「村上春樹へのオマージュ」です。


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市川信也写真展『2014』の特別企画、市川氏とセイリー育緒氏との対談がギャラリーメインで催された(18:00〜19:00)。フィルムにこだわる写真家同士のやり合いは、手の内、心情を分かち持つ者ゆえの、親密さに溢れ、「タイトルが惜しい、勿体無い。」とセイリー育緒氏からのツッコミで始まった。参加者のほとんどが村上春樹の『1Q84』を読んでいないので、村上へのオマージュとする市川氏のスタンスが、かえって小説中に、こうした公園が存在していたかのような印象を与えてしまうのではないかとの危惧を感じての指摘のようだった。小説のクライマックスに置かれた情景から受けたインスピレーションが、写真家の中で育ち、独自の表現に向かい、図像として現れる時、見るものの側も、写真家のメッセージを真摯にとらえ、「時間感覚と皮膚感覚」がもたらした「マルチグレードの黒」を受容する喜びに浸りたい。
 子供時代のSL写真から始まった市川氏の歩みと共に育ったフィルムへの愛、身についた言葉と同じように、フィルムでなければ語ることのできない、氏の心情がゆっくりと、こちら側にも伝わってくる充実した対談だった。撮影から三年ほど経過して発表された今回のシリーズは、大判カメラによる長時間露光と、特別の懐中電灯使い、「時間をかける事によって、物が作られていくプロセスが好き」と氏は語る。数秒とか数分ではなく、数年単位の、人生のように長いもの。カメラとレンズとフィルムの組み合わせで、光をとらえるスタイルは、「愛」であり「生理」でもあって、「呼吸」と言えるようなものだろう(「呼吸」としたのは、わたしの解釈だけど)。「行政によって造られた、制度化された空間、昭和の公園」が非日常の側に至る夜を内包しているように、わたしは感じた。市川さんは大学時代にカメラクラブの他に同人誌もやっていて、小説を書いていたと云う。しかし、村上春樹の『風の歌を聴け』を読んで衝撃を受け、写真の方に完全にシフトされたと打ち明けられた----。




 対談の後、楽しいパーティーが催され、歓談。村上作品を読んでいないのは世代的な事柄ではないかと、わたしの同世代---大江健三郎とか埴谷雄高三島由紀夫安部公房だよね、若い時の五年は大きいな。

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市川信也、森岡誠、中島諒

市川信也、セイリー育緒