その時代を想い出す。


ギャラリーマロニエ3階での『6月』展示

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故杉山茂太氏
写真集『6月』の全46図紹介を4回に分けて行う予定でやっている(明日まで)が、この3回目がクライマックスかと思う。中部学生写真連盟高校の部から東京総合写真専門学校ヘ進んだ人は多く、わたしの同級生だったS氏なども、「進むつもりだった」と聞いた。重森弘淹の著作に影響されての写真表現への希望があったと思うが、学生運動の中での自己表現は可能であったのか、「総括」に振り回されたあげく、社会への繋がりをみずから閉ざしてしまったような不幸にみまわれた、と思う気もする。
 展示(4)には、故杉山氏の次の委員長であるS氏や関学闘争の記録『NON』を刊行した当時の関西学院大学写真部のメンバーを確認できる。それに気づいたのは、写っている一人が、わたしが京都に移って働き始めた会社の先輩であったためで、改めて写真を観た時には驚いた。
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S氏やH氏が---

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以下『6月』から ─ 3


 展示(3)
23-24

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 展示(4)

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 展示(6)
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