光誕祭 第131回

8月27日はマン・レイの誕生日。今年は彼の作品カードを紹介したい。パリの画商マルセル・フィリアスがポンピドゥセンターへ寄贈したのは、作家が備忘録的な確認カードとして1910年代を中心に作ったおよそ140枚のカード。売却や委託で手元から離れた油彩等を写真に撮ったり簡単なデッサンをしたりしてタイトル、サイズなどと共に記録、そして、裏面などに作品の最新所在が分かるようにメモをしている。これはマン・レイ研究の基本情報であるのだが、長く所在が不明でマルセルのところから現れた時には小躍りした(いろいろな噂が流れていたのですな)。2009年に寄贈され、近年、ネットでも公開されるようになった。便利な世の中になったものだ。

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カード12.6×7.5cm  写真9.5×7cm 表面

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 上図は「Invention(創案)」と題したミクストメディア作品(61×45.7cm)で、作家が初期作品に対して包括的なタイトル付けていた時代。1915-17年の間に5点の同名作を確認できる。本作は後に『自画像』と呼ばれるが、ダニエル画廊での二回目の展覧会で発表した様子を自伝で「とくに一点の作品は、『自画像』という題で、物笑いの種になった。それは黒とアルミ色の地のうえに電気のベルふたつと本物の押しボタンを取付けたものだった。中央部分には、手を絵具のパレットに付けてその手形を署名みたいに記してあるだけだった。ボタンを押してみた人は、ベルが鳴らないのでがっかりした」(千葉成夫訳)と言及している。1916年の年末から翌年1月16日迄のニューヨーク、観客が作品に参加する、良いですな。

 

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 裏面

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 メモからすると、ダニエル画廊から戻された後、妻のアドンラクロアのところに置かれ、壊れてしまったようだ。夫婦仲が最悪になりかけた時期で、マン・レイが家を飛び出した時に持ち出さなかったとも推測される。後に再制作され、プレキシグラスでの版画にも置き換えられている。

京都市電1860号のその後

2021.8.25

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 ときの忘れものの原稿に目処がついたので、資料返却に府立図書館へ。久しぶりの自転車ブラブラ。風があったので暑いのにもなんとか耐えられた。児童公園に置かれた京都市電は、コンシェルジュの役目をコロナ禍の為か、お休み。車体も車内もお疲れの様子でした。

 

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京都市電1860号

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前回報告は以下を参照

 図書館では曾原健一さんがレポートした鉄道ジャーナルのバックナンバーを閲覧申請したのだが、平成になってからの号しか所蔵していないとの事でから振り。帰りは白川沿いを気持ちよく下り、祇園を抜けて帰宅。

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曾原健一SLメモリアル -1

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C6217(糸崎区)  C59162(糸崎区)  呉線   ©Kenichi Sohara, 1969

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 多くの人に助けられてこの歳になった。── 京都から出られない毎日なので、昨日の本ブログでも書いたが、ネット回遊が最近の楽しみ。60年代に鉄道ファンとして過ごされたシニア組のブログを拝見して、懐かしく思うことが多い。
 名古屋機関区で知り合い、ご自宅がわたしの実家に近かったので懇意にしてくださった鉄道ファンの先輩に曾原健一さんがいらっしゃる。船舶設備の仕事の関係で海外航海も多く、日本に戻られた折などに長期休暇をとって撮影をしておられた。氏が撮られる蒸気機関車の写真はトライXを使って「鉄」の魅力を存分に表現した名作。沢山拝見し、沢山プリント(キャビネ版、光沢)を頂戴した。それをアルバムに貼ったのが下に示す「STEAM LOCOMOTIVE IN JAZZ」。写真集『大須』のような糸かがり本です。
 関西線の赤ナンバーC57最終運転のレポートを連名で雑誌・鉄道ジャーナルに投稿できたのも、氏のおかげだった。しかし、亡くなられたと聞いた。もう、氏がブログなどで写真を発表することは出来なくなったので、追悼の思いを込め、後輩が手元のアルバムから幾枚かを選び紹介したい。それらは1969年前後の撮影と思うが記憶が曖昧になっており、撮影地も分からないので、機関車データベース(http://d51498.com/db/)の助けをかり該当車の所属機関区を示しておきたい。

 

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27.2×19.7cm 26pp.

