ファン・ボイ・チャウ ─ 26 Jan. '26

ファン・ボイ・チャウ(Phan Bội Châu / 潘佩珠、1867- 1940)は、ベトナム民族主義運動、独立運動の指導者。10代の頃から反仏独立運動に参加。日本との関係も深く犬養毅等から人材育成の必要を説かれベトナムの青年を日本に留学させる東遊運動(ドンズー運動)を興した。医師・浅羽佐喜太郎らに支援され活動、匿名による密入国静岡県東浅羽村の人たちと交流。遺言を刻んだ石版には日本語でも以下の文言。

これは私の永遠な家ゆえ、死んだ後私の家ここに埋葬してもらわないといけないし、次の内容を従うこと。/ 常習より高価な納棺、墳墓つくり、礼拝堂つくりをしてはいけない。/ 文化・習慣とは違う弔い又は奉納をしてはいけない。/ 文化・習慣とは違う死亡通知を発送してはいけない。/ 友達、知り合い人は死亡情報を知ってもらわない為だから、私のことを忘れなくてくれればうれしい。後の世は、私のことを思い出して軍事技術・軍事戦略等を皆さんに教えてくれればうれしいです。その他は要らない。


 記念館の墓地にはファン歿70年、浅羽没100年を記念する「東遊運動が生んだ日越友好之碑」が建つ(2010年11月3日)。

 

前方にベトナム国「金星紅旗」。

 

[メモ]

日清・日露で勝利した日本に注目したファン・ボイ・チャウの認識の枠組みとなったのが、世界の諸民族は「野蛮」から「半開」そして「文明」という進化の道を歩み、その間に激しい生存競争があり、「文明」化に失敗した民族には「減種」すなわち民族としての存在そのものの危機が待ち受けているという、進化論を人間社会に適用した『社会ダーウィニズム』だった。--略-- しかし、社会ダーウィニズムは周辺の諸民族を軽視する面を持っていた」(古田元夫著『べトナムの基礎知識』 ㈱めこん 2017年刊 103-104頁』一部要旨)