マン・レイ写真暴落 at クリスティーズ・パリ

パリでのオークションをライブ観戦していたので今朝は寝不足(時差▲7時間)。『マン・レイ 私は謎だ。』(2004-2005)や『マン・レイと女性たち』(2021-2023)といった展覧会に作品を貸し出してきた国際マン・レイ協会のマリオン・メイエが自身のコレクションから凡そ200点を売りに出した。リタイアしたとはいえ気にかかり一ヶ月は他の仕事にかかれなかった。ロットの全貌を掴んだのが3月23日で、これまで現物を観てきたので記念にひとつは落としたいと検討をしておりました(円安で泣きながらですが)。そして電子カタログのダウンロード準備が4月4日に整った(最近は紙のカタログは発行されないようですね)。デッサンと手紙を狙うかと思案、すると、オークションハウスから写真作品11点の「出品取下げ」メールが入ってびっくり、確認すると電子カタログの利用はクローズとなっている。この経緯は推測になるので、ここでは書かないが「なるほど」と合点がいった。電子カタログは翌日、該当ロットを除き誌面(?)を変更して再開。

 「出品取下げ」は2点増え、13点、日本時間午後9時全180点でセール開始。ここでは、写真作品の落札結果についてメモする。最初はそれほど悪いと思わなかったが、写真があがるとオークショナーの進行が暗い、落札予想価格の50%に満たないものが続出、凡そ76ロットで最低予測をしたまわったもの52点と多数、平均106.64%(上限の74.31%)。レイヨグラフの作例も同じように悪い。後者でも9ロットで6点未達の平均77.98%(上限の49.70%)。輝かしい出品歴があるにもかかわらずである。 冷やかしで写真をビットしいたら良かったかも知れない(後の祭り)。

 写真の最高額は『アングルのヴァイオリン』の120,000ユーロ(1,990万円)、レイヨグラフは80,000ユーロ(1,326万円)だった。

岸田良子展 at galerie16

「CAMERON」キャンバスに油彩 P80号 2024年
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「TARTANS」連作(2010年〜)の仕事を続けられている岸田良子さんの個展をgalerie16で拝見した(13日迄)。今年は特にカタログを制作されたので、どんな着想で作られたか関心を持った。良いですね、作品が葉書サイズのカードになって、手にした者も「自由なアプローチ」ができるようになっている。各回の案内状、画廊での作品配列にしたがって箱に入っている。彼女が連作の着想を得た「イギリスで刊行された図版集」の本歌取り、カードと箱の関係は1970年代から続くので懐かしく嬉しい。

左から「HEY」「LESLIE」キャンバスに油彩 P80号 2024年

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岸田さんが在廊されていたので、サインをお願いした。限定200部、ありがとうございます。

『マン・レイ── 開放的な写真』at フォト・エリゼ ローザンヌ

photo by Steven Manford

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 レマン湖畔(スイス)の美しい街ローザンヌの鉄道駅に隣接して建つフォト・エリゼでマン・レイの大規模な写真展『マン・レイ── 開放的な写真』が3月29日(金)に始まった(8月4日(日)迄)。

 昨年12月、ネットの新刊案内で同展カタログが紹介され、個人コレクションによる大規模なマン・レイの写真展開催とあったので予約を入れ情報を確認していたところ「謎のコレクションから200点あまり」とされたのが「EXE COLLECTION」によると知って驚いた。「エクセコレクション」といえば2002年から2003年にかけて日本国内5箇所(東京、浜松、山口、帯広、京都)を巡回した『マン・レイ』展で披露された日本の投資会社の持ち物ではありませんか(推測)。未見であればスイスまで出掛けねばと思っていたので、危うくセーフ。

 写真史家でマン・レイ写真の専門家スティーヴン・マンフォードが、会場風景をインスタグラムで紹介している(4月3日)。彼のPOSTを読んで、さらにびっくり、エントランスの真っ赤な壁面全体にちいさな文字で解説が書かれている。前段の仏語に続いて英語で、作品の貸し手、及び、関連出版物とマン・レイ・トラストの間で「和解」したとある。画像から読み取るのは細かすぎて出来ないが、該当するコレクションについて以下の3点が強調されている。

