2002.10.1-12.31 マン・レイになってしまった人

December 31, 2002

京都国立博物館
「大レンブラント展」開催

 

 

 

朝から自室の掃除。紙屑の中で、写真を見たり原稿を書いたりしている自分に、改めて呆れる。メモを読み返したりするので捗らないが午前中で打ちきり、自転車で京都国立博物館へ出掛ける。天使突抜を通って画箋堂に寄りチケットを購入、家から15分で会場に到着した。今回の企画は「京都で奇跡にめぐりあう」というキャッチ・コピーの『大レンブラント展』であるが、あまり関心がなかった。しかし、突然観たくなった。夜警のレンブラント、光と影の画家。チラシに書かれた「京都での開催後はドイツ・フランクフルトのシュテーデル美術館に会場を移す国際巡回展となります」に釣られたのかも知れないが、第一室にある『宦官の洗礼』(アエタス・アウレア財団所蔵)に早々と参ってしまった。物語性と華麗な絨毯のヒダにまとわるような光。「カラヴァッジオ的明暗による劇的な」反射部分の盛り上がりがすごい。こうした油彩の肌は日本人には真似の出来ないものだろう。そして、『ターバンを巻いた老人』ってマン・レイの写真と同じだと思った。過去の巨匠に影響を受けたと告白するマン・レイだが、レンブラントもその一人だと確信した。写真家も光と影を用いて「肖像画」を描くが、問題は油彩のようなマチュエールを獲得出来るかといった事。もっとも、レンブラント肖像画よりも物語絵画の方に、今日のわたしは惹かれた。肖像画ではスポット光だが、後者は光がやってくる空間の奥行きも表現されていると思う。後期の肖像画では人物が平面的に見えてしまうのだ。もっとも、余談だが、神話上の怪力の持ち主「サムソン」の力の源泉は切ったことの無い髪の毛だったと「目を潰されるサムソン」で知ったが、何時も行く理髪店の名前が「サムソン」で、ちょっと納得。

 油彩画の肌が再現されてなく不満をもったが、ポストカードを数枚買い求める。会場を出たところで、ラウル・ユバックの論文を仕上げたという東京在住のTさん姉弟にばったり。京都に住む弟さんと落ち合い、レンブラントを観てから故郷に帰るとの事。撮影の終わったフイルムを現像に出すため四条河原町へ。高島屋で会社の同僚だったM夫人に声を掛けられる。明るく元気な人だ。正月に飲むワインを物色して、数店覗いたが、結局、ENPTECA京都店で購入。「2000年は良い年」だとのお勧め、どんな味だろうと楽しみである。


December 30, 2002

昨夜カードを書き終えたら午前2時だった。今朝は普通に起きて残務整理に会社へ。午前中に済ませてわたしの仕事納めとなる。その後、烏丸四条の銀行へカード決済用の入金に寄ったのだが、金融機関は最終日で大混乱。ATMに60人以上の行列でビックリ仰天。書店で来年使う手帖を物色、昨年までは取引先から貰ったのを利用していたのだが、今回は自前。同じタイプを探し高橋商店の「ニューダイアリー3」を選択する。

 帰宅し風呂場の大掃除。ビールを飲みながら年賀状書き。悪筆がさらに進行して、酷い「謹賀新年」となってしまった。


December 29, 2002

家内の指示で朝から仏壇と神棚、座敷の掃除。掛け軸を『初日の出』に替える。正月の榊には松が入っている。神棚に鏡餅と御神酒を供え、台所の神様、三宝さんにも供える。もちろん三宝さんの鏡餅は三段重ね。トイレには星付きさん。丸餅にちょこんと「でべそ」のような物が付いている、家内の実家で初めて対面した時には驚いた。京都だけかな、名古屋では聞いたことが無い。

 横浜のT氏と情報交換。名古屋市美術館の「至近距離の星たち」展を観た氏の感想を聞く。碧南のS氏より電話。有線からヤフーBBに変更するとの事。掃除の後は年賀状の作成。これまでは年一回の作品発表と思い取り組んだが、今年は『カフェ・マン・レイ』展の案内状等を作成し発送しているので、気合い入らず。「メールで新年」も面白いと、そちらの方に重心が行くが、海外へのグリーティング・カードは大切なので、書き込む文句に苦労しながら準備をする。


December 28, 2002

今日で仕事収め。会社の12月度売上が目標の8%UPで、一安心して新年を迎える気分になった。年明けのテーマはいろいろあるが、リフレッシュしたい。請求書の郵送手配をしたりする経理部門なので帰宅は遅くなったが、今日は次女の誕生日。テーブルには名前の入った「ケー二ヒス クローネ」のチョコレート・ケーキ。これは美味い。次女は友達や姉から誕生日プレゼントを貰っていて御機嫌。


