老祥記でアツアツした後、元町商店街(アーケード)に出ると、ファミリアの本店がありません、あれあれ、マツモトキヨシに変わってる。それで、元町サントスで珈琲、ここは創業1960年、ホトケーキが大評判(帰宅して知りました)だそうです。
街の様子は、キリコ展の会場から大丸神戸店へブラブラした時に感じました。居留地側の昔を知りませんが、京町筋から仲町通りにかけての400メートル、徒歩5分にブランドショップがずらり(バーニーズ・ニューヨーク、DISEL、プラダ、ステラ、モンクレール、アルマーニ、ボッテガ、バレンシアガ、ベルルッティ、ルイ・ヴィトン、エルメス、ビームス、ファミリア)、庶民には敷居が高く、ウィンドウショッピングのみであります。
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林画伯が紹介されていた「ちんき堂」で、神戸らしい紙ものをゲット。1922年5月29日消印の国際輸送通知書を自動翻訳をしてみると、ハンブルグ出荷で6月6日神戸入港予定の「武洋丸」に医療機器や介護用品などが入った荷物4箱を載せたと知らせている(宛名も含め自信ないけど)。1922年のベルリン・オラーニエンブルク通りって、どんな様子なんだろう、グーグルマップで見ています……
10.8 × 15.3 cm
[メモ]
ウィキによると武洋丸(Buyo Maru)は、1918年7月起工、鶴見造船所、国際基産会社(玉井商船)の標準貨物船、1919年3月完成。1932年7月に玉井商船に売却されたのち1941年11月日本帝国陸軍徴用。1943年1月米潜水艦ワフーの魚雷攻撃により沈没。イギリス・インド軍捕虜195名と日本人87名が死亡した。潜水艦側からの発砲、連合軍捕虜の存在など、いくつかの問題が後に指摘されている。