パリから三週間 最近の郵便事情

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パリ第六大学の近く、左端の青い日除シートのある古書店に…… (グーグルストリートビューから引用)
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 7月からスペイン、フランス、ドイツ、アメリカとネット購入を再開。国際郵便の送達状況も回復してきた感触を持ったので、9月後半、パリの古書店シュルレアリスムの展覧会カタログを注文した。ちょっと珍しい品で、お値段もそれなり。

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店内の様子 ブルトンの『シュルレアリスムと絵画』もありますな (グーグルストリートビューから引用)。

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 依頼して直ぐに追跡番号の連絡を受け、LA POSTEのサイトで確認すると「物流プラットで準備中、できるだけ早くお客様にお届けします」とあり、翌日の9月30日には「準備が整いました。運送業者に引き渡されます」の表示。通常ならシャルル・ド・ゴール国際空港から関西国際空港まで5日程なので、気楽に到着を待っていたら、いつまでたってもステータスの変更がない。古書店側からは、遅くとも12日までには「届けられます」の報告だったが、次第に不安になってきた。注文は至急便での依頼、その間に、9月21日投函の別の荷物(普通便)が届いたりして(所要23日)、あきらめモードになってしまいました。到着予定から30日をすぎると保険扱いが出来なくなるし、調査を依頼しても、彼の国は「暖簾に腕押し」だから、かないませんなと、落ち込む日が続いた。最近の国際郵便の状況を郵便局に問い合わせても「一ヶ月ほど待たれている方もいらっしゃいます」との返答で埒が明きません。一日に何回も検索してしまいました。

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 そして、やっと21日の早朝(4時55分)、大阪国際郵便局に到着した模様。三週間を要したのですな。追跡番号を入力して、ステータスが変更された時には、ほんと、安堵しました。

 その後は早かったですね、9時38分には通関が終わり12時過ぎに京都着、16時には配達に回り、拙宅受領が18時32分。日頃の行いが良いからでしょうね。ありがとうございました。それで、封筒をパチリして品物を取り出した。

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23.6×15.5cm 6pp. Catalogue of "EXPOSITION SURRÉALISTE D'OBJETS" 1936 at CHARLES RATTON

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 この展覧会に、マン・レイは5点のオブジェを出品している。

サン=シュルピス教会

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13.4 × 8.8 cm

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 最近は絵葉書を熱心に集めているが、対象はマン・レイが最初にパリに滞在した1921年〜40年の間。これより前の絵葉書全盛期は街と人に親近感が乏しく、躊躇が多い。年代と通りを限定すると、なかなか見つからないのでストレスもたまります。ここに掲げたのはマン・レイのアトリエ近くのサン=シュルピス教会を扱ったもの(廉価でしたから)。教会正面に向かって右に入るとフェルー通りになるのです。

  マン・レイは自伝で次のように描写している「サン=シュルピスの巨大な教会そのものは、パリの最も醜悪な教会のひとつとみなれていた。たぶん理由はそれがゴシック様式のものではなくて、十八世紀における古典主義への回帰の産物だったからである。古代ギリシャの建築様式のすべてが次々に重ねられていた。つまりこの教会ひとつにドーリア様式、イオニア様式、コリント様式が重ねられていたのだ。頂部にはふたつの丸い塔があり、その様式は優美たらんとめざしたものの、かなり雑種的な様式で、片方は未完成だった。最後に手がけた建築家がそこから飛降りて自殺してしまって以来、完成していなかったのである」(『セルフポートレイト』千葉成夫訳 380頁)

 

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終わりなきパリ -6

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『アトジェ 失われたパリ』展案内状 at ツァイト・フォト・サロン 16.5 × 12 cm

 

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マン・レイのスタジオを訪ねたページ

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 帰路は6月14日8時パリ離陸のエアフランス便、チューリッヒ日本航空便に乗り換え、アンカレッジ経由で成田、そして伊丹へと戻りました。雲海から望んだ富士山にほっとしたのを覚えています。成田離婚にならずの楽しい新婚旅行、良い時代でしたね。

