追悼 安齊重男

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2000年、小生のスクラップブックにサインをされる安齊さん。

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現代美術の現場を記録した写真家の安齊重男さんが8月13日(木)、心不全のため亡くなられた。享年81。謹んでご冥福をお祈りします。

 初めてお会いして名刺を頂いた1980年3月。緑色三角の色面が洒落ていて驚いていると「インパクトがあるものが良いと友人のデザイナーが造ってくれんだ」と笑われた。「君はマン・レイか」続ける豊かな表情がこちらをとらえ、安心させる自信に満ちた写真家、精悍なライカ使い、お洒落な人だと思った。これは名古屋のギャラリーたかぎで催された宮脇愛子さんの個展会場の場面、嬉しいことに安齊さんが画廊スタッフの沢島亮子さんたちを含めた記念写真を撮ってくださった。

 ダダ・シュルレアリスムに関心をもっていたわたしが画廊へ出入りするようになったのは、1975年で、ギャラリー16の井上道子さんから安齊さんの名前を聞いていた。一過性の表現が多くなった現代美術の現場を写真に捉え(後年、アーカイバルとなった)ていく仕事は、マン・レイが1920-30年代のパリでしていた写真の系譜に繋がるもので、この方向での「写真」を考えていたわたしにとって目標となるものだった。名古屋以来、様々なところで安齊さんとお会いし、言葉を交わすようになった。

 氏の個展『安齊重男の眼 1970-1999 写真がとらえた現代美術の30年展』が2000年に万博公園国立国際美術館で催された折、ギャラリーたかぎで頂いた写真(サインなし)を貼り付けたスクラップ・ブックを持って出かけた。

 1970年の『人間と物質展』のリチャード・セラやダニエル・ビュレンからの30年、およそ2500点の写真に残された展覧会の熱気、拝見したものもあるし、氏の写真でしか知らないものもあるが、批評家の言説など吹き飛ぶリアリテイに、眼が釘付けになった。各時代をさかのぼり、解説を加える安齊さんの活力は、写真が身体と共にあると納得させるもの「僕は仕事が早いんだ」と云う。捉えられた写真の細部を見ながら、作家や作品、会場の細々とした品物を夢見るように見続けてしまうわたしなどは、なんというか、スピードをもたない、回転運動の中の人なんだと思う。これでは、写真家になれません。

 トークショーでは、若いスタッフを労い、マイクを渡し、写真家に変わった安齊さん。カメラの構え方をみながら、30年にわたる現場の熱気を想像するのだった。

 

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左から沢島亮子、宮脇愛子、石原輝雄ほか。安齊さんのサイン入り。

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 ツァイト・フォトサロンでお会いした折にも、写真を撮って頂いた。いずれ、サインの入ったその写真も紹介したい。