(1) 作家の財産から持ち出された。
(2) 作家の歿後に作成された。
(3) 印画紙の裏面にゴム印が押印されたものについても、歿後焼付ではマン・レイの美的、芸術的意図と一致しないものがあり、作家が生前一度も焼付に使用しなかったネガからの作成が含まれる。

 続いてマン・レイ・トラストの所有権、著作権について言及されている。原文と会場風景をマンフォード氏に許可をいただいたのでアップしておきたい。

manfordmanray
PHOTO ELYSÉE


THE EXE MAN RAY COLLECTION AT PHOTO ELYSÉE, LAUSANNE

THIS IS SURREALISM. WALL TEXT PUBLISHED AT THE EXHIBITION, AS SHOWN IN THE ABOVE INSTALLATION VIEW. SEE 2ND INSTALLATION VIEW IN THE PREVIOUS POSTING:

"The Man Ray 2015 Trust declares that exhibition of this Collection by Fondation Plateforme 10 and publication of an associated publication by Thames & Hudson are both authorized as part of a "quitclaim" settlement agreement between lenders of the Works and the Trust.

In the opinion of the Man Ray 2015 Trust: This settlement waives legitimate title and copyright claims upon this collection. The Collection consists of works that may have been, without authorization,

1) removed from the artist's estate,

2) created posthumously,

3) stamped; Some of the posthumous prints may be inconsistent with the aesthetic and artistic intent of Man Ray, and some are from negatives that Man Ray had never used for printing during his lifetime;

This exhibition and related publications do not affect, diminish, or invalidate the Man Ray 2015 Trust's title and copyright infringement actions against others.

It is specified that these possible actions by the Trust in no way concern Plateforme 10 and / or Thames & Hudson or its publishing partners."

photo by Steven Manford POST 674  

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 1987年にマン・レイの写真展を開催したエリゼ美術館がフォト・エリゼの前身で1985年設立(2020年10月〜2022年6月まで新館移転の為に休館)。コレクションの写真は10万点を超えるという。今回のマン・レイ展と平行してシンディー・シャーマンの写真展も開催されている。

 今展のプレスリリーフには、マン・レイの写真をどのように参照するかが重要で、プルーフを基本にオリジナル、コンタクト、ヴィンテージなどのプリントについて簡単な説明がされている。ここで、レイヨグラフを例に写真画像の再作成(Countertype)にも触れられるが「奥歯に何かが挟まっている」印象ですな。


 マン・レイ展のカタログが届いたら、改めて報告したい。

 

PHOTO ELYSEE Place de la Gare 17 CH-1003 Lausanne (グーグル・ストリートビューから引用、感謝申し上げます)

マン・レイとジュリエット

拙宅小展示中央のオリジナル写真(?)は、1991年3月8日〜4月14日の会期でパリのトリニ画廊で催された『マン・レイとジュリエット』展の案内状。

自室で毎日観ている写真は ── 遠来の客人が若き日にパチリしたマン・レイのお墓(10 年程前に頂戴した)。伝記作家のニール・ボールドウィンは「なんの飾りもない盾型のベニヤ板」のマン・レイの墓参りをした日を書き残してる。

「突然、ジュリエットは部屋の反対側にいる私を分厚い眼鏡ごしに見つめて、『マン・レイのお墓参りに行きましょうか?』と言った。…… ここ何年来、目の具合が悪いうえに、湿気のせいで背中も痛かったらしい。厚手のセーターを着こみ、カールした髪にスカーフを巻いて、用心深く優雅に舗道を歩くジュリエットはまるでネコのようだった。よく知っている建物(モジリアニのアトリエ、ジュリアン・アカデミー、ルフェーブル・フォワネの店、エズラ・パウンドのアパートなど)の近くにくると、私の肘を手でそっと押し、指さして教えてくれたが、それ以外はほとんど口をきかなかった」(ニール・ボールドウィンマン・レイ鈴木主税訳、草思社 1993年 325-326頁)

 客人によると「ルフェーブル・フォワネの店は、もう存在しないらしいが、1980年頃にはまだあったと記憶している」。