ダイビル 大正14年竣工、列柱は龍山石を使用
京阪電車の中之島線で渡辺橋駅へ。遠回りだが京阪は空いているので和訳をみっちり行う---実はマン・レイ・テキストの脱稿が伸び伸びで、手を入れ始めるときりがなく、最後には英語を忘れ、日本語だけで考えようかと追い詰められている。祇園四条から一時間、地上に出て中之島河岸のダイビル外壁装飾を見つつ国立国際美術館を訪ねる。6月20日から始まっていた二つの展覧会(23日が最終)をやっと拝見する。まず「慶応義塾をめぐる芸術家たち」展、展示は西脇順三郎、瀧口修造、飯田善國、谷口吉郎、イサム・ノグチ、駒井哲郎と云ったラインナップ。照明が的確なせいか、ケースに入った雑誌「馥郁タル火夫ヨ」が美しい。大きさがドンピシャだな、こんな雑誌を作りたい。奥に掛けられた瀧口修造の「バーント・ドローイング」の完成度の素晴らしさ、不安定な支持体にオレンジがかった赤がきいている、額の内側に断片が落ちていないのは驚きだ。そして、詩画集「妖精の距離」表紙に使われている光沢紙の経年変化の魅力。欲しいね。駒井哲郎のエッチングが使われた個展案内状も楽しみつつ、もう一つの展覧会であるやなぎみわの「婆々娘々」へ進む。今年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館代表でもあった氏は、NHKの番組でも紹介されるなどメディアへの露出が多く、会場の観客も多い。「現代社会に生きる様々な女性像からは、ジェンダー、老い、生と死、自己と他者との関係性といった我々の生活に潜む諸問題が提起されています」とは、チラシの文言だが、ダイアン・アーバス、シンデイー・シャーマン、森村泰昌といった先人達を見てきた眼は、物足りなさを感じた。作り物さかげんが眼に付くと、わたしの場合は作品に入れないのよね。最奥に設営された黒テント内に映し出されている映像を、遊牧民のようになって見入る若い女性達、大がかりな展示構成には、幽霊屋敷のキャッチさがあるのではと思った。これでは、芸術に必要な(わたしが思っているだけだが)、自己変革に遠いだろうな---
それから肥後橋まで歩いてカロ・ブックショップ・アンド・カフェへ。ホット・サンドイッチと珈琲で休憩。ちょうど「NEO TAO
次いで、心斎橋の大阪市立近代美術館心斎橋展示室へ移動。こちらの方は今日が初日で11月23日までが会期の「未知へのまなざし---シュルレアリスムとその波紋」展。マックス・エルンストの「博物誌」やジョゼフ・コーネルのコラージュを確認したかった訳。同展の企画意図には、吉原治良や前田藤四郎などのシュルレアリスムに傾倒した日本人作家の紹介があるようで、わたしも瑛九、花輪銀吾、平井輝七などの写真作品をあらためて確認した。今日の成果はエルンストの影響を強く受けたと云う前田藤四郎の仕事を知った事で、広告デザイン会社青雲社に勤め、リノカットと写真製版を融合させた作例に魅力を感じた。この人はわたしが準備中の「戦前京都の詩人達」に関係するので、さらに調査を進めたい。
その後、南森町に出て天牛書店、矢野書房などを覗く。今日もハナ書房に振られてしまい残念(お店の張り紙には、19日まで出張でお休み)とあった。予定を切り上げ、明るい内に帰宅。
国立国際美術館 B2F 展示室
カロ・ブックショップ・アンド・カフェ
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阪急電車・柴島駅付近、カロで求めた「文字百景」058号を読む。アオイ書房の志茂太郎に関連し「変体活字廃棄運動」を教えられた。片塩二郎のテキストに「活字好きとはいえ、志茂は誌面に印圧の痕跡がみれればいいといった幼い「活字喰い込み派」ではありません。ケルムスコット・プレスやダブス・プレスを十分学んだうえでタイポグラフィへの指向のつよい人でした。」あるいは「志茂は活字が書物の始まりであり、そのすべてであることを認識していました。印刷や製本は他人の手に任せても、文字組版だけは終生手放しませんでした。」と書いている。
阪急電車が桂川を渡る頃には、日も陰ってきた、遠くに愛宕山が見える。