December 27, 2002

通勤のお供に新刊の『ダダ大全』(リヒャルト・ヒュルゼンベック編箸、鈴木芳子訳、未知谷 2002年12月25日発行)を手にする。初めて知る出版社。この本の中にマン・レイの最初の奥さんであったアドンラクロワの詩「トト・ヴァカ」と「エチオモンス」が紹介されている。音響詩、視覚詩といった範疇のものだが、時代背景を考えたいと思う。
 魚山堂に依頼していた『写真機写真関係文献目録』2002年秋号が届く。8075アイテムなので、あせりつつ楽しむ。友人のY氏が明治大学カメラクラブの『足ぶみ飛行機』をゲットしたというので、わたしの方も先日彼に見せてもらった『壁は語る』を注文したいと悶えたが、資金の都合がつかない。カード決済が出来ないと大変な事になってしまう。


December 25, 2002

カード会社からの請求書を開封して反省。1月6日にこれで引き落とされると赤残になってしまう。昨秋からの収入減の影響が抜き差しならぬ財政状況を作りだしている。一年間コレクター生活が続いた事が奇跡であるのだろう、この間の家内の頑張りに感謝。しかし、もうダメだ。


December 24, 2002

昼から家内と次女はケーキ作り。わたしも仕事を早く切り上げ、ささやかなホーム・パーティ。チーズをあてにワインで楽しむ。mini CAPRICE、COEUR de LION、boursin, BRESSE BLEU, SMOKED等をクラッカーに載せてワイワイ。子供達もチーズが大好き、今晩の人気はニンニクの入ったbourson。ワインは限定鋳造15,000本の丹波ワインをチョイスしたが失敗。近くの酒屋の管理が悪いためかもしれないが、薄くて味がないのだよね。---でも酔っぱらう。続いてイチゴ・ショート、デコレーションにゴデバのサンタを載せたのは次女のアイデア。家庭の味は生クリームもくどくなく美味。ロウソクを灯してロマンテックな聖夜。


December 23, 2002

家内指示のもとで大掃除。展覧会で使用した額などを納戸に片付け、定番の版画「アンナ」とRギヤラリーでの「マン・レイ展」ポスターを掛ける。別の壁面には山口県立美術館の「マン・レイ写真展」のポスター、現在進行形の資料があると楽しい。
 今年もそろそろ終わる。昨夜の写真を現像に出したが、夕暮れ時の街の様子が良く撮れていて満足する、さすがにリコーGR1v。シャッターを押した事を覚えていないのだが、阪急電車のスナップを見ると「先発 23:50」の掲示。車内では今井氏と長女が話をしている。

 一日遅れでゆず風呂、徳島産で二個入り「肌が感じる香りとぬくもり」に、ゆっくり漬かってリフレッシュ。おでんとビールで夕食。


December 22, 2002

久し振りに痛飲。今宵は「How are you, PHOTOGRAPHY? 展」のPHOTO PARTY。会場はART COMPPLEX 1928、二次会はカフェ・アンデパンダン。長女とも合流しワインやビールをグビグビ、帰宅の様子は記憶がとぎれて今、目覚めた、午前6時、『日録』への記入。NHKラジオが「新しい朝が来た---」とラジオ体操を始める。

 家内の指示の基に家の掃除をしていたので、展覧会を観る時間が遅れたが、ギャラリーマロニエ、アートギャラリー北野、ギャラリー三条、ギャラリー四季、同時代ギュラリー、小林裕史写場の6会場をいそいで観る。簡単なメモ-----鈴鹿芳康氏の「a history」に惹かれた。20年以上の定点観測、静市の自宅を遠景に自身を含めた家族5人の写真。子供の成長で比較できる時間と留まった時間。羨ましかったのは、三人のお嬢さんが写真作業に付き合っている事、氏に伺うと「レリーズを順番に回して撮影、それぞれ自分の番の時、表情が違う、年賀状を選ぶ時は多数決なんだ」写真を写す客観的な存在としてのカメラマン・父親と写される他者としての家族の関係から、お互いに写し会う仲間としての5人は素晴らしい、写真はすごいとあらためて思った。鈴鹿氏とマン・レイ、ポスター展の話。具体化したら面白い。

 古い知り合いの梅津フジオ氏と再会、旧作のリプリント。お互いに生き延びこの世界に留まっている事を喜び合う。全日の491を知っている人なんていないよなと感慨にふける。今井一文氏の奥さんとも再会、氏の写真「UNTITLED COLLECTIONS」を観る。氏は古い写真で色バランスで選んだと言うが、お互いが辿ったここ一年の出来事から写真を読んでしまう。今、セレクトしたのだから、今の情景が反映されるのは当然。
 年輩グループの写真より若い人達が面白い。古い写真の文脈では無い写真行為、来年参加する時には若い人達に紛れ込みたいと思った。ここに名前を記したい作者、出原和人氏は面白い。こんな写真を私も撮りたいと誘発される。又、有田恭子さんの写真はエロテックで、思わず会場写真を撮ってしまった。
 遅れて訪れた小林裕史写場。吉川恭生シェフの石焼きフォト(笑)、彫刻家の自由度が良い。知人の雰囲気と作品との関係。この文脈からのみ写真を観ることは間違いだが、この視点から観る事から逃れられない。正井彩薫さんの「空-mado 土-mado」は本好きの身には共感を覚えた。「気のすむままに、気のむくほうへ」なんてしゃれた言葉だ。手のひらサイズの豆本、しりとりフォト豆本「路傍のひと」と「ゆう闇の」の二冊。刊行はBIBLIO masai、刊行年に昭和77年の標記。会社のホスト・システムと同じだと、又、こだわった文脈で作品を観てしまう、反省。


