ミルト・ジャクソンの1948〜1952年の再編集アルバム。モンクと共演するミルトのヴィヴラフォン、軽快に飛ばしてよろしおす。
ジャズのコンサートにはじめて行ったのは、コットン・クラブで愛聴していたニーナ・シモンだと思う…… ---
コットンクラブで聴いていた曲。わたしある音域の女性に弱いのです。好きになっちゃうんです。
カウンターだけの小さな店だったけど、ビル・エヴァンスなどのトリオやアニタ・オディ、ヘレン・メレルなどのボーカルが記憶に残る。選曲のセンスが抜群で、よく通った。客層が良かったし、カラオケバーと共同使用のトイレは両側から入る構造になっていて刺…
静かな空間に差し込む光のようなエヴァンスのピアノ。上品なジャズが、疲れていたわたしを救ってくれた。
このスタン・ゲッツ盤も先輩つながりによるニューヨークのジャズクラブでの実況録音。解説の岩浪洋三は1940年代から演奏を続けるゲッツのクール・ジャズがこの時期「以前のように激しく自己を主張するような音楽ではなく、ボサ・ノヴァの中に自分を埋没させ…
チェット・ベイカーのこの曲も先輩がらみ。ウィキによれば1946年末に17歳で米軍入隊、ドイツ戦線赴任、マリファナの不法所持等破滅型奏者の一人。甘い声と生き方に魅力を感じたのかもしれない。
マーク・マーフィがキャピタルに席を置いていたのは1958年から1960年頃にかけてといわれる。本盤の解説で岩浪洋三は「彼は黒人ではあるがもっぱらニューヨークで歌ってきたせいもあって、スマートでモダンなセンスをもち、一種ユーモアの感覚をたたえて歌っ…
就職して京都に移り住んだ頃、同僚から幾つかのジャズ喫茶情報をもらった。ボサノヴとジャズの店「ムスタッシュ」は河原町通りのBALビルの北側の通りを東に入ったところにあって、日曜日の午後に入り浸った。いつも掛かっていたレコードがマーク・マーフィの…
男性ボーカルのマーク・マーフィ(1932-2015)はアメリカ生まれでニューヨークでデビューするも正当に評価されることはなく、俳優などの仕事もこなしたと聞く。本盤は1967年冬にケルンで録音。渡欧後に人気が高まったようで、1972年までロンドンに暮らしている…
ジャズが「私のお気に入り」になった理由のひとつは、ジャケットの魅力だったと思う。レーベル毎に傾向があってブルーノートとヴァーヴが好みの筆頭、たまにリバーサイド。上掲のリバーサイド盤に使われているキリコ『先見者(The Seer)』は1914年から1915年…
先輩がサンバを聴いていたのは、車好きで、映画『男と女』にぞっこんだった関係かと思う。モンテ・カルロ・ラリーの迫力、フォード・マスタングを愛車にアヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンのような大人の愛に憧れたのでは、スクリーンで未亡人…
中部学生写真連盟「高校の部」の先輩、杉山茂太氏のお宅に伺うようになったのは1969年に入ってからだったか、徹夜で写真のレクチャーを受け刺激された。東松照明や細江英公、ロバート・フランクやウィリア・クラインの写真集を手にとったのはこの時で、先輩…
あまりに偉大なコルトレーンの名盤『至上の愛』 1967年7月に41歳で亡くなった芸術家の人類を救う信仰の迫力、ジャケットの表・裏に包まれた求道者の表情、テナー・サックスの音色が魔界ではないか。70歳を過ぎた凡夫には辛い。 ---
マッチ箱を久しぶりに見ると、伏見の他に荻窪にもあったようですね。オーナーの岩田信市氏は名古屋の現代美術を牽引した「ゼロ次元」のメンバー、マッチのデザインも氏によると思います。詳しくは「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」2015年8月28日…
名古屋時代、伏見のグッドマンでジョン・コルトレーンの「SELFLESSNESS featuring MY FAVORITE THINGS」を聴いた。コルトレーンが吹きまくるテナーサックスの 17分31秒(1963年ニューポート・ジャズフェスティバル ライブ録音)。映画でジュリー・アンドリュー…
10.1× 14.8 cm マン・レイ・イスト 年賀状(1979年) --- 小生の1970年代は「ブリキのおもちゃ」と「ジャズのレコード」に囲まれた生活。おもちゃは消防車とスーペースものがメインで、貴重な品もありましたが、いつのまにかマン・レイに置きかわり残っており…