「写真の都」物語 22 ── 内海・全日合宿、そして写真集『郡上』

内海大新旅館での全日合宿、1970.4.1-2f:id:manrayist:20210321223328j:plain

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 集団撮影行動を岐阜の郡上で行った名古屋女子大学のHさんは、内海の合宿で「写真」に目覚めたと語っておられた。この合宿には小生も杉浦やYとともに参加したが、徹夜で語る「読む」写真というのは、何をもたらしたのだろうか---人生を変えてしまうのですな。竹葉丈氏の解説では「民衆の歴史を写真で辿るその試みは、写真部員34名により、3年にわたり撮影された74点の写真によって構成された」。当時、写真集の出版が予定され、チラシには「かって農民のなかに燃えた血は、いま人々のなかにどのようにあるのか……そしてサークルとは……集団撮影行動とは……'68 '69 '70と、中京の一小サークルが、敢然とたちむかったそれらの問題のすべてをはらんで、この写真集『郡上』はある」と記されたが「写真部OGによって発行されたのは、撮影から48年後の2016年のことであった」。

 彼女たちの写真営為(青春とすべきか)が48年経って写真集として結実する時、写真史家の金子隆一氏は、案内文で「失われた何かを回復するのではない。それは写真の始まりから2016年までの間に撮影された写真の総量と対峙する意志である」と語り写真史とは何なのか?の問を投げかけている。

 わたしはあとがきにある「それぞれの役目が終わろうとしている年齢になり」と云う記述に、目頭を押さえる。人生を変えるような「良い出会い」---「写真」のみでなく--- が、今を生きる子や孫たちのそれぞれの青春にあることを願う。

 

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『郡上』のコーナーの先には、髙橋章の『断層』

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 資料展示: 撮影行程・合宿日程・地図など

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 Hさんから、「300部制作したが、『郡上』はもうほとんど残っていない」と聞いた。 尚、昨日報告した 『断層』と同じように名古屋市美術館ミュージアム・ショップで「お一人様一冊に限って」プレミアム価格(税込 5,000円)で販売されている。興味のある方には手にとってもらいたい(品切の場合はお許しください)。

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 話題は戻るが、徹夜明けの大新旅館ロビーのテレビで「よど号ハイジャックの中継画像」を観たのを覚えている。わたしとしては「写真による世界認識に力があるなんて、思えなくなっていた」。「自己を変える」アプローチは、写真を使うにしても、「集団撮影」とは別ではないのか、きっと、「そのように感じていた」と50年を経過して思う。