PHOTO PARTY会場
ART COMPLEX 1928

 

 

 

 

7時からのPHOTO PARTYは大人数で活気あふれる。いろんな人といろんな会話。9時からバイトの終わった長女と合流。彼女は今井一文氏といろいろ会話。わたしはヨッパラっていてあまり覚えていない。-------『日録』を記入して又、布団に潜り込む。ここまで書いて1時間経過した。

 

December 21, 2002

用事で名古屋へ帰る。新幹線を名古屋駅で降り「きしめん」を食べるのがいつものスタイル。振り返れば鉄道写真に熱中した中学時代から食べてたな。懐かしく美味い。今日は終日強い雨降り、心配した事柄は、想像以上の回復で安堵する。

 時間を調整し名古屋市美術館へ寄る。クリスマスショウの馬場駿吉コレクションを紹介する「至近距離の星たち」を観るのが目的。短冊に先生の句---駒井哲郎氏の作品には「汗も拭かず見てをりし書をつひに買う」とある。作品それぞれの出会いの心象を想わせる句。作品に惹かれ手許にあつまった様子がわたしには良く解る。わたしは特に瀧口修造氏や野中ユリ氏の作品とその出会いに思いをはせる。天空の星であるような作品、素晴らしいクリスマスのショー、贈り物を頂いた。学芸員のYさんと話をしたかったのだが外出中で残念。
 学芸員のM氏やK氏との新しい出会い。M氏にはマン・レイの初期油彩と浮世絵との関連を解くキーワードをいくつか頂いた、感謝。そして、カメラマンのF氏と「カフェ・マン・レイ展」の話題。氏もこの『日録』の読者の一人であった。


December 20, 2002

通勤のお供に植田正治氏の『私の写真作法』(TBSブリタニカ 2000年、金子隆一編)を読む。プリントやカメラの事、アマチア精神は面白く本質である。金子さんの解説も適切。写真に熱中してきた人生をわたしにしても振り返る。自分で手に入れた最初のカメラはペトリV6F2で、友人の金原君はトプコン、先日、来てくれた杉浦君はコニカだった。ニコンやキャノンやミノルタで無いところが、わたし達のその後を暗示しているのかな。わたしのカメラ遍歴についても、いずれ書いてみたい。


December 19, 2002

雨上がりの湿気の中、ライトアップされた東寺の塔が綺麗。木造建築というか、木そのものの美しさに見とれる。カメラを持っていない時の方が、心に美がしみ入る。「ギヤラリーそわか」はその二件東隣という絶好のロケーションにあり、今年の「How are you, PHOTOGRAPHY?」の重要な発信基地。六時から和蘭画房の山岡寛氏による「写真の保存やマッティングの実際を学ぶ」の勉強会があった。作家がその作品を保存する方法の概要とブックマット制作実演の見学。解っていながら保留したままとなっている作品の保存の問題は、サラリーマン・コレクターとしては頭が痛い。マッティングに苦労したので、山岡氏の職人の技に見とれる。一ヶ月前に講座が開催されていたらよかったのに。しかし、保存よりも収集、ギャンブルの方に目が向く。先日お会いした東京のT氏にも「石原さんだって、作品は自分のものと云うより、今、預かっているだけなのだから、大事にしなくちゃ」と指導された。


December 17, 2002

京都写真クラブの有田さんと14日の写真についてメールでやりとり。有田さんがWEBデザインしている京都写真クラブのホーム・ページでも展覧会・食事会を紹介。参加した友人の杉浦幼治氏も写真ファイルを転送してくれる。今晩も遅くなり、ここで終了。


December 16, 2002

北九州市立美術館から『マン・レイシュルレアリストたち展』のポスターとチラシ到着。学芸員のMさんに感謝。メイン・イメージが『ミスター・ナイフとミス・フォーク』なので、先日の食事会との関連でニヤリ。酒も飲まず、真面目に14日の『日録』を整理する。これを、早く読みたいと思っている読者の顔がちらつくのよね。もう、夜中の3時となってしまった


December 15, 2002

京都新聞の朝刊21面(地方版)に展覧会が紹介される。
出品作品の後片付け。14日のライブ報告は後日。

 
December 14, 2002

『カフェ・マン・レイ展』終了して帰宅。吉川恭生シェフに感謝。

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<後日記入>

 カフェ・マン・レイ展会場

 

 

 

 

 カフェ・マン・レイ展会場

 

 

 

