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美術館の地下3階へ降りて行くと、「撮影OK!!」の看板。先日訪れた京都国立近代美術館と同じように、展示場でカメラを自由に取り出せるのは、嬉しい事である。---あちこちで、シャッター音が響く会場では、作家になった気分を満喫できるので、どなたも楽しげで。「SNSで展覧会の様子をシェアしませんか?」と云う森村泰昌の呼びかけは、彼の制作意図と合致しているように思う。
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自画像の美術史(レオナルドの顔が語ること)
青春の自画像(松本竣介/わたしはどこに立っている1 及び 2)
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自画像の美術史(マグリット/三重人格)
「第4章「私/わたし」の傷みによって世界を革命せよ: フリーダカーロ」の部屋
自画像のシンポシオン
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昨日報告した発表時の体験の他、森村泰昌の仕事に注目するようになったのは、美術評論家・中村敬治さんからの影響も大きかった。氏の著作『現代美術/パラダイム・ロスト』の表紙を飾ったのは雑誌「ニューヨーク・ダダ」のローズ・セラヴィからの引用であるし、マン・レイとの関係が想起されるザヤスが剃りマン・レイが撮ったデュシャンのポートレイトである「星男」のシリーズなど、マン・レイ好きとしては、痺れる展開であった。森村にはマン・レイのシリーズ(雑誌で発表、オリジナルの展示は未見)もあるので、いつか、拝見したい。その時には、彼にとっての「わたし」と「私」について考えてみたいと思う。
だぶらかし マルセル
なにものかへのレクイエム(創造の劇場/マルセル・デュシャンとしての私[ジュリアン・ワッサー氏撮影のイメージに基づく])