同志社ハリス理化学館(現・ハリス理化学同志社ギャラリー)

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26f:id:manrayist:20211103225446j:plain2021.10 同志社ハリス理化学館(現・ハリス理化学同志社ギャラリー) p.288 竣工: 1890年 煉瓦造地上2階、東北隅実験室付 設計: アレクサンダー・ネルソン・ハンセン 施工: 小嶋佐兵衛 外観はイギリス・ゴシック様式赤壁煉瓦はイギリス積み、花崗岩による白帯。建築当初は屋上に八角天文台設置、濃尾地震(1890年)による破損で撤去。

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 同館は同志社創立者新島襄の精神を今に伝える展示施設として活用されている。館名は新島の「科学に対する熱意に共鳴した米実業家J.N.ハリス(1815-1896)の10万ドルにおよぶ資金援助によって竣工された事に由来する」カタログに体調を崩していた「新島は完成を見ることなく永眠した。階段手摺には棺の材が使用されたと伝えられている」とある。2016年に発表された森一郎による論文「J.N.Harrisのメッセージ」に新島とハリスとの交流等が詳しく論述されている。

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リーフレット 観音開き 22×10.5cm

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 ウィキによると設計者のアレクサンダー・ネルソン・ハンセン(1857-1940)は、フランス・カーン生まれのイギリス人で「英国王立建築家協会正会員」資格を持つ建築家、父親は牧師、1888年来日。初期に手がけたのが本館で、神戸の居留地に住み同地で多くの仕事を残した。第一次世界大戦で子息を亡くしたこともあり、戦後の1920年に漢口へ移住、後にモナコへと移り、同地で没した。