旧新シナゴーグ ── 6日(木)

古書店から国民劇場、レギー橋と散策する頃には雨が降り出した。カルロヴィ・ラズネの停留所からトラム2番に乗車── 65歳以上無料なのが嬉しい。降車の停留所が分からないのでグーグル・マップ上を移動する◎印で確認(車内でのパチリを逃してしまった)し、奥様のお買い物にお付き合い。昨今は「お気に入りを見つけても数年経つと日本でも買えるようになるので楽しくない」とか(本当ですか)。ブランド品が並ぶパリズスカ通りを下がります。

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奥様から質素な部屋があるだけと聞いていたシナゴーグの雰囲気を知りたかった。東欧でのユダヤ人の生活にふれるのはマン・レイ研究の重要な要素とわたしは思っている。

15:28 旧新シナゴーグ 1270年完成ゴシック様式。伝説ではプラハのゴーレムの家だったとされる。単館見学は2024年1月から出来なくなり、ユダヤ人墓地など地区施設を複数見学して500チェコ・コルナ(凡そ4000円)。

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9 × 13.9 cm

 上掲は先程、スパレナ書店で求めたユダヤ人墓地の絵葉書。片野優と須貝典子の『プラハ──塔と黄金と革命の都市』には、また、「限られた狭い墓地の敷地はすぐに埋葬者でいっぱいになってしまった。だが、ユダヤの戒律では墓を掘り起こすことが禁じられているため、墓石だけを地上に残して、上へ上へと重ねて埋葬していった。なかには、そんな埋葬者の地層がニ〇にも及ぶものもあるという」(26頁) また、同地のユダヤ人はハザール汗国(*)を起源とするので「出エジプト記」に記されるモーセに率いられた民とは異なるという(21頁)。

 

[メモ]
 (*) ウィキによるとハザール汗国は、「7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス黒海沿いに栄えた遊牧民族およびその国家。支配者層はテュルク系民族と推測されており、支配者層が9世紀頃にユダヤ教に改宗したことは知られ、交易活動を通じて繁栄した」