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C11311(姫路第一区)   ©Kenichi Sohara, 1969

 

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59669(大宮区) 八高線   ©Kenichi Sohara, 1969

C6244前補機

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函館本線 急行ニセコ C62重連牽引 

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 高校三年生の夏休みに北海道に渡り、C62重連牽引の急行ニセコを撮ったのは、良い思い出。最近、シニア組の「撮り鉄」サイトを楽しみにネット巡回をしているわたくしなのですが、同じ撮影地でカメラを並べてシャッターを押した先輩に気づいて眼をパチクリ(お名前を知りません)。大沼公園でスワローエンゼルのC622号機を撮った時に、近くにいらっしゃったのです。その方は小生より左手でカメラを構えられた様子ですが、写真のキャプションに「C622号機牽引の103レ 大沼公園~赤井川にて1969年8月25日撮影 手前に見えるのは小沼」と書いておられる。ユースホステルのスタンプを見ると、24日にニセコ、25日に大沼と宿泊、52年前の夏が蘇る楽しい趣味の世界です。

 記憶では1969年8月22日に撮影したのが、ここに挙げた一枚。C6244号機が前補機を務めたのは明白なのだけど、本務機はC623号機だっただろうか。アルバムが押入れの中なので確認しなくちゃ。 この方のブログによると「C6244号機は、動輪の軸受の発熱がひどく、乗務員の間では敬遠されて居た。車軸と軸受のクリアランスを0.5 mm以上にしないと発熱が収まらず、頭の痛い機関車だった。それが、1966年頃の全般検査から戻ってくると、ピタリと直ってしまった。それまでは、発熱故障で随分休んだので、「横着もの」と呼ばれていた」とあって、高校生では、ここまでの知識は持てなかったと思う(感謝)。

 

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函館本線大沼公園 急行ニセコ C622牽引 1969年8月25日筆者撮影

トラムつながり

8月14日(土) ─3 下鴨

 

都会好き、電車好きとなると、このような絵葉書を買ってしまいます。

 

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CARTE POSTALE 8.7×13.6cm BUDAPEST. Apponyi place with the "Clotilde Palaces". 1910-20's

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 画面上のブタペスト市電はガンツ社製と思われるが形式などは不明。同社は1844年創業で鉄道車両の電気駆動のパイオニアとして知られる。ネット検索によればブタペストの市電網は1866年から開発され、世界最大規模との事。20世紀初めには二つの会社が運営しており、車両に掲げる系統番号の偶数はBVV社、奇数はBKVT社として表した。
 絵葉書に撮られた場所は、アポニイ広場でネオバロック様式の双子の建物であるクロッティルド宮殿の後方にドナウ川に架かるエリザベート橋のゲートを確認できる。宮殿は鉄骨を石で覆った構造で、王冠のレプリカ状のものを屋根上に置き、エレベータ設置やガラス窓など、豪華さの象徴として当時の市民に親しまれた。ピューゲルの角度からすると市電は遠ざかると推測。

 

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ブタベストのデウナ通り 2018.6(グーグルより引用) トラムの設備は撤去されています。

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CARTE POSTALE 8.7×14cm MARSEILLE Rue Canneblène 1910-20's 

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 マルセイユ市電のルーツは1876年営業開始の馬車鉄道。路線の電化は1892年からで、1914年には100系統以上合計167kmの路線網に発展した。1950年以降は時代遅れとみなされるようになったが、大規模な改良工事を経て2007年以降復活。斬新な車両が投入され魅力的。

 ネット検索をしていたら國府久郎氏の論考「20世紀初頭マルセイユにおける路面電車ネットワークと都市化──絵葉書の分析を通じて(PDF) (『歴史地理学』2014.9)に遭遇。氏は「絵葉書における路面電車のイメージ」の章で、「遠近法を用いた写真絵葉書は無数に残されているが、路面電車と線路はその場面により立体感と躍動感を与えているかのようである」「カンヌビエール通りが主題の絵葉書では、マルセイユの写真家や版元は路面電車の架線に価値を見出し強調したー(略)ーこの地方大都市では、電線と電柱は科学技術の進歩の象徴として絵葉書に写し出されたのであった」と論じ、なるほど、その通りと絵葉書収集に邁進する、わたくしなのです(笑)

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マルセイユのカンヌビエール通り 2019.5(グーグルより引用) トラムの設備は撤去されています。

ロンドン今昔

8月14日(土) ─2 下鴨

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POST CARD 8.7×14cm OXFORD ST, LONDON 1910's

 

 

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POST CARD 8.7×14cm CHEAPSIDE LONDON 1910's

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 石の国の100年前の絵葉書を観ながら、グーグルのストリートビューを観ていると時を忘れる。上段のオックスホード通り306番地の建物は、ダン・ハリス・エバンス百貨店で、ネットで調べたところによると1階に一般的なカーテン、2階に女性用のマント、ジャケット、コスチューム、ミリナリー、地下に、カーテン、ラグ、陶磁器、ガラス、ノベルティ、文房具などが置かれていたと云う。 下段のチープサイドはセントポール大聖堂の右上にあたると思うが、図像右上の塔はセント・メアリール・ボウ。二階建てバスからの視点のようで興味深い。尚、2019年の二枚は筆者撮影による。早く、旅行が再開できますように、バーチャルばかりでは、ストレスMAX。