 
 車の無い生活なので、阪急電車で搬入。ショルダー二つに、大きな額となると大変な労力。タクシーにすればと思いつつ、歩き始めたので、そのまま、変更せず、途中で何度か休憩。展示は予定どうり進み、準備完了。ウインドウー越しにピロティのケース・展示品を眺める、ほどよいカーブで気持ち良い。室内にはマン・レイの渋みある内証的な声がエンドレスで流れ始め、彼がパリについた最初の日「ジャック・リゴーは電信柱に攀じ登り、アラゴンは見知らぬ家の呼び鈴を鳴らす、とても楽しいすばらしい時-----」と続く。私は自分のコレクションを感慨をもって眺める。想像上のモデルにどれだけ近づいたのだろうか。街路の向こうにサンシュルピースの塔は見えるのだが、通りは入り組み、袋小路に阻まれる。立ち止まって水溜りに映った、塔の先端をしばらく覗いているのが、今、この時なのだ。

 

最初にやって来たのは------






 最初にやって来たのは、ギャラリー16の坂上しのぶさん---食事会を楽しみにしていた人なのに調整がつかず残念、名古屋市美術館のカタログに関心を示して下さった。続いてジャズ・ブルースのSPレコード・コレクターである森田真さんとその家族。結婚前の二人とは美術館で偶然会ったりしていたので、美しい奥さんに「ウッドマン氏が好きなんです」と告白(?)されてうろたえた。詩人の賀陽亜希子さんはガルシア時代の同人で新編訳詩集『フランス詩人によるパリ小辞典』(白鳳社、2002年刊)を頂く。計画中のアイデアへの意見を伺い、フランス語の指南をお願いする。さらに、多忙な東京の経済人であるT氏が、この展覧会のために京都へ来られた。驚くと同時に恐縮。闊達な人柄で「同好の士だから」との言葉を頂く。ちょうど降りてきた吉川シェフに記念写真を頼んでパチリ。

 観客の登場にはリズムがあるようで、どうしても重なる。ゆっくりと話をしたい人達ばかりなのに、どなたにも失礼をして申し訳ないと思う。未知の観客には、こちらから話しかける事は出来ないが、名古屋市美術館のカタログを熱心に見てメモをとっている人。一日しかやらないと聞いて急いで来たという演劇青年。写真に関心のありそうな大人しい青年。でも、男ばかりだね。しばらくして、京都新聞の深萱真穂氏が森岡誠さんから教えてもらったと来店、取材を受ける。---翌日の朝刊21面(地方版)に写真付きでの紹介記事となった。「美術の幅広い楽しみ方を実践しておられる展覧会だと感じました」とは氏の言葉。  

 家内が来たので、カフェ主人の正子さんに紹介し食事会の会場へ、しかし、夜は参加出来なくて残念。雑誌『SUMUS』の林哲夫氏登場。世間話をいろいろ、カメラを構えたら帽子を被ってポーズ。手垢のついた古本を好んで描く画家は、独特の上手いエッセイもものにする、この人はますます注目され有名人になるだろう。「カフェ・マン・レイ」の常連客がいつものようにエスプレッソを飲む。その会話から正子さんがサッカー・フリークと知る。前田氏はお祭りだからとワインを飲み始める。ギャラリー16の井上さんも観に来てくれる。彼女も吉川シェフの食事会を楽しみにしていた人なのに調整がつかず残念。ネットで問い合わせのあった木下憲治氏は作品を持参。さっそく森岡誠さんに紹介し、京都写真クラブへの入会を勧める。


美しい詩集って---






5時前後になると食事会のメンバーも登場し、店は繁盛する。空中線書局の間奈美子さんと出会う。手紙での遣り取りは以前からあったが、初対面。結晶のような書物を造るこの人の指先をしばらく見ていた。新刊を二冊(「回文詩 心的奇天使」「拗音詩 喋語曲」)と彼女の造本によるウニカ・チュルンの『魔女文書』(ガレリア・アミカ 2001年刊)を頂く。後者にはベルメールのペーパー・オブジェが添付されている。彼女とも後日、ゆっくり話をせねば。
 インテリアデザイナーで画家の森岡和世さんが、1975年にロンドンのICAで開催されていた「マン・レイ」の展覧会で、油彩『天文台の時間---恋人達』を観ましたと、会場の様子などを教えて下さった。この作品を観なければマン・レイの油彩論に取りかかれないと思っている、わたしは、羨ましかった。でも、生の声が聞けて良かった。感謝。


好青年にしゃんた氏と
前田好雄プロデューサ。

 

 

 

 

  そんな混乱の中で食事会に突入。会場は集栄堂ビルの上階。乾杯を済ませ、わたしは直ちに作品を撤収し、自宅に持ちかえる。タクシーで戻るまで27分。近いけど気が焦るよ。

 総合プロデュースの前田好雄氏が店の名前に『カフェ・マン・レイ』を付けた経緯を伺う。わたしがこのオブジェとコプリー画廊の関係を参加者に説明。「ロサンジェルスの恋人達」にみたてた前菜を頂き、特製ワインをなみなみと飲む。メイン・ディシュは「鴨ロースソテー トリュフソース」「鹿フィレ肉のベーコン巻き」「アフリカ風猪のロースト」、美味い、食べかけあわてて写真をパチリ。ワインを飲む、飲む。二階に上がり旧友の高橋善丸氏、中部学生写真連盟時代の友人、杉浦幼治氏、山崎正文氏と再会。写真評論家の飯沢耕太郎氏といくつかの話。
 遅れて飲み始めたので、セイブしつつ推移。デザートはサティにちなんだ「三つの梨のコンポート」と正子さん特製の「チョコレートケーキ」。会場は盛り上がり酒宴は続く。ボトルのラベルにワインがしたたりちょっと良い感じ。酔っぱらいはじめて、写真をやらずに、それに見とれる。同席の先輩から楽しい話をうかがう。

