東京富士美術館『愛しのマン・レイ』展・搬入作業 2025年1月----- 6月10日(火)から奥さまと出かけた「ベルギーとオランダの短い旅」のブログ報告を昨日まで続けてしまった。今年も熱中して入力作業、連載の三ヶ月間は異国の話題のみになってしまったこと、お…
3月23日で閉幕した『愛しのマン・レイ』展に出品された『自然絵画』の兄弟作を紹介しておきたい。上掲写真中央のタイトルは『コンポジション(黄+青)』(1960年頃)、カタログの解説に「マン・レイは、2枚の板の間に絵の具を挟み込み、押さえつけた後に引き剥…
3月末までフュルステンベルグ画廊の『マン・レイ絵画展』カタログと案内状を八王子の『愛しのマン・レイ』展に貸し出していた(no.222〜223)。1954年6月に催された会場内部の様子はポンピドゥーセンターのアーカイブに残されているので、カタログ記載の作品と…
愛しのマン・レイ展 出品: 290 月曜日から戻ってきた作品・資料を確認し元の場所に戻す作業を続けている。三ヶ月皆さんに観ていただいた緊張から(?)疲れが残ったようなモノもあり、クリーニングとバック紙の入れ替えの他、ジグソーパズルに悪戦苦闘しながら…
愛しのマン・レイ展 出品: 322, 221, 358, 335花冷えの30日(日)、朝九時、八王子から四ヶ月ぶりに作品・資料200点が帰宅。ポスターなどの状態を確認しつつ受け取る。気持ち良く作業を続け二時半終了。皆様お疲れ様でした。感謝申し上げます。 ----- 無事の帰…
八王子 10回目の夜。駅前ユーロードの居酒屋・多摩一でひとり打ち上げ。いろいろあった展覧会だった。「年譜を拒否し、謎のままで生きたマン・レイ」は、今回の企画に賛同してくれただろうか? 自伝の記述と歴史的事実との突合に、どれだけの意味があるのか…
展示品には案内状、パンフレット、絵葉書などの紙モノが多く、傾斜台に滑り止めをかませての展示だったので、汚れがないか確認しつつ、ファイルに戻す作業を延々と続ける。 ----- ロッテルダム、ボイマンス=ファン=ベーニンゲン美術館 1971.9.24-11.7 撤収作…
マン・レイの生涯をトレースした大規模な(?)『愛しのマン・レイ展』も本日最終日。正月明け11日からの天気は良かったものの、2月後半から3月にかけ雨や雪など天候不順にみまわれ、やきもき。しかし、口コミやテレビ放映、37回に及んだギャラリー・トークの効…
『愛しのマン・レイ展』最終日、やっとお天気良くなりました。京都駅8時13分発、のぞみ76号で新横浜経由、八王子へ向かう。 ---- * 会場撮影は関係者の許可をいただきました。感謝申し上げます。
10.4×14.7cm----- 上掲のサン=ジェルマン=デ=プレ教会は、大通りに面した高級ブラッスリー・リップからパチリしたのだろうか…… マン・レイの生涯をトレースした展覧会の会場が頭から離れない。
会期中に嬉しいことが幾つもあった。捜し物が見付かり随喜の涙を流した他、マン・レイ狂いの友人、スティーブン・マンフォードからモンパルナス墓地のマン・レイ墓石が修復された写真を3月5日(水)に受け取ったことは、格別のニュースだった。 「2019年にモン…
東京富士美術館での『愛しのマン・レイ展』は昨日(23日)17時閉幕。都心から離れた美術館にお越しいただいた皆様有難うございました。様々なご意見、励ましのお言葉をいただき、感謝申し上げます。 銀紙書房として、この催しを記録する書物を造らねばと思いつ…
1951-1976 自伝『セルフ ポートレイト』(美術公論社、1981年)から、マン・レイの言葉(千葉成夫訳)を引き写したい。 住んでいる場所の影響をうけて、この通りの絵をかなりアカデミックに描いたが、写真でもそんなふうに撮っただろうという絵になった。(382頁)…
1940-1951 自伝『セルフ ポートレイト』(美術公論社、1981年)から、マン・レイの言葉(千葉成夫訳)を引き写したい。 彼女の客のジュリエットは、山羊のような顔立ちで、眼尻の上ったどことなく異国的なところがあった。彼女も美術界に出入りしていて、わたし…
1921-1940 自伝『セルフ ポートレイト』(美術公論社、1981年)から、マン・レイの言葉(千葉成夫訳)を引き写したい。 展示は二週間続いたが、ひとつも売れなかった。わたしは狂乱にとらわれんばかりだったけど、有名な画家たちだって認められるまで何年も闘っ…