 

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アンカレッジ

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パノラマのパリ 

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28.2 × 10.9 cm パノラマカード: チュイルリー公園とカルゼール凱旋門

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 アラン・レネの映画『去年マリエンバードで』のシーンを彷彿させます、パリは謎ですな。ルーブル美術館のエジプト部門では二人で迷子になりました。

 

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終わりなきパリ -5

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ノートルダム大聖堂内陣、2019年の大火災には心を痛めた。

 

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『1981年「この一点」展』1981.11.30-12.19 at アテネ画廊 15 × 10.5 cm

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ミロのビーナス(前2世紀頃) at ルーヴル美術館

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憧れのパリ、絵葉書

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8.9 × 13.9cm ノートルダム大聖堂セーヌ川

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 ここに挙げた二枚の絵葉書は、2006年に旅行した前後に入手したもので、硫酸紙に入れスクラップブックに貼った。街の表情には人気のアングルがあると思うが、上図などは特に好きなパチリ、行きたいですな。コロナ退散、ほんと、思います。

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8.9 × 13.8 cm サンジェルマン大通り

終わりなきパリ -4

1982.6.10 ウィーン7時10分離陸のオーストリア航空便でデュセルドルフへ、ここでエアフランスに乗り換えパリに入る。f:id:manrayist:20210910142826j:plain

ウィーン空港

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 花の都では、サクレクール寺院、ラパンアジル、エッフェル塔と見学の後、グルネル橋左岸のニッコー・ド・パリに宿泊。さっそく、パリに滞在中のY氏に電話をして夕食。牡蠣と肉と赤ワイン、最高でした。

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黄金のジャンヌ・ダルク騎馬像 at ピラミッド広場

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カルチェラタン

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シャンゼリゼ大通り

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 パリでの幸福な出会いやアンドレ・ブルトン『ナジャ』への関心は、拙著『マン・レイになってしまった人』1983年、あるいは『マン・レイへの写真日記』2016年に詳しく書いた。

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怖いもの見たさ in デン・ハーグ

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8.8 ×13.8 cm Den Haag-Gevangenpoort

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 オランダ、デン・ハーグにある拷問博物館(?) もともとは中世の刑務所で、ギロチンが行われた広場などのある場所、コレクションは1875年に始められたと云う。「焼印、処刑刀、親指スクリュー、ラケット、ピロリープレート」など刑罰や拷問の道具が展示されている。画像の「鉄の部屋」の道具、用い方は判らないが(想像は出来るけど)、怖い。ウィキには「痛みの部屋、診察室、独房棟、騎士の部屋、女性の部屋など、さまざまな歴史的な部屋を見学することができる」とある。怖いものも観たいけど---

 

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終わりなきパリ -3

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 第二次世界大戦中ドイツ・ナチス軍の秘密工場に使われたウィーン近郊の地底湖ゼーグロッテや近郊の教会を観光。地底湖では働かされた馬は眼が見えなくなったそうです。

 

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田中長徳写真展『WIEN』案内状 14.9 × 10.1 cm at ツァイト・フォト・サロン

 

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ホテル・ザッハのテラスでザッハトルテをいただく、美味しい。

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7 × 14.8 cm

 

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楽しいですな

ウィーン ナッシュマルクト

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POSTKARTE 8.9 ×13.8 cm  ナシュマルクト市場と馬車鉄道

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 ナッシュマルクトはウィーン6区で、有名なリンクの外側、分離派会館の近くと思うが、この絵葉書に写っているのは1910年前後の風景であろう。ここは1774年から続く全長500メートルの並行する通りからなるウイーン最大規模の市場。遠景の尖塔はシュテファン寺院、画面手前右端にホテル・ゴルデネスラム。フランツ・ヨーゼフ1世統治の良きウィーンですな。

 

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8.7 ×13.7 cm

終わりなきパリ -2

1982.6.8 ローマ7時離陸のアリタリア便、ミラノを経てウイーンに入る。

 

