山田忠治殿 ブレゲ飛行学校

8.7 × 13.8 1918年(?) 5月15日巴里投函、シベリア経由
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 本作はカミーユ=フェリックス・ベランジェが1914年のサロンに出品した 『若い農婦』。昔、絵柄に惹かれ求めたものだが、改めて通信文をみると日本の航空史に足跡を残す山田忠治宛てではないかと驚いた。5月11日に巴里に到着した差出人の名前は読めません(残念)。ブレゲ飛行学校というのは Aéroport Le Bougetに関連した学校と推測するが、飛行場は1919年、巴里近郊に開港した国際空港。リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行を達成した飛行場として知られる。
 受取人の山田は1883年愛知県碧南市の生まれ、海軍兵学校33期江田島赴任、1905年卒業。航空搭乗員を志願し米国へ留学、免許取得。帰国後カーチス式(複葉水上機)教官となる。横須賀航空飛行隊長の時、追浜(おっばはま)飛行場と碧南新須磨間で長距離飛行訓練を行った。山田は予科練の生みの親で、1936年海軍大将山本五十六に「大艦巨砲主義は時代遅れである。巨砲主義より飛行機主義に変えよ」(『元海軍少将 山田忠治伝』)と進言したという。1971年没、享年88。

 差出人が本状を選んだ経緯は不明ながら、ウィキによると画家ベランジェ(1853-1923)はフランスのエリート陸軍士官学校サン・シール特殊陸軍士官学校のデッサン教授の職にあり、ブルターニュでの収入の安定と絵画素材の提供に貢献したと推測される。「中世の慣習の残り香を記録する歴史風俗画家」から「疲れた農家の妻ではなく、少し髪を乱した魅力的な農婦」を描くようになっていった。── と思いませんか。

[追記]
 或る方が受取人住所は「大日本相洲追浜飛行場」、文面に「目下の彿國の飛行界日本で聞いたとハ大分異なり居り候」差出人は「昌平」ではないかと教えてくれた。同姓の軍人もいるとか、感謝申し上げます。大正時代のシベリア鉄道、ロシアの10月革命は1917年10月、本状は郵袋でどんな旅をしたのかしら……