ヴァーツラフ広場 ── 6日(木)

プラハを訪ねたいと思ったのは下掲の絵葉書を入手した頃だろうか。1920年〜30年代に坂の頂点(?)にある騎馬像に向かって走るトラムの様子が、都市伝説のようでヴァーツラフ広場が、どんなところか気になってしかたなかったのである。
 片野優と須貝典子の『プラハ──塔と黄金と革命の都市』では「『プラハの春』を弾圧したプラハ事件、東西冷戦の終焉を告げる『ビロード革命』という二つの象徴的な出来事は、いずれもこのヴァーツラフ広場が舞台となっている」(58頁)と紹介している。

---

 

チェコビーズのスター・ビーズを覗く
---

 

 プラハの古本屋には千野栄一の著作で憧れてきた。改めて『プラハの古本屋』(大修館書店、1987年)を読んでいる。氏がカレル大学に入学されたのは1958年で、この前後から精力的に蒐書されたと思われ、カレル・チャペックの本を入手した経緯などを次のように書いている。

 共産圏の国では「本は最初の定価の三分の一で古本屋が引き取り、三分の二で売ると言うルールが確立している。どんな珍本でもこのルールから外れる事はないので、したがって珍しい本を売る人はつい古本屋を通さず、個人的に高く売ることになる」「プラハの銀座にあたるパーツラフ広場を下った所にある一番大きな古本屋では、その週に買ったいい本をとっておいて、土曜日の正午、店を閉めてからウインドウにそれを飾り、月曜日の朝までたっぷり道ゆく人達に見せてから売る方法をとった」(98-99頁)

 「第二次世界大戦後の古本が出回った時にプラハに行った私は古本の終焉を見守ことになってしまった」(192頁)と振り返る氏が紹介されたドクトルM氏をはじめ十月ニ八日書店、スパーレナー通り書店、スコジェプカ書店など、幻影だとしても、あれば訪ねてみたい。

 クジェネクの店はカフカやチャペックも常連だったカフェ・ルーヴルの並び。美本揃いですが、20世紀のアヴァンギャルドには遭遇できず、ちと、お高い(トホホ)

---

 

 引用から整理すると14世紀にカレル四世が開発に着手した新市街部はヴァーツラフ広場を境に、東部にドイツ系施設(ドイツ劇場、ドイツ・カジノなど)、西部にチェコ系施設(国民劇場、国民博物館など)が建てられ、住民たちの棲み分けが明白で、交わることもなかったという。
 わたしたちは、市民会館を出てヴァーツラフ広場の北端、プラハの銀座とも称せられるナ・プシーコピエ通りを西に歩いた。ドイツからチェコへ。「異なる秩序」の残り香に触れたのかもしない。