五反田から茅場町


『6月』

    • -

杉山氏の撮影メモには、ASPのC闘争(社学同)、国際反戦デー(中核・革マル)とある。67年2月の重森弘淹の著書『写真芸術論』から続く杉山茂太氏の、高校3年生から東京写真専門学校に進む1968年前後の状況を、確認すると写真集の刊行が67年5月奈良原一高『ヨーロッパ・静止した時間』、9月東松照明『日本』、68年7月森山大道『にっぽん劇場写真帖』。展覧会で「写真100年─日本人による写真表現の歴史」展。そして、カメラ雑誌の特集紙面。激しさを増す5-6月の全学連による抗議行動、東大安田講堂への機動隊突入、7月の再占拠。杉山氏の『6月』には、こうしたなかでの匿名性をもっての抗議の声ではない、素直な個人が語られている。
 2013年5月から7月に東京都写真美術家で開催された『日本写真の1968』展カタログで、大学の写真部員であった金子隆一は、「この時期、筆者は「写真を撮る立場」ではなく、「写真を撮らずに写真と関わる立場」を模索していた」と「偏見に満ちた「クロニカル」」の終わりに心情を吐露されている。写真を撮り、写真を考える事、それぞれが持つ、微妙な対象との距離感が作品化される。『6月』の中の若い距離感が、それゆえに続かなかった不幸を思う。早熟な高校生でとしてではなく、写真と出会っていたら、と思えてならない。

    • -

以下『6月』から ─ 4 (最終回)


35-36

    • -

 展示(2)

37-38

    • -

 展示(5)

39-40

    • -



41-42

    • -



43-44

    • -



45-46

    • -

『6月』の最終カード面(46図)には、暗闇の中、街灯が路面を照らし、希望の輝きのように見える写真が使われている。杉山氏もセレクトしながら、希望を置きたいと思ったに違いない。同年の8月(夏休み)に名古屋、四日市へ戻って撮影され、写真集『SUD』として纏められた、光あふれるイメージ群がわたしを魅了する。---高校3年生には強烈だった。
 『6月』の表紙と裏面は全面露光の黒い印画紙が貼り合わされている。そのカードに貼られたネガ番号のメモからおおよその撮影順が判り、さらに、撮影地や使用したカメラ、フィルム、引伸機などのデータも示されている。その筆跡とインクの色を見ながら、氏の声を思い出している。あの調子を何に例えれば、他の人に伝わるのだろう? 氏の視線を画廊に展示しながら、氏の肉声が耳の奥で重く響く、「ああ、石原」。

    • -

    • -

ギャラリーマロニエに展示された『6月』(抜粋)の右には、夜野悠氏の『廃墟の時間』と村中修氏の『光の記憶』の一部が見える。