 彫刻家である吉川恭生シェフは「作品は一人が気に入ってくれたら良い訳だし、じっと待っているもの。しかし、これは30人全員を一度に満足させなくちゃならないのだから大変。勝負は一瞬に美味いか、不味いかと決まる。一種のパホーマンスだね、プレッシャーがあって面白いよ」 料理が創造であることは、頭で理解していたけど、今宵は身体で感じた。そして、若いお二人の的確なサービス、川藤ちひろさんと福山美珠穂さん有難う。

食事会が一段落して笑顔をみせる吉川シェフ

 

 

 

 
ブルー・ブレッド」を呑む御機嫌の有田恭子嬢

 

 

 

 

 

 夜も更け11時半でお開きとなった。前田氏の一本締めはさすがにプロ(?) 上手だね。続いて『カフェ・マン・レイ』の前で恒例の記念写真。飯沢耕太郎氏のメカでパチリ----デジタル・カメラの威力はすごい。楽しい一夜だった。京都写真クラブのホームページでも紹介しているので、どうぞご覧下さい。

「カフェ・マン・レイ」食事会参加者

 

 

 

 
「カフェ・マン・レイ」食事会参加者

 

 

 

 

 December 13, 2002

明日は、一日だけの展覧会。天気が心配だが降水確率は10% 予想気温も10度。今日より暖かければ良しとしよう。最終の食事会参加名簿も森岡氏から送られてきた。作品が傷まないよう注意しつつ、気楽にやろう。
 マン・レイ・トラストのローラ女子からメールが入って、マン・レイの公式サイトの「展覧会ページ」に掲載したとの事。www.manraytrust.com どうぞご覧になって下さい。明日の展覧会のような催しが紹介されるなんてすごいぞ!  マン・レイが喜ぶ企画だとトラストの連中も思ったのかな。


December 11, 2002

冬は底冷えする京の街、夜はなおさら。地下鉄を御池で降りたら大垣書店の烏丸三条店がオープンしていてビックリ。スターバックスの北隣で、ウインドウも大きく洒落た造り。さっそく店内を一巡りして品揃えをチェック、まだピリットしないが、クリスマス飾りがディスプレイされていて、ニューヨークの書店---現物は知らないけど--のよう。雑誌でも買い求め、隣のスタバで若い女の子達を眺めながら、頁をパラパラやりたいな。

 帰宅すると、山中散生研究の黒沢義輝氏より『名古屋近代文学史研究』の資料が送られてきていた。連載を続けたら本として纏まるような意気込み。散生さんのこと、彼とゆっくり話しをせねばと思う。
 山口県立美術館より20日から開催される『マン・レイ写真展』のポスターとチラシが到着。コプリー画廊の「告示なしにあり続けるために」のような上手い黄色の使い方に感心。学芸員のMさんにお礼のメールを入れる。


December 10, 2002

森岡誠氏よりワイン・ラベルの追加依頼。 「カフェ・マン・レイ」展食事会予約が満席となった。

 会社の同僚だったカメラマン、馬場裕さんが撮影した可愛い「マナティ」の写真がアウトドアの雑誌『BE-PAL』の1月号に4頁載った。癒し系のとても良い写真だ。奥さんも一緒に紹介されていた。好きな事は素晴らしい。


December 9, 2002

作品プレートの印字を指示したら、連量が265gの用紙ではHPのプリンターで対応出来なく苦労した。名刺に使用しているケンラン栗茶225gの紙はOKであるのだが、色を変えた店内用が使えず長女にヘルプ。イラストレーターでベース色を指定し、ラベルに使っているフジフィルムの「画彩」にベタ印字をする。


December 8, 2002

終日冷雨。昨日に引き続き展示品額装の調整---ポスターを店の内装に合わせたワインレッドの台紙に入れ、スイスピンで固定。このアクリル版には高松次郎氏の作品『この七つの文字』を入れていた。今では、ポスターを飾る部屋の定番。スイスピンとの出会いについては、山本容子氏がエッセイで言及している。----と作品ラベルの原稿整理。細部にこだわってしまうので時間がかかる。幾つかの手紙を投函。気分転換に理髪店と家内に頼まれた買い物。傘をさして自転車、本屋で立ち読み。

 未知の読者から「カフェ・マン・レイ」展の問合せ、地図ファイルを転送する。中部学生写真連盟高校の部時代の友人二人も14日に行くとメール。しかし、食事会を楽しみにしていた横浜のT氏は新幹線最終との兼ね合いで断念。

