「写真の都」物語 10 ── カタログ・記念出版

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26.4×19cm pp.292 「『写真の都』物語」竹葉丈編著、株式会社国書刊行会発行、株式会社D_CODE[垣本正哉、河野素子、堂島徹]装丁・デザイン 2021年2月5日初版第1刷発行

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展覧会のカタログが一般書籍として店頭に並ぶようになり展覧会から離れて久しい。海外名画が招来される場合に多い図版と解説が対になった重いカタログ(笑)の見当はずれの論文調は、読む気をなくさせるものだが、一方で展覧会の企画意図を反映させすぎて、展示会場から飛び出してしまったカタログというのも、如何なものかと、今回のカタログを手にして戸惑ってしまった。

 現物主義のわたしは、何がどのように展示されたのかに関心を持つ。会場展示の様子を紙面に用いる例は、インスタレーション作品の場合などに見られるが、一般的ではない。カタログは初日までに準備され会場で頁を開くもの、鑑賞の手引きとなって、実際に見たもの(見ているもの)が紙面に取り上げられ、作品により深くアクセスさせるもの。──と思って本書を手にしているが、国書刊行会から発行された『「写真の都」物語』、副題「名古屋写真運動史 1911-1972」から、展覧会との関係を示す文言を多く確認することは出来なかった。そもそも巻頭「凡例」で「本書は同名の展覧会に際して制作された。ただし紙幅の都合上、同展の出品作すべてを掲載するものではない」とある記述を理解しながら、物語を読むべきであった。展覧会カタログではないのである。やれやれ。

 

 ハードカバー、26.4×19cm、292ページの本書を装丁・デザインしたのは株式会社CODE [垣本正哉、河野素子、堂島徹]、九州国立博物館などのカタログ(?)を手掛け近年注目されている。「黒」の扱いに秀でたデザイナーだと聞く。なるほど、読みやすい「白」地に「黒」文字は「序に代えて」と「目次」の4頁程に限られている。図版掲載した作品選択にはデザイン効果が大きく作用したと推測される。写真史的な観点での基準がどの程度、反映されたのか、部外者には判らない。それぞれの歴史解釈、作品嗜好があるからである。図像使用上の権利条件を含め展覧会に間に合わせるとなると厳しいものがあるだろう。初日に美術館のバックヤードに積み上げられた梱包ロットから、取り出してもらい手に取ったわたしとしては、まず、感謝の気持ちを表したい。

 

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 本書の元となった名古屋市美術館での展覧会(2021年2月6日〜3月28日)を企画したのは、写真を専門領域とする学芸員・竹葉丈。写真に限れば美術館開館時の『名古屋のフォト・アヴァンギャルド』展(1989年)から始まり『異郷のモダニズム─淵上白陽と満州写真作家協会』(1994年) 『写真家・東松照明全仕事』(2011年) 『異郷のモダニズム満州写真全史』(2017年)と続く仕事の集大成となるのが本展である。振り返れば竹葉との交流も32年に及ぶ、どの展覧会も長期に渡る調査研究の成果を披露するもので、有意義で魅力的なものであった。

 

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 本書を開く、編著者は竹葉丈。氏が6章に分けた名古屋の写真史にしたがって展開する。名古屋生まれの名古屋育ちで十代後半から写真に熱中したわたしは、後半2章の「V. 東松照明登場─リアリズムを越えて」と「VI. <中部学生写真連盟>─集団と個人、写真を巡る青春の模索」は、ほとんど当事者。これ以前の各章についてもシュルレアリスムの写真家・山本悍右との知遇から、リアルな感情がともなう。この視点で頁を捲る訳。

 別丁扉が知人の『壁』(電気メーターが並ぶ)を撮った写真なので、最初から良い気持ちなのですな。東松の卵を掴む指先も暗示的で、導入部として申し分ありません。

 

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扉写真: 『壁』1969年

 