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ウィーントラム N系統(Friedrich-Engels-Platz-Prater-Hauptallee間) 4407

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ナイトツアーのお遊び

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オペラ座

f:id:manrayist:20210910142548j:plainウィーン市庁舎

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ウィーン大観覧車より

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シェーンブルン宮殿外 赤十字休息所

切手と消印があればこそ

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8.8 × 13.7 cm Livorno - Piazza Carlo Alberio e Via De-Larderell

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 イタリア・トスカーナ州の都市リヴォルノフィレンツェの西、リグリア海に面した港町でイタリア・ルネサンス期の理想都市と称された。画面のグラヅィーキ広場(現在の共和国広場)は、1881年〜1930年初期、リヴォルノ路面電車の重要分岐点として賑わった。

 それにしても、エンタイアは、アリバイ証明のようでよろしいですな。

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8.7 × 13.7 cm

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 ポルトガル北部の港湾都市ポルト・ノヴェンプロ通り15番地をグーグルで検索しても様子が異なり過ぎて、撮影地の確信が持てません。通りに掲げられたサインは「女性のための健康」、いつの時代もこれですな。葉書の文面、よく読めません---

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終わりなきパリ -1

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海老坂武著『パリ─ボナパルト街』の腰巻きを外してペタリ、こちらも「異色のパリ日記」at maruman SCRAP BOOK NO.579  26sheets

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 海外旅行が出来ません、京都からも同じです。感染予防に注意しながらの静かな時間を過ごしています。暇ですな、そんな訳で、1982年のスクラップブックを広げウイーンやパリへ行った頃を思い出しています。39年前は新婚旅行でしたから、小生も希望に満ちあふれておりました(ハハ)。紙面には書籍の帯(腰巻き)や絵葉書、キップなどをベタベタ貼っておりました。今となればもったいない気もするのですが--- スクラップブックのタイトルはジャコメッティの版画シリーズ名を拝借し『終わりなきパリ』とした。1982年6月7日、フォークランド紛争(7日イギリス軍地上部隊上陸)の影響で欧州航路が大混乱する中、伊丹から成田で乗り換え、JALでモスクワ経由ローマへ。

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東京−モスクワ 午餐: 牛繊肉ステーキ松茸ソース、ポテト、えんどう豆、パイナップルサラダ、フレンチドレッシング、ピーチトリアノン、ロールバター、日本風味、コーヒー、紅茶、緑茶

 

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東京−モスクワ 軽食: 鮭冷製、ソーセージ、ロシア風サラダ、川鱒、のり巻き、ロールバター、コーヒー、紅茶、緑茶

 

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日本航空機内食メニュー 26×12cm 三つ折り 表紙: 靉嘔『21世紀への接近』1979年 シルクスクリーン

 

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モスクワ−ヨーロッパ(ローマ) 午餐: キャビア、若鶏のソテー照焼ソース、バターライス、生菜、モスクワ風ドレッシング、ペイストリー、ロールバター、コーヒー、紅茶、緑茶

 アルコール類はスコッチ350円、ワイン350円、シャンペン920円、ビール120円。「氷はタダ」だと云う友人のアドバイスに従い空港の免税店でジャックダニエルを求めチビリ、チビリと長い飛行時間に耐える。本来はウィーンに入る便だったが、ローマ経由に変更、おかげで、ちょっと見物。観光案内は出来ないんですよと添乗員。ホテルはサンタンジェロ城近くのヴィスコンティ・パレス、まずは「終わりなきローマ」です。

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ローマ 1982.6.7 

バームクーヘン by クラブハリエ

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 近江八幡の和菓子処たねやが母体のクラブハリエが売り出したバームクーヘンは、多くの人に受け入れられ、今では滋賀県を代表する銘菓。おすそ分けで先日頂戴した。ふわふわとして美味しいですな。焼き上げる機械の開発が大変だったと聞きました。

 

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