1906-1921 自伝『セルフ ポートレイト』(美術公論社、1981年)から、マン・レイの言葉(千葉成夫訳)を引き写したい。 少ないけれどもまずまずの定収入を確保するため街で三日働き、週の残りの日は家で、絵を描き、読書をし、愛しあい、将来の生活、叶うならば…
愛しのマン・レイ展 出品: 313, 354 / 360, 358 友人宛に青いボールペンでマン・レイとジュリエットがサインした絵葉書を入手した時、小生が『マン・レイになってしまった人』(銀紙書房、1983年)を上梓する折に、頂戴した彼女のメッセージを思い出した。それ…
愛しのマン・レイ展 出品: 350, 349 / 345, 344, 346 / 壁面 343, 348, 351, 356 別れが近くなった老巨匠への挨拶展が、友人のウイリアム・コプリー、ローランド・ペンローズらの尽力でニューヨークのカルチャーセンターを手始めに、ロンドンとローマで催さ…
愛しのマン・レイ展 出品: 319, 320, 321銀紙書房が出版社のピエール・ベルフォンドと、マン・レイの対談集『こんばんはマン・レイ』(1972年)の日本語版翻訳権を取得したのは1981年。紆余曲折があったものの水声社の協力を得、旧知の松田憲次郎、平出和子両…
愛しのマン・レイ展 出品: 324, 330, 331, 333 / 328, 329, 332 / 323, 326, 325, 327 マン・レイが評価されるようになったのは、ダダ発足50周年が過ぎてからで、仲間の芸術家を撮った肖像写真からだと思う。しかし、本人は回顧展での写真展示を拒否し「写真…
愛しのマン・レイ展 出品: 307, 308 即興で造った『障害物』の写真(コプリー画廊、1949年)が案内状に使われている。こうしたエフメラが好きなんです。会期1971年3月11日〜4月15日。会場のシュザンヌ・ヴィザ画廊の住所(パリ、ブルボン・ル・シャトー通り6番…
愛しのマン・レイ展 出品: 292, 293〜306(左) 20世紀画廊の購入申込書、アンナ・ド・ノエール 銀座のアテネ画廊でマン・レイの版画を買ったのが「マン・レイに狂った始まりだった」と、折りに触れお伝えした。今展の会場には画廊主の野村良平さんが「すでに…
愛しのマン・レイ展 出品:281, 282 / 275, 277, 280, 284 1970年代後半に鏡面アルミ板に作品「インジケーター」を朱色で刷った時代を感じるデザインのカタログを手にしたのは、美術批評家の中村敬治先生のお宅だった。板の手触り、反射の具合、しびれました…
撮影: 村中修----- スピーカー三人と参加頂いた皆様との記念写真。八王子で打ち上げをしたかったのだが横浜線が不安で散会。19:07 新横浜発のぞみ81号で帰京。時間調整に付き合ってくれた旧友のS氏と新横浜駅で歓談。有難うございました。静岡に入ると雨脚…
撮影: 村中修 ---- 展覧会のカタログに寄稿した「展覧会のエフェメラ」で、サークル画廊(ロサンゼルス、1944年)のカタログが展示・即売されたヴェネチアの大運河沿いのベニス・ホテルに言及した。トークショーでも紅白二分冊で刊行されたアランガリオのカタ…
撮影: 村中修 ---- トークセッションのスライドでは、最初にアテネ画廊で頂戴した『マン・レイ カラーエッチング』展の案内状を映してもらった。小生が展覧会のエフェメラから同時代に生きている臨場感を味わい、マン・レイにのめり込んだ原点。1975年6月時…
撮影: 村中修13:30開場、14:00開始 処: 東京富士美術館 本館 ミュージアムシアター パネラー: 石原輝雄、木水千里、宮川謙一 石原輝雄: 1975年にアテネ画廊でマン・レイ作品を購入したのがコレクションのスタートでしたが、それに至る撮り鉄、写真部、中部学…
3月2日(日) メモ-1 07:24---- 手前に東放射線アイロード、YouとIですか。関西の荒れ模様が伝わるものの、こちらは良い天気になりそうです。時間がとれたので京王電鉄をのぞく。「撮り鉄」が収集癖の原点なんですよね、トークセッションのウォーミングアップ…
3月1日(土) メモ-3 ジョイ五番街側の佐藤書房、戦前資料ないかしらと小一時間、昭和の古書店も少なくなりました。 ---- JR八王子駅北口から伸びる西放射線ユーロード。歩行者天国で絹の街、八王子の面影をとどめる花街に続くそうですが(そちらには行っていま…
3月1日(土) メモ-2食後、美術館での「はじめて点てる茶道教室」に参加した。講師は裏千家の阿部宗栄氏。茶筅でシャカシャカ、難しいですね。写真はみかねた小学生の師匠に点てていただいた「美しい泡立ち」です。心あらわれ午後のマン・レイ鑑賞に臨みました…