水ようかん by 仙太郎

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祇園梛神社

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 氏神様のこと、今日も暑そうですな。

 

 主神: 素盞嗚尊(すさのおのみこと)、配祀: 宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、誉田別命尊(ほんだわけのみこと)

 

「社伝によれば、 梛神社(元祇園社)は、貞観11年(876)京都に疫病が流行した時、牛頭天王(ごずてんのう)(素戔鳴尊)の神霊を播磨国広峰から勧請して鎮疫祭を行なったが、このときその神輿を椰の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであると言う。
 その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社(八坂神社)を創建する際、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会傘鉾の起源であるとしている。また、このことから梛神社は「元祇園社」と呼ばれるという。
 明治までは小祠であったが、明治7年(1874年)と昭和4年(1929年)の復興により現在の形が整えられたという。」

 

 播磨国広峰は現在の姫路市北部西播丘陵県立自然公園にあたり、素盞嗚尊と五十猛命を主神とする広峰神社が山頂にある。同社は八坂神社と同様に牛頭天王総本宮と称する。

 

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御供石(ごくいし)

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 梛神社の境内には、「祇園祭山鉾巡行のとき、この石の上に神饌をおき神にそなえたたもので、もとは下京区御供石町(万寿寺通烏丸西入)にあったが昭和7年に町内の役員・若者により」この地に移された。

 

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 水ようかん

 

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仙太郎本店

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 19日から土用の入りなので「あんころ」、これについては改めて紹介します。

 

 涼しい間にネット回遊--- ときの忘れものの7月21日ブログで鏑木あづささんが連載されている「関根伸夫資料をめぐって」の最終回を拝読した。資料好きのわたしとしては、手許資料の行末を考える。広く利用されるべきだが、紙もの・資料は破損と紛失の危機を常にはらむ。デジタル化させて紙面を判読するのがベストなのか、これでオリジナルの持つ訴求力は伝わるか? ケースに入れられたカタログ類を観る度に、心が痛む。鏑木さんの記述は以下。 

 

 「資料は資料であって、それ以上でもそれ以下でもない。だが、これが美術館に収まると、作品の従属的な存在とみなされることもあれば、ときに“作品以上の貴重品”として扱われ、所管する者が特権的に振る舞うこともある。そして彼らがそのことに充足するだけで、利活用しきれないまま存在そのものが可視化されなくなってしまう、という事態に陥ることさえある。しかし資料と作品は、このような関係でとらえるべきものではない。今後はどのような施設・機関であっても、資料を預かることによって生じる社会的責任と、その公共性が問われていくはずである。」

 

 彼女は日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイブにも参加されいる司書、アーキビスト。ときの忘れもののブログでは、以下の発表も紹介されている。