 知立山崎正文氏が東京都写真美術館に『我が愛しのマン・レイ』の特装版に展示情景のスナップ写真を貼付し寄贈したと電話で報告---この企画は彼の発案であり、『マン・レイとの遠近法』刊行の起爆剤となった。古い友人は有り難い。


December 7, 2002

森岡誠さんから食事会の顔ぶれを知らせるメールが入った。定員までにはまだ7名の余裕がある、この日録を読まれた貴方どうですか!! 
 昼からカフェ マン・レイに行き展示の確認。やはり、コプリー画廊のカタログは開けた状態では入らない。しかし、この資料の左上に青色のゴム・スタンプで「Visit cafe Man Ray ONE NITE ONLY Dec13, 1948」と押されているので、どうしても出品せねばならない。5mm小さくしてパネルを作ればなんとかなるだろうと、帰宅し作業。


December 6 2002

通勤のお供は日比野秀男編集による『美術館と語る』(ぺりかん社 1999年刊)、先週のシンポジウムの前に読んでおくつもりだった本。対談が多くて読みやすく、内容も興味深く、面白い。


December 4, 2002

昼に以前会社のあった場所に行った。本格的な工事を待つばかりにきちんと整地されている。北側のマンションに良く陽が当たっていた。


December 3, 2002

アンドレ・ブルトンによって人生を変えられた者には、人文書院の社名は特別の意味を持つ。「ブルトン集成」を手にしてジャズ喫茶に潜り込んだ青春の日々、七冊目で中断した企画の再開を求めて、仏光寺高倉西入ルのこの書院に何度か手紙を出した事を思い出す。野中ユリ装幀によるその本は、「野の鍵」を開くような手触りをしていた。その手触りを再現した『シュルレアリスムと絵画』が5年前に刊行された時、出版案内状をわけてもらいたくて手紙を出したところ、編集部の松井純氏の親切な対応に接した。その後、葉書でのやりとりが何度かあったが、氏と会った、想像どおりの人だった。現在、人文書院は竹田西内畑町にある、私の会社から、自転車で5分のところ。


December 2, 2002

昨日のシンポジウムでは産経新聞の本田文氏による取材があったのだが、朝刊に「写真美術館の設立を 中京でシンポジウム」との見出しで写真付きの記事が掲載された。昨日、思ったのだが、どちらの集まりでも元気な若い女性がめだった。美術や表現に関する情報って、男達はどこでウォッチしているのだろう。濱田信義氏は「2,800円の価格帯での写真集を同世代が購入する。若い人達の写真は、自分が主人公で、自分の日常を見て欲しいといった現象」と発言されていた。
 
 昨日、探し当てたビデオ・ショップ「ふや町映画タウン」(電話075-213-3345)でもらった、タイトル順リストをパラパラ---高校時代に観た、ジャクリーン・ビセットの出演している青春映画を探す。タイトルを覚えていないのよね。

 帰宅した長女と世間話。彼女の話では「ストリート系でファッションに敏感な可愛い女の子達が、美術の領域に浸食してきていて、従前からその世界にいた女の子達がはじきとばされている」のが最近の実態らしい。ストリート系と云うのは、雑誌『mini』で代表される今風のファッションに興味をもった女性達を指すらしいので、本屋で覗いてみよう。わたしがやっていた70年代は、それぞれが自己表現をしなければ、自己が成り立たない切迫感に、突き動かされていたのだが-----


December 1, 2002

展覧会に出す「ウッドマン氏」の写真用のマット・カットを行うが上手くできない。昨日、45度で切れるカッターを購入しておけばと思いつつ、めったに使うわけないから、ガマンガマンと見送ったのが禍した。

シンポジウム「写真美術館を考える」参加者
小林祐史写場

 

 

 

 

 昼からシンポジウム「写真美術館を考える」に出席。築100年以上と云う小林祐史写場は雰囲気があって素敵。森岡誠氏が最初に70年代の人間は、美術館を否定する立場にあると発言---同感同感。基調講演は武庫川女子大学の松野精教授。氏は民間のシンクタンクで美術博物館立ち上げに関する仕事をしておられたので、行政の視点をいろいろ伺う事が出来て有意義だった。「経済が停滞している現状での新美術館というのは困難であるし、常に政治や都市間競争が絡み合ってくる。金も力も無い場合、アイデアの3割が実現出来れば大成功と云える」との指摘。京都写真クラブが求める「美術館」の意味からスタートしなければ。街中が美術館となる視点や写真のある場所での写真の見直しを運動の様に行うことによって美術館が自然発生する事もあるね、---などと、自由に意見を述べる勉強会の乗りで盛り上がった。わたしの発言は美術館の箱・物行政に対する否定的な見解と、兵庫県立近代美術館などの事を思い出しつつ、学芸員個々の資質の問題に言及。否定するのは容易いが、新たな構想を組み立てて行くのは困難と実感。立花常雄さんの写真のイメージが図書館に繋がると云うのも面白い。彼は写真の見せ方、扱われ方の例としてJDCの保存写真をつかった作家による1999年の展覧会を言及、興味を持った。