 

 

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PICCADILLY CIRCUS, LONDON 2019

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 LONDON TROOPS WAR MEMORIAL, LONDON  2019

 

絵葉書の楽しみ

8月14日(土) ─1 下鴨

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よく降りますな、「もう許してよ」の気分。糺の森での納涼古本まつりも二日目、三日目と雨天中止、なんとか14日(土)に再戦できたが、その後もパラパラ濡れる悪天候古書店のみなさん、ファンのみなさんお疲れさまでした。甲子園の高校野球も雨天順延が六度目になると聞く、コロナの緊急事態宣言対象も追加され、さらに大雨は続きそうで、全国の被害が拡大されないよう願う。さて、この先、いったい、どうなるの---

 

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寸葉さんに再戦した折の、絵葉書を報告しておきたい。

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 絵葉書の楽しみは、人々の間を行き来したアウラが今も残っている魅力だろうか? 100年程(消印、1926年9月13日)前のウィーンから名古屋へ宛て投函された一枚、カラフルな街と切手の意匠。図像のモニメントは1860年代にオースリア=ハンガリー帝国の海軍で活躍したヴィルヘルム・フォン・テゲトフ提督を讃えるもので、同市の北部プラーターシュテルンに建っている。円柱の両脇に飾られた錨と船のくちばし、尖塔の提督は高さ3.5m。グーグルで現存を確認できる。絵葉書の差出人はシェーンブルグ宮殿の西に住んでおり「富士山」が描かれたカードを所望しているようだ。絵葉書交換のネットワークがあったのかしら。

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9×13.8cm WIEN II Praterstern

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Postkarte 9×14.2cm Bad Altheide, Kurplatz

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  画像はポーランドにある温泉保養施設バッド・アルタイデ(現在のボラニツァ=ズドルイ、チェコとの国境近く)。消印がはっきりしないが1930年9月16日と読め、ベルリンで落合、出掛ける約束を交わすような文面(チンプンカンプンだけど)。歴史のヒダに入り込み、ゾクゾク。

『フリュイ・コンフィ』by アラン・デュカス

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LE CHOCOLAT ALAIN DUCASSE 
CANDIED FRUITS 150G TRIO OF CITRUS

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フリュイ・コンフィ トリオ ダグリューム 150g

コルシカ島のソヴェリア村では昔ながらの製法でオレンジ、シトロン、グレープフルーツのフリュイ・コンフィ(果物の砂糖漬け)を作っています。フリュイ・コンフィは一晩乾かした後、一つ一つカットしてカカオパウダーをまぶします。ショコラ・ノワールの薄いコーティングが果物の味を引き立てます。

[原材料名]
オレンジピール加工品(オレンジピールブドウ糖(小麦を含む)、砂糖)(フランス製造)、レモンピール加工品(レモンピール、ブドウ糖(小麦を含む)、砂糖)(フランス製造)、グレープフルーツピール加工品(グレープフルーツピール、ブドウ糖(小麦を含む)、砂糖)(フランス製造)、チョコレート、ココアパウダー/甘味料(ソルビトール)、乳化剤

(お店のサイトから引用)

 

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『マン・レイと女性たち』展 in Bunkamura magazine

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29.7 × 21 cm 6 pp. No.191 2021.8.1発行

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東京の友人がBunkmuraが発行している広報誌の8月号を送ってくれた。表紙は愛人だったキキに化粧を施しアフリカ・バウリ族の仮面を配した『黒と白』(1926年)。「今浮き彫りになる、マン・レイと関わった女性たちの真実」と題し、モデルとなった女性たちについて「それぞれが意志を持って人生を切り開いた」とアートライターの木谷節子が書いている。

 展覧会の会期も残り少なくなってきた。今展ではSNSなどでの情報発信が顕著であるが、展覧会が終了した後、サイトがどの程度つながるか、ちょっと心配。現時点で気になるもののリンクをはっておく。

 

Bunkamyra 展覧会メインページ マン・レイと女性たち | Bunkamura

Bunkamyra ミューズたち マン・レイのミューズたち | マン・レイと女性たち | Bunkamura

Bunkamyra インタビュー1(田口英之)、インタビュー2(生駒芳子)、コラム(飯沢耕太郎) 「マン・レイ」の魅力 | マン・レイと女性たち | Bunkamura

Bunkamyra 図録 &グッズ 図録&グッズ | マン・レイと女性たち | Bunkamura

河内タカ 河内タカの素顔の芸術家たち。マン・レイ — MAN RAY | 河内タカの素顔の芸術家たち。 | & Premium (アンド プレミアム)

