09:40
ブルージュで人気の運河クルーズ、わたしたちの会社は聖ヨハネ病院の対岸が出発点。日本語での解説(テープ)がありがたい。船長のすぐ後ろに席をとってパチリに専念、天気が良く最高の時間を過ごすことになった。
ダイフェル運河沿いの有名なパチリスポット。左の緑は柳、日本とはずいぶん異なる。

200〜300年前の切妻屋根が特徴的なギルドハウスが並ぶ
画家、ヤン・ファン・エイク像の先に記録保管所の塔。交易品はこの辺りで陸揚げされたと聞く。
中世にはこの橋の下で舟を止め、税金を徴収。すり抜けられてしまわないよう河幅が狭まっている。どの橋も低く身をかがめてやり過ごす── パチリは出来ません。

聖母教会
前方の低い建物は某テレビ番組で紹介されていた魚市場



-----
[メモ]
ブルージュの旧市街は北海に面したゼーブルッヘ港から凡そ15キロメートル内陸。一直線で繋げるボードワン運河をグーグルマップで観ながら、最盛期の15世紀には600隻ほどの外洋船が停泊できるほど運河が発達したというが、その経緯が理解できなかった。後日、ウィキで確認したところ「12世紀に大津波が、海から10 km以上も離れたブルージュを襲った。その時に残された大きな溝に運河を作り、フランドル伯フィリップ・ダルザスのもとでズウィン湾とブルージュを結ぶ水路が整備され、町中に水路を張り巡らせ、船での交易に便利な港町を作った。このためブルージュは、北海に出る玄関口として格好な場所となった」という。なるほど。町の起源は9世紀、市場経済の発達、市民自治、大国の干渉、反乱などがあったが「運河やズウィン湾に土砂が堆積して大型船舶の航行に支障を来たすようになったため、運河港としても経済の中心地としてもその重要性を失って、衰退していった」。
ブリュツセルで絵葉書を買い求めた時、ブルージュが観光地として19世紀以降注目されてきたと知った。違う季節に町を訪ねたら北のヴェネチアから『死都ブルージュ』に表情を変えているだろう。もっとも、シニアにそれは辛い。