セミナー「写真集出版の問題を考える」会場
京都商工会議場2F



「カフェ・マン・レイ」展の案内状を持って、久し振りにアスタルテ書房に寄る。棚に大冊のカタログ「DADA AND SURREALISM REVIEWED」があったので、急いで購入。この本、1978年のArts Council of Great Britainでの展覧会で10,000部刊行されているが、文献資料好きにはたまらない魅力を振りまく。ギヤラリー16に寄り、井上さんと坂上さんに案内状を報告。ピンクの色が洒落てると喜ばれる。やはり、料理人吉川泰生さんにはプレッシャーかかるだろうな。でも、シンポジウムで吉川さんと「昨日の打ち合わせで、終わったような感じだね」と話したばかり。寺町二条の柿本で海外に展覧会を知らせる為のピンク色の和紙を物色。以前から使っている「美濃 もも 50」を選んだ。18時からの濱田信義氏によるセミナー「写真集出版の問題を考える」にも出席。写真集の初版は平均3,000部との事。終了後、帰宅して案内状の郵送をゴソゴソ行う。


November 30, 2002

前田夫妻、吉川恭生さん、森岡誠さん達と『カフェ・マン・レイ』展の打ち合わせを行う。メジャーを持ち出し展示スペースの確認。案内状も洒落た仕上がりで満足、森岡さんの好きだというピンク色が可愛い。料理のイメージも纏まってきた様子。みんなの話は、直ぐに横道にそれて面白い。この後は食事会料理人の吉川さんとFassinが一番大変だと思う。Fassinのパリからの帰国(?)は12日の予定、特選素材が楽しみ。30人限定の料理会だが、その顔ぶれでも横道ばかり。会場の下見・確認も行う。
 画箋堂で額装用のマットを購入。ワインラベルの印字を必要枚数行う。酔っぱらっていて4帳付けの微調整にてこずる。知立のY氏から設定完了したとメールが入ったので、返信を入れる。彼と電話で長話。そんな訳で、明日の「写真美術館」については考え纏まらず。


November 29, 2002

11月最終日、売上数値が予算までいかず、今一つ気合いが入らない。段取りも悪く帰宅も遅れた。マン・レイの事をゴソゴソしていて深夜になるのが常の生活を続けてきた。夜は強くて、なんともなかったのに。最近、11時を過ぎると突然睡魔が襲う。脳みそが酸欠状態。どうした事だろう、酒の飲み過ぎかな。
 
 先日のオークション結果が判明。55点のマン・レイ出品は、17点が不成立であった。わたしがビットしたのは、著名なアメリカのコレクターに宛てたマン・レイの手紙と3枚の葉書。「自由な手」を連想させるデッサンの入ったサントロペからの絵葉書や写真を使った葉書。手紙は内容が面白く、タイプ打ちでサイン入り。わたしもコレクターだから、マン・レイからの手紙をもらった気分になるかなと、勝手に想像したりしていた。しかし、結果は---わたしの指値のわずか上でのハンマー・プライス。FAXでの参加では、「クソー」と思うがしかたがない。しばらくしたら、古書店の目録に掲載されるのかな。いつか、再び、会えるだろう。今回も、エスティメートからそこそこ乗せてビットしたのだが、元々が低く抑えられていて、力に欠けるアプローチだったと反省。安く落ちれば儲け物と云うスケベ根性があったのだろう。不成立の作品を検討し、今後の作戦を練る。チャンスはまだまだあるはずだ。


November 27, 2002

サンタモニカからマン・レイ資料3点到着。未見の案内状で驚喜する。まずパリの右岸画廊、1959年10月16日開催のオープニング・レセプションの案内状。31.5 x 24cmの大判で観音開き。茶色のMAN RAYの文字、中にランプシェードの写真(1925年)刷りが貼り込んである。左にマルセル・デュシャンマン・レイ賛「マン・レイ 男性名詞、遊ぶと同義」右に出品作品36点の記載。裏面には11月の日付でニューヨークのアレキサンダー・イオラス画廊の案内。状態は悪いが品物はキュートで素晴らしい。
 次の一点は、ニューヨークのコーダー・エクストロム画廊、1965年10月30日開催のプレビューの案内状。大判、28 x 21.8cm。紐のコラージユ作品に「OBJECTS OF MY AFFECTION」の文字とマン・レイのサイン。洒落たデザインはマン・レイによると思われると古書店のコメント。同じ画廊の1963年の展覧会の案内状の方が有名だったので、驚く。---荷物を開け、初めて出会う、これが楽しい。
 3点めは、1998年10月、ロサンジェルス、ゲッテイ美術館におけるマン・レイ写真展「実際的な夢想家」展のリーフレット古書店は、以上の資料をしっかりとガードして送ってくれた。アメリカのビジネスは荷物や保険、ネットでの対応など、しっかりしているので安心。今回の品物には満足。コレクション・カードへの記入が楽しい。今年、この古書店から3回も購入した。インターネットのおかげである。感謝。


November 26, 2002

そろそろオークションの始まる時間(23時)。結果は瞬時に出るが、どうなるだろう。ビットの数値については、企業秘密だから公開出来ないが、FAXでは一発勝負、競争相手が他の出品作品に気を取られていることを期待するのみ。

