妙心寺 塔頭

北の総門から妙心寺をブラブラ、塔頭は40数箇院と聞く。以下、ウィキの解説を示す。

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雲祥院 開基千坂景親(宗策居士)、開山海山元珠。「亀仙庵」(千坂景親の法名「鶴齢院殿亀仙宗策居士」からの由来)として慶長3年(1598年)創建。その後、方広寺鐘銘事件祥雲寺にいた海山元珠が徳川家康の思惑に沿わない見解を述べたため、家康から祥雲寺が没収されるに至ったが、その際に海山元珠は師の南化玄興豊臣秀吉遺児鶴松(棄丸)の木像を背負って妙心寺に帰ったと伝えられている。その後、自坊「亀仙庵」を祥雲寺の名を逆さにした「雲祥院」と改名した。1878年明治11年)に熊谷半次創建の瓊林院と合併している。東海派に属する。(ウィキから引用)

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長慶院 豊臣秀吉正室である北政所の姉妹長慶院木下家定娘)が慶長5年(1600年)に創建。開山は妙心寺71世東漸宗震1878年明治11年)に相楽郡妙法寺と合併して妙法寺を名乗っていたが、1905年明治38年)旧称に復した。聖澤派に属する (ウィキから引用)

「誰かと 繋がっている その温かさで 今日一日が 生きられる」 合掌 ありがとうございます。

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桂春院 開基津田秀則妙心寺73世水庵宗掬を開山とし、慶長3年(1598年)に見性院として建立。寛永8年(1631年石川貞政が再興時に桂春院に改めた。杉苔ツツジの植え込みが見どころの庭園は史跡・名勝に指定。東海派に属する。(ウィキから引用)

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方丈南側 真如の庭

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微妙殿(左)と雑華院(右)  開基牧村利貞が弟で妙心寺79世一宙東黙を開祖として天正11年(1583年)に創建した。東海派に属する。(ウィキから引用)

 

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