マン・レイ『これは論文である』1963年

 

 11月19日の午前11時(時差▲14時間)からニューヨークのオークションハウス、ドイルで催されるセールに興味深いマン・レイのオブジェが、予想価格25,000〜35,000ドルで出品される。小生、画像を観て驚いた。本作はマン・レイがピエール・ブルジャッドとの対談で話題にしていたからである(銀紙書房と水声社との共同出版松田憲次郎・平出和子による邦訳『マン・レイとの対話』を1995年刊行)。

 ブルジャッドによると、ニューヨークに滞在していたマン・レイは、一通の分厚い封書を受け取った。なかには、彼。マン・レイにあてた二十ベージ(?)にも及ぶ質問状が入っていた。それは、シュルレアリスムを主題とする学位論文、きわめて真面目だが、それ自体はほとんどシュルレアリスム的ではない学位論文を準備中の、さるアメリカ女性から送られてきたものであった。次のような類の質問が百。「一九二五年九月三日には何が起こりましたか……」。どう答えればいいのだろう……。マン・レイはこの質問状を燃やし、灰を広口ビンに入れ、ついでに灰皿の中身もまぜて栓をし、表書きに「これは論文である」と書いた。(11頁) 

 マン・レイは経緯を以下のように述べる「私は、ある展覧会のためにニューヨークにいた。そこで突然、パリから手紙を一通受け取った。私は七九番街に滞在していたが、その手紙は七八番街から発送されていた。パリを経由して、アメリカでやっと私をつかまえたというわけだ。<略> この手紙はニューヨークの私の画廊に転送されてきたんだが、どんな手紙だったと思うかね。なんと十二ページにわたる質問状さ! あらゆることを、わたし自身のことばかりか、ここ四十年間に文学・芸術界で起こったことすべての出来事を語らねばならないんだ! わたしは腹を立て、その手紙をひとつかみにして、くしゃくしゃに丸め、広口ビンの中に入れ、ついでに邪魔になっていた、灰皿の中身もそこに空けて密封し、ビンにこう書いてやった《これは論文である》とね!」

 そして、「それを差出人に送り返したのですか」と尋ねるブルジャッドにマン・レイは「いや、ニューヨークで泊めてもらった友人の家に置いてきた。今は、私のオブジェのひとつになっている」(24-25頁)

 小生は若い時にこれ読んだので、詳細な年譜を使ってマン・レイ芸術にアプローチするのは、抵抗があるんですよ。

 ドイルのHPに1963年のコーディエ&エクストローム画廊での個展の折に滞在したのはレオとエヴリン・ファーランド夫妻の家とある。エヴリンは「アメリカにおけるアートポスターの役割を再構築する上で大きな影響力を持った目利きのコレクターであり、出版社であり、芸術擁護者だった。そして、ボスター・オリジナル社の創設者。というので、20年程前に同社からポスターを幾枚か購入した小生は、嬉しくなったのであります。

 

[追記]

 予価25,000〜35,000ドルに対し結果、23,040ドル(邦貨換算約360万円)。円が弱くなりましたな、買えないけど(ハハ)