銀紙書房新刊の背固め工程は25冊を3ロットに分け4回塗布。やっと最終ロットの塗布2回を残すまでとなった。マラソンに例えればグランドに戻り、最後の100mといったところでしょうか。平行して表紙接着も進めています。この後、カバーと腰巻きを造り、半券貼付け、限定番号とサインを入れれば完成。…… 年内にはお知らせできると思います。
銀紙書房新刊の背固め工程は25冊を3ロットに分け4回塗布。やっと最終ロットの塗布2回を残すまでとなった。マラソンに例えればグランドに戻り、最後の100mといったところでしょうか。平行して表紙接着も進めています。この後、カバーと腰巻きを造り、半券貼付け、限定番号とサインを入れれば完成。…… 年内にはお知らせできると思います。
● 忙しくしております。
伏見人形
● 忙しくしております。
写真家をパチリ
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杉浦正和さんの写真展が麩屋町五条上ルのギャラリー・メインで催されている(12月10日迄)。サイケデリックな色彩あふれる大判プリントが壁面に整然と連なっている。写真家の目線を頂戴したような感覚。アジア特有の湿気まつわる街の昼と夜が、ジャングルかと錯覚させる猥雑さで幾重にも重なっている。昭和世代としては懐かしい感覚。不思議な写真群である。
早く紹介したいと思っていたが、銀紙書房本の制作で拝見するのが遅れてしまった(本日を含めて会期は残り3日)。昨日、拝見。作者が会場にいらっしゃったのでパチリ。1960年生まれだから還暦前後の取材(ベトナム、2019-2020)であるようだ。── とすると、写歴に裏付けられた失わなかった「欲望の眼」。写真集のあとがきから引用すれば
外界との接触をカメラで仲介し、時間が経つのを忘れるほど夢中になり。感情の奴隷になった時に、生きているという実感が湧き出てきます。
「感情の奴隷」の体験を観る側も共用してしまう空間となっていた。招待状やポスターで使われた廃墟で「存在」を主張するような「犬」の写真、写真家は「犬」に何を語らせようとしたのだろう、森山大道、安井仲治につながる名前として杉浦正和が記憶される。「生きているという実感」なんですよね。
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奥様と楽しみました。前回は→ https://manrayist.hateblo.jp/entry/2022/12/13/060000
シュルレアリスト・瀧口修造は1903年12月7日富山県で生まれた。今年は生誕120周年にあたる。この夏、氏の造形の仕事を京橋のアーティゾン美術館で拝見(ABSTRACTION展)した。よりすぐりのバーント・ドローイング、デカルコマニー、ドローイング、ロトデッサンなどが暗箱を連想する部屋に並べられていた。光を待っている真珠のように清楚なたたずまい、その多くは個人コレクター旧蔵の品と聞く。観せていただけたことに感謝したい。
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『勝利の女神』(大理石、1836-1845) クリスチャン・ダニエル・ラウホ(1777-1857) 作者はドイツの人、「勝者に月桂樹の花輪を投げるヴィクトリア」だそうです。
清家さんのコレクションへの思いをうかがった。
7月に家人と東京へ出掛けたのは古くからの友人・清家克久さんのコレクション展を拝見することだった。
in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.262021.12 カトリック西陣聖ヨゼフ教会 竣工: 1949年 設計: ウィリアム・ニーリー(宣教師建築家) 木造切妻屋根教会堂 「スパニッシュ風S字型瓦、スタッコ仕上げ壁、人造石研出仕上げドリス式オーダー三連アーチ入口」
ウィキによると本作は1911年設立のメリノール宣教会(アメリカのカトリック海外宣教会)の日本での活動にともない京都市北部に設置された。
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[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』
糸縢りは昨夜で残り五冊となりました。パピヨン縢りの作業ではどうしても糸が絡み夕食後のビール頭では手戻りが発生します。加齢のせいかもしれません。作業の簡単なメモを書いておきたい。
[一冊につき]
印付 2×13+4×2=34
用紙カット 13
穴開 4×13=52
縢り(糸164cm) (12×2)×4本=96
合計 195回
25冊 × 195 = 4,875回
これでは指が攣ってもしかたないですね。
今週中にチラシカット、貼込み、糊付けへ進みたいと思っています。
12月2日はサドの祥月命日。夜の10時に亡なくなったというから、時差を考慮すると日本では3日の朝6時。シャラントン精神病院、1814年の事である。サドはマン・レイの精神的師匠であり、小生も強く惹かれてきた。若い頃は澁澤龍彦訳で多く読んだ。後にマン・レイよる油彩『サド侯爵の想像的肖像』を知って彼の敬愛を受け取った。油彩の下部には遺言からの一節が書き込まれている「…… 余の墓の跡が地表から見えなくるようにしてほしい。人々の心から余の記憶が消し去られることを願うが故に」(マン・レイの墓がそのようになってきたのは暗示的である)
サドが亡くなって145年目の命日の日にシュルレアリストたちがジョイス・マンスールのアバルトマンで『サド侯爵の遺言執行式』を催した。その1959年12月2日22時からの式の招待状現物を昨日、市内某所で拝見した。エフェメラ好きにはこたえられない代物だった。日本の京都でサドの死と対面できるとは、「肉筆の原稿や書簡」もあり狂喜乱舞。展覧会は来年2月4日(日)まで、完全予約制で開催される。