『影どもの住む部屋──瀧口修造の書斎』展


『影どもの住む部屋──瀧口修造の書斎』展カタログ 21×14.8cm pp.40

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ある方から慶応義塾大学アート・スペースで開催されている『影どもの住む部屋──瀧口修造の書斎』展のカタログを頂戴した(3月16日(金)迄)。同大学でのアーカイヴ資料の整理、発表については関心を寄せ、上京して拝見もしたいと思いつつ諸般の事情で実現しないままでいるが、展覧会の折のカタログなどは、折にふれ手にさせていただける機会に恵まれてきた(感謝)。それで、カタログを頂戴しておいて、不満を述べるのは気がひけるのだけど、シニアの「眼」には「心地悪い」書容設計について書いておきたい。
 デザイン処理された紙面というのはなんだろう?  お洒落ではあるけど、テキストを読む人や図版を見ようとする人(会場でのカタログ配付だから、対面した現物の備忘録です、と言った位置づけかしら)には、極めて不親切であるように思う。表紙の図版展開が、本文の3頁と合わなかったり、久保仁志氏と山腰亮介氏のテキストを上下に配して構成するなどを含め、余白のとり方はデザイナーのセンスの問題であるし、小さな図版と書体については拡大鏡で対応するとしても、見開頁を横断するテキスト(片方45-6文字で、合わせると90文字を越える)の扱いには、不快感さえ覚えてしまった。最終頁へと連続するものもあるから、これを掌でひらく書物(?)として、考えるのが間違いなんだろうなと、思いつつ対向頁に移る時の縦ズレに悪寒するのは、わたしだけかしら。そして、縦書きテキスト内の数字の扱い(横位置)も、眼の動きと書体の流れを分断させて戸惑いを覚えた。---横位置にするなら、センター、あるいは、左ラインに合わせて欲しいな。もっとも、ダダのパンフレットなどが既成のルールを無視しながら、手にする者を刺激して「ダダ思想」と一致していた事を思うと、「瀧口」の生き方と、このカタログが一致していたのかどうか、ここにカタログを手にする者の最大のポイントがあると思う。
 資料を愛する者としては、つらい仕打ちのような頁の展開だった。瀧口本人が「影ども」と呼ぶのは良いとして、後世の研究者が、それを踏襲するのは、いかがだろうか。それにしてもと、付け加えるけど『余白に書く』に収められたテキストの初出(カタログなど)は、よろしいな。エフェメラ狂いとしては、「涎」がでております。

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6-7頁

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書斎写真及び初出資料群