美術手帖 様々な女性を手がかりにマン・レイの作品世界をたどる。「マン・レイと女性たち」展がスタート|美術手帖

PRTIMES 100年の時を超え、今新たなムーブメントを起こす鮮烈な表現力を体感!「マン・レイと女性たち」Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)にて好評開催中|株式会社東急文化村のプレスリリース

OBIKAKE  マン・レイと女性たち/展覧会レポート | OBIKAKE(おびかけ)

MCs Art Diary よかった!「マン・レイと女性たち」展 感想 Bunkamuraミュージアム | MCs Art Diary

アートテーラー マン・レイと女性たち | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

アートアジェンダ 真価を引き出す芸術家マン・レイの力 | FEATURE【アートニュース・特集記事】 | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ

 月刊アートコレクターズ 月刊 アートコレクターズ on Twitter: "明日7/13から9/6までBunkamura ザ・ミュージアムで開催の「マン・レイと女性たち」展を一足先に拝見。ダダイスト・シュルレアリストとしての側面はもちろん、多くの女性を惹きつけた洒脱でユーモアあるアーティストとしてのマン・レイにスポットを当てた展覧会と感じました。(田)… https://t.co/ow5E4FrSpJ"

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諸般の事情で拝見できない身の辛さです(トホホ)。

お請霊さんのお膳。

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8月13日(金)f:id:manrayist:20210815210424j:plain

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8月14日(土)

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8月15日(日)

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 行願寺(革堂)は1004年創建。大火の後1708年より寺町通竹屋町角に移った。現在の本堂は1815年に建てられ堂内には行円上人作と伝えられる本尊千手観音像を安置している(合掌)。

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 雨がおさまったので、下鴨糺の森の納涼古本まつりへ二度目の「参拝」、その後、健康散歩で寺町通りを下り四条烏丸まで、歩数10,300歩。おかげで月平均のノルマを満たすことができました。

『映画往来』昭和5年9月号

8月11日(水) ─5 下鴨f:id:manrayist:20210812125002j:plain

寸葉さんで絵葉書探索の後、ブラブラ。すると、戦前の注目雑誌『映画往来』と遭遇。小生にも手が届く価格帯で、巻頭口絵にマン・レイの映画『サイコロ城の秘密』の場面が使われているではありませんか。書誌情報には記載されていない案件(口絵です)だから嬉しい。パラパラと雑誌の頁を捲るのは、新しい出会いが潜んでいるようで、たまりませんな。--- これ、期待しすぎると外れますので、要注意。『映画往来』は他に二冊ありました。

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『映画往来』昭和5年9月号  表紙の仙人掌の意匠は、「マン・レイ・ハンド」のようにも見えますな。早速、会場で林画伯に報告。第34回下鴨納涼古本まつり初日→ https://sumus2013.exblog.jp/32394187/

 まさか、「これだけの本の森のなかから」氏が『古賀春江遺作展』のパンフレットを見付けられるとは→ https://sumus2013.exblog.jp/32395483/ これこそ神がかりな「手」ではありませんか(涎)。

銀幕のスターたち

8月11日(水) ─4 下鴨

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14.1×8.8cm 

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 マリオン・デービス(1897.1.3-1961.9.22)は、ニューヨーク・ブルックリン出身で1920-30年代にかけて活躍した映画女優。新聞王ランドルフ。ハーストにとりたてられてのデビューで演技力には乏しかったが、豪華な衣裳で注目を集めた。笑いのセンスには優れていたとも云う。ドイツの映画配給会社パルフアムの印が認められる。
  尚、1927年8月31日付で名古屋在のY氏に宛て書かれた本状は、絵葉書などのコレクターからで「貴方の探しているリストをドイツに送ってください」とある。1920年代の国際的なネットワーク、良いですな。わたしのリスト、だれにお送りすれば良いかしら(ハハ)。

 

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12.8×8.4cm 

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 グラディス・クーパー(1888.12.18-1971.11.17)は、ロンドン出身のイングランドの女優。1905年に舞台デビューし、写真のモデルとしても人気を博す。映画への登場は1913年、晩年に出演した『マイ・フェア・レディ』での老貴婦人役でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされるなど、生涯にわたって活躍した。
 ここでは、彼女を撮った女性写真家マーガレット・ウィアー・マーティン(1875-1958)に言及したい。純白の背景に淡い色彩で被写体を撮影する彼女のスタイルは、他の写真家にも多大な影響を与えたと云う。女優や子供の撮影に秀で、1910年代をリードした。

 

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 欧州の街並み探しの絵葉書旅が、女の人に至ってしまった。当然の成り行きなんだけど、ここに挙げた二枚などはマン・レイが参考にしたのではと思うほどの類似部分があり、しばらく、探したいと思っている。媚をうらない女性の表情、手の仕草、琴線にふれる青い目の人、居ないかしら。