 『カフェ・マン・レイ』展に関するメールが幾つか入る。モンテクレール美術館の学芸員ゲイル・ストラヴィスキーは返信に「来年2月15日のマン・レイ展オープニングで会えたらいいね、楽しみにしている」と云ってきた。一週間、アメリカに行きたいと身もだえする。


November 25, 2002

通勤のお供に赤瀬川原平氏の『目利きのヒミツ』(知恵の森文庫)をパラパラ。その192頁に「人間の目は猛烈に性能が良いのだけれど、その良さが禍いして、その物のまとまったイメージだけをすっと見ることがあるのだろう。一瞬にその物を見抜くことがある一方で、一瞬にそのイメージだけを見てしまう。だから猛烈に性能が良い一方で、簡単に騙される」という指摘があった。 この次は、鈴木一誌氏の『画面の誕生』(みすず書房 2002年刊)氏の仕事に注目する。

 展覧会をお知らせするメール発信をしたが、3人の方から返信あり。何時も横浜のT氏には感謝。今宵もカタログのイメージまとまらず。海外へ大事なFAXを送って就寝。


November 24, 2002

新日曜美術館荒木経惟『花人生』での陽子さんとの関わりのコメントを聞きながら「私写真」の事を考える。作家の写真でしか知らないけれど、陽子さんの存在、彼女の雰囲気が良いんだよね、眼帯をしている電通スタジオのOL時代なんて最高。出会いから彼女が開花する様子など、何冊もの写真集で魅了されてきた。陽子さんのエッセイにも影響された。わたしも、こんな出会い、こんなモデル、こんな妻と出会いたいと思ったりした。でも、愛する人を真剣に写真化すると、精気を吸い取ってしまうのかな、悲しいけれど、写真家の眼の不幸。

 リビングの掃除をしクリスマスの飾り付けを家族でやる。家内がトール・ペイントで描いたツリーやキヤンドル。玄関にもクリスマス・アイテムを並べる。京都文化博物館へ行き『吉川観方と京都文化』を観る、ろうじの古書市で掛け軸を物色、この世界も良いね。マン・レイを追いかける資金規模で、まだまだ面白い物が購入できそうだ、もっとも、両方は無理だからと断念。らぽっぽでアップルパイを買い、自宅でティータイム。展覧会のテキストを書き始める。


November 23, 2002

アドレス帳の整理やグループ登録をきちんとやらねばと毎度の反省をしながら、昨夜から展覧会案内をメールで発信。国内、国外共に別途メモ書きと思い時間がかかる。午後から『カフェ・マン・レイ』展の出品資料を納戸から取り出す---狭いスペースに乱雑に入れてあるので大変な作業。忘れていたポスターが出てきたりして、時間がかかる。


November 21, 2002

会社前の一角に欅が8本ある。紅葉が進み20メートル程の車道に落ち葉が重なっている。その上をカサ、ガサガサと自転車で踏みしめるのは楽しい。銀行へ行くつかの間の息抜き。

 サンタモニカの古書店からマン・レイの展覧会資料を4点見付けたとメールが入った。親切なリー嬢はわたしのホームページでコレクションを確認し、未収集品を知らせてくれている。ちょっと珍しいので日本に届いたら、このページで紹介したい。名古屋画廊からオークション資料が届いた、感謝。この結果もいずれ報告したいと思っている。


November 20, 2002

スムースの林哲夫さんが、資料を送ってきてくれた。竹中郁氏の1985年の著書、ノア業書の「消えゆく幻燈」その中に「マン・レイ「ひとで」の作者」という章がある。未見であったからとても助かった。


November 19, 2002

数日来『カフェ・マン・レイ』展のカタログ企画で悶々としているが、会社の前でカメラマンの今井一文氏と再会---なんと、 How are you, PHOTOGRAPHY?展に出品するとの事。彼の会場は「アートギャラリー北野」古くからの友人が参加しているとなると、私も来年は出品しなければと気合が入る、12月の熱気はすごいだろうな。
 京都写真クラブのシンポジウム 「写真美術館を考える」(12月1日13:00-15:30 小林祐史写場)でのパネラーを立花常雄さんに頼まれたので、考えを整理しなければ、でも美術館という箱物行政には否定的な立場なのよね、かといって開かれた美術館のイメージがまとまらない、気楽に何時も考えている事を話せば良いか。
 来年からの京都写真芸術祭プロジェクトのプレイベントとしては、濱田信義氏のレクチャー 「写真集出版の問題を考える-写真集出版に関する具体的な事柄を学ぶ-」(12月1日18:00-20:00京都商工会議所 第1教室)が楽しみ。銀紙書房と云うプライベート・プレスをやっている者としては、気になるのです----今回の「カフェ・マン・レイ」展のカタログは何部制作しよう、手作りの時間配分、売価とコスト等を考慮すると25部か50部かといったところか。


November 17, 2002

『カフェ・マン・レイ』展の紹介をホームページの目次に追加。カタログに使う作品と資料を複写、しかし、ストロボ等の機材も技術も無いので、しっかりとした写真が出来