カフカ生家 ── 6日(木)

 

聖ミクラージュ教会

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雨は止みました。

聖ミクラージュ教会(旧市街広場北西)に隣接する建物がフランツ・カフカの生家、二年余住んだとも言われ、現在はレリーフが飾られている。

 


 カフカの『変身』を読んだのはいつだったか、愚生は実存主義になじまなかったように、カフカの不条理にもとらわれないまま、シュルレアリスムの道を歩いてきた。出自の比較は不謹慎だがカフカの場合は裕福な家庭の長男としてプラハで生まれたものの、父親の母語チェコ語、母親の母語はドイツ語で、母方の影響を受け「ドイツ風の慣習に馴染み、ドイツ語を話す同化ユダヤ人」として成長。生涯のほとんどをプラハユダヤ人街で過ごしたという。勤務先のあったヴァーツラフ広場や出入りしたカフェ・モーツアルトなど、彼の距離感がつかめた街歩きだった。

 

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[メモ]



 パリの古書店から届いた7月11日付けのメールに、1906年プラハの写真館で撮ったカフカの肖像写真が紹介されていた。作家の没後100周年を記念するラインナップのようである。法学博士号を取得した青年カフカブルジョワ的雰囲気。「カフカの顔は天使のようでもあり、動物的でもあり、その眼が特徴的だ」と記されている。そして、「この写真は、プラハ政権の不条理な紆余曲折における作家の恐ろしい経験の始まりを示している」そうな。小生「マン・レイと余白で」の紹介日と一致したので、引用したくなった。