 ──としても、感想を書いておきたい。展覧会カタログでないのは理解したが、視覚効果に重点を置いたために図版サイズ相互の比率が現物と無関係で、デザイナーの解釈が大きく作用した結果と思う。各章解説文が黒ぬき白ベタ調で読みにくく、参考図等のスキャン画像モアレが気になった。それはそれとして諦めるが、第VI章からの展開については、大きく「名古屋写真運動史」から離れ、東京へ収斂させていく画像の扱い(迫力あふれるけど)に、不満が残る。中央集権的で、名古屋を周辺に追いやると感じるのです。『足ぶみ飛行機』と『状況』の二冊については同意できるが、「VI-6運動から闘争へ」の196頁からの展開は、怒涛のプロテスト写真で『10・21とはなにか』『’69 11/13-17佐ト訪米阻止斗争』『三里塚』『この地上にわれわれの国はない』『ヒロシマ・広島・hirou-síma』と続く76頁。その間にわたしや同級生Sugiuraの頁が4,名古屋女子大学写真部集団撮影行動「郡上」が8、別丁扉にも使われた知人が1。それぞれ、前述列記の写真集の締めくくりに収めた印象なんです。

 本書で引用された写真集の全頁が紹介されているか、現在、展示・調査用に貸し出しているので確認できないが、見開き状態で多数掲載することで頁を捲る体験を与え、リフレンする拡大頁が良い塩梅、臨場感あふれるのです。「東大」や「日大」や「沖縄」の文字、頁を複写するのは、当時の学生に戻るアプローチ、匿名の群れが炎に包まれていく。他方、会場に置かれ拝見できるのは、写真集の表紙と、モニターでの頁展開。半世紀前の出来事で、ほとんどの人が現場を知らないのだから致し方ない。写真を撮った本人には複雑な感情が残っていると、伝えなければならないだろうな。 

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p.192-193 石原輝雄『高校生写真』、Sugiura Yoji『白亜の壁 高校生の記録』杉山茂太『SUD』

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p.210-211 石原輝雄『名古屋10.21』、Sugiura Yoji『'70年への饗宴』

 

 出版に資料的な価値を見出し、時代の抱えた問題、解決されるどころか、さらに分断し見えにくくなっている自由と民主主義の問題を、名古屋にとどまることなく提起したことは、本書の多大な成果となっている。名古屋人としては、わたしたちが撮った写真を使って欲しかった(沢山あるのですよ)、プロテスト写真集の異常な高騰(5〜10万円の値が付く)を知っている身としては、やりきれない気持ちである。このようにして、頁を捲ってくると公害や広島の風化を示しつつ原爆ドームと山本悍右の『<伽藍の鳥籠>のヴァリエーション』の頭頂部に繋がる叫びを受け取り本書は終わる。これは、これ自体が写真集ですな。

 

 さて、本書には「写真集・写真雑誌 書誌一覧」が設けられている。およそ40タイトル。展示されていないものも多いが編者が参考とされたものの一覧。頁数と定価の記載があるのは、現物主義者としては有り難い。もっとも、東松照明の写真集を除けば一般的には知られていない訳で、本書を手掛かりに古書店を巡るファンも現れると思う。ただ記載された五冊の自作写真集は、おおよそ一点限りなので、展覧会終了後の行末が気にかかる。

 

 最後になったが、<高校の部>に関連した正誤記載についてメモする。

169頁 杉山茂太(1948-2009)  →  (1948-2015) 

288頁 杉山茂太『SUD』1969(昭和44)年  →  1968(昭和43)年

288頁 VI-6-2石原輝雄<広小路通り、名古屋駅前、1969.10.21> 1969(昭和44)年 

                         →  VI-6-2〜4

              VI-6-3 Sugiura Yoji(杉浦幼治) <広小路通り、名古屋駅前、1969.10.21>

                        1969(昭和44)年  →  VI-6-5〜7

              VI-6-4 Sugiura Yoji(杉浦幼治) コンタクト・シート<広小路通り、名古屋駅前、

                        1969.10.21> 1969(昭和44)年  →  VI-6-8(pp.212-213)

 

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 展覧会は他館へ巡回されることなく3月28日(日)に終わる。「何が展示されたのか」を後世に残すため、500点あまりの写真と一次資料を網羅した展示品リストが作られることを願う。