大ゴッホ展 at 神戸市立博物館

奥様と神戸に出掛け、20日から始まった「大ゴッホ展」を堪能した。6月のオランダ旅行では訪ねられなかったクレラー=ミュラー美術館からの招来作品凡そ75点。オランダ時代の初期作品を観ていると、鉛筆画良いんですよ、ゴッホ上手いと思っちゃいました。心が病んでしまってからのゴッホ像が先行し、へんな眼鏡で観ていたのだと、またまた、反省です。
 備忘録として印を付けたのは、『9. 田舎道の女』1882年、『14. ニューネンの古い塔』1884年、『18. 織機と織工』1884年、『22. じゃがいもを植える農民』1884年、『24. 植える男』1881年、『37. ストーブのそばに座る女:シーン』1882年、『45. じゃがいもを掘り出す農婦』1885年、『46. 掘る人』1885年、『73. 夕暮時の刈り込まれた柳』1888年ゴッホではないけどモネの『55. モネのアトリエ舟』1874年、セザンヌ『58. 湖へと続く道』1880年頃。二重丸としたのは『22. じゃがいもを植える農民』と『14. ニューネンの古い塔』、後者は絵葉書あり、前者は用意されていませんでした。

 

撮影可作品があったのでパチリをさせてもらった。

夜のカフェテラス1888年9月16日頃 油彩・カンヴァス

 

* 2024年4月のアートニュース誌によると、『夜のカフェテラス』に描かれたビストロを再現した店、カフェ・ヴァン・ゴーグは、脱税によって経営者たちに懲役刑や経営禁止処分がくだされ2023年から営業停止しているという。


カフェ・ヴァン・ゴーグ 2006
南仏紀行-12 アルル - マン・レイと余白で


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出口前の第4章でパチリOK4点。

『自画像』1887年4〜6月 油彩・厚紙


『草地』1887年4〜6月 油彩・カンヴァス

『レストランの室内』1887年夏 油彩・カンヴァス

『石膏像のある静物』1887年後半 油彩・カンヴァス

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 9時40分に入館しましたが「泣いている余裕などありません」館内は大混乱でした。土日祝は事前予約優先制。

テオからヨーへのキャビネット。── ファン・ゴッホ美術館で泣いてしまった。|man ray ist



『22. じゃがいもを植える農民』チラシから引用

 

『14. ニューネンの古い塔』絵葉書 10.5 × 14.8 cm

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[手紙引用] 
ゴッホ美術館、アムステルダム


『9. 田舎道の女』1882年
 大工の鉛筆についてですが、私の考えはこうです。昔の巨匠たちは、何を使って描いたのでしょうか? ファーバーB、BB、BBB7などではなく、粗い黒鉛で描いたはずです。ミケランジェロデューラーが使った道具は、おそらく大工の鉛筆によく似ていたでしょう。しかし、私はその場にいませんでしたので、分かりません。ただ、大工の鉛筆を使うと、ファーバーなどの高級鉛筆とは違う強弱をつけることができるというのは分かっています。
高価なファーバーで細かく切った黒鉛よりも、自然な形の黒鉛の方が好きです。そして、黒鉛を牛乳で定着させると光沢が消えます。屋外でコンテを使って作業していると、明るい光のために何をしているのか分からなくなり、黒くなりすぎていることに気づきます。しかし、グラファイトは黒というより灰色に近いので、ペンでこねることで数オクターブの明度を上げることができます。そうすることで、グラファイトの最も強い部分がペンの打ち出しによって実際に明るくなります。(手紙222. テオ宛 1882.5.1 )

 

『24. 植える男』1881年
労働者のピート・カウフマンのような良いモデルを見つけたいと思っていますが、この家でポーズをとらせるのではなく、彼の家の庭か、畑でスコップや鋤など何か他のものを持ってポーズをとらせる方が良いと思っています。しかし、人々にポーズとは何かを理解してもらうのは、なんと大変な仕事なのでしょう!農民も町民も、どうしても捨てられない考えに固執している。それは、膝も肘も肩甲骨も、体の他のどの部分にも特徴的なへこみやこぶができていない、あり得ないほどの折り目のある労働着を着ている時以外は、ポーズをとってはならない、というものだ。実に、これは画家にとって人生における些細な悩みの一つなのだ。(手紙170. テオ宛 1881.8.5)