ed.3/3)と『自画像』(ed.21/40)が出品(2013.8.23-12.15)されたコペンハーゲンの芸術研究所での「マン・レイ 光と影」展会場