2021.1.1
萩の鶴 純米生原酒 17度 製造者: 萩野酒造株式会社(宮城県栗原市)
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bucha-kacha coffee
ベルリン ウンター・デン・リンデン フリードリッヒ通り
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ベルリン シャルロッテンブルグ アウグステン=ヴイクトリア広場 ロマネスク・カフェ
ウィキによると、絵葉書左の建物は1897-99にかけて建てられ、ホテル・カイザーホフのカフェがある知識人の集会所、芸術家たちの隠れ家として知られたところ。この店で「全く巴里はいい所ですよ」と書いているのが、誰か知りたいところです。昨秋の古書市でもっとこの人の葉書を買っておけばよかったと、反省しております。
『名古屋10.21』
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昨夜は9日に録画した『記憶にございません!』を観ておりました。いやはや。
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表題の二人展がベルギーの画廊マルアーニ・メルシェで開かれる(1月21日〜3月20日)。1920年生まれのマルセル・マリオンは、奇妙なメガネのオブジェで知られるシュルレアリスムの作家、これまでも気になる人だったが、今回は画商マルセル・ゼルブの遺族が協力したマン・レイとのコラボで、ユーモアあふれるマン・レイとエロティックなマルセルの作品が並んでいる。楽しそうですな。
コロナ禍のベルギーがどのような状態か判らないが、展示の様子などの追加情報が入れば、紹介したい。ゼルブの未亡人マリオン・メイヤーがインタビューに答えている↓
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ブリュセル Avenue Louise 430 グーグルより引用
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1月19日 展示の様子がデーブ・ブルエルによる動画でUPされました。
『断章 III』(右) 1966年 油彩画布、新聞、雑誌
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京近美のコレクション展で三島喜美代さんの展示(3月7日(日)迄)。初期油彩、よろしいですね。同館は三島作品油彩3点に続いて2019年に陶による近作を所蔵されており、「彼女は近年ますます国際的な評価が高まっている」と云う。陶の仕事はギャラリー16などで拝見してよく知っているけど、改めて油彩を楽しんでいます。油彩に惹かれるのは、わたし、古い人なのかな、「網膜の喜び」です。
『Work-64-I』1964年 新聞、雑誌、油彩、ボード
『作品 63-5-A』1963年 油彩、板
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『びら 2017』陶器、転写
『コミックブック 2017』陶器、転写
『新聞 2017・2018』陶器、転写
『かご 2017』陶器、転写、ステンレス
『パッケージ 78』1977-78年 陶器、転写
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昨秋、パナソニック汐留美術館で催された『分離派建築会100年』展が6日(水)から京近美に巡回(3月7日迄)。楽しみにしていたこともあり、コロナ禍での観覧制限発生(?)前に拝見した。建築の展覧会は、観せ方に工夫が必要なので、今回のベニヤを多様したチープな会場構成は、時代の雰囲気を現してまずまずの成果だと感じた。一次資料が収められたケースを留めるネジ釘が露出、模造木目と相まって、書籍や目録などが生き生きとしている。これは、堂々とした帝冠様式に立ち向かう自由主義の機運、とはいえ、分離派建築会を旗揚げしたのは「東京帝国大学」の卒業生たちだったので、おのずと、見方に制限がかかる。建築は国家や資本、権威に結びつくから「芸術」と宣言するのは難しい。---というか、続かない。
この部屋のみ、撮影可。こうした空間、パチリ好きには好ましくありません。
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雑誌、書籍、ポスターなどの一次資料がベニヤ仕切りの中、展示品で覚えておきたいのは、後藤慶二『辰野博士作物集図』油彩・1916、建築断片の『旧豊多摩監獄の煉瓦片』採集・1977 1983、正面図に影が入り図面が絵画であると知る--矢田茂『卒業制作 職工長屋 正面図』1920、大判で迫力あふれる--『東京中央電信局 小パラボラ アーチ頂上のフロッタージュ』採集・1968などの他、模型では瀧澤眞弓「山の家」1921/1966、「紫烟荘」2020、「東京朝日新聞社社屋」1988、彫刻でオズヴァルト・ヘルツォーク『アンダンテ』1918、モジリアニみたいなヴィルヘルム・ケレームブルック『もの思う女の頭部』。写真雑誌の誌面展示(18頁分)で堀野正雄の「鉄橋に関する研究」、写真網目印刷が表現技法に認められた感---ちょっと複雑。会場パチリが出来なので、個人的には盛り上がらないのだけど、毎日新聞社による「実写 関東地方大震災」の25分におよぶ映像には釘付けとなりました。
寒いので、Café de 505 の焼きカレー 火傷しそうだけど旨い、休憩の後、再度、入場。
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連日の寒さに凍えながらの健康散歩、2021年スタートからの平均は4,275歩。ノルマ未達ではありますが風邪ひきよりはましなので許してください---と、自分に言っております。壬生寺にお参りし御本尊延命地蔵菩薩の真言を「オンカカカビサンマエイソワカ」(類まれなる尊いお方と云う意味だそうです)と念じて、チャリン、無心であればよいのかと。
そのあと、新選組壬生屯所跡の「八木邸」を横目に、急いで帰宅、寒おすな。北に上る道は坊城通り。最近まで四条通りと交わるバス停を「四条坊城」と呼んでいたけど「壬生寺道」に変わってしまいました。観光忖度よりも歴史を残してほしいですね。
坊城通り 下れば(写真とは逆方向)島原大門に至ります。