マン・レイ: 発明家、画家、詩人 1974年〜75年

愛しのマン・レイ展 出品: 350, 349 / 345, 344, 346 / 壁面 343, 348, 351, 356
 別れが近くなった老巨匠への挨拶展が、友人のウイリアム・コプリー、ローランド・ペンローズらの尽力でニューヨークのカルチャーセンターを手始めに、ロンドンとローマで催された。

(1) マン・レイ: 発明家、画家、詩人 ニューヨーク文化センター 1974年12月19日〜1975年3月2日 
(2) マン・レイ展 ロンドン、現代美術研究所 1975年4月11日〜6月1日
(3) マン・レイ: 眼とその分身 ローマ、パラッツォ・デル・エスポシジオーニ 1975年7月〜9月

 この巡回展では『マルキ・ド・サドの想像的肖像』を用いたローマ展のポスターなど各会場で注目すべきエフェメラが登場している。ここではマリオ・アマヤが企画したニューヨークの例に触れたい。評伝を著したニール・ボールドウインによると、アメリカ中の個人コレクターから作品を借りてくるよう主張する作家に「やはりブルックリン育ちのアマヤはマン・レイのことを『ぶつぶつと切れるような話し方をし、かすかにブルクリンなまりの残るアクセントでしじゅう突飛なしゃれを言う、短気で怒りっぽい毒舌家』と評した」そうである。それはそれとして、ニューヨークの展覧会では、今展に出品されている『破壊されないオブジェ』(cat.347)や『ブルー・ブレッド』が、ミュージアム・グッズのように造られた。小生、実は袋に入った青いバケット(ブルー・ブレッド)を、1990年代の初めに注文したのだが、売約済みで玉砕。写真だけを持っているのです。白い光沢紙に薄く刷られた「白の舞踏会」とする招待状(cat.345)には夜9時に白いドレスで出席されたしとある。マン・レイとリー・ミラーがパリの舞踏会でフィルムを投影した夜を再現しようとしたのである。再現は難しかったとアマヤは、回想している(『眠り姫物語』銀紙書房 2019年参照)。

* 会場撮影は関係者の許可をいただきました。感謝申し上げます。