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展望台から「死にゆく街」チヴィタ・ディ・バニョーレージョを望む。ルートは急勾配の歩道橋(1995年建造、鉄筋コンクリート)のみ、体力がなければたどり着けない。
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サンタ・マリア門 「オルヴィエートのモナルデスキ家に対するチヴィタ住民の反乱を記念して、人間の頭を前足で挟んだ2頭のライオンが描かれている」
[メモ]
街は交易に有利な戦略的位置にあったようで、紀元前(前9世紀〜前1世紀)に栄えたエトルリア人に起源を持つ。しかし、イタリア半島を縦貫するアペニン山脈の地質は「海の中で堆積、削り取り、山積みされた土砂が岩石化」したもので、チヴィタは粘土層の上に凝灰岩と溶岩からなる最上層が乗った構造、幾世紀もの間に川や大気、森林伐採などによる侵食、地滑りなどで台地を失った(中世には今の3倍ほどの広さで、3000人が暮らした)。そして、1695年に起こった壊滅的な地震によって消滅へのカウントダウンが始まった。幸い教会がある故にわずかに人が残り21世紀に繋がっている。
ここは、神秘主義的でプラトン的思考スタイルを持った13世紀の神学者ボナヴェントゥラ(1221(?)〜1274)、フランシスコ会総長を務め、のちに列聖となる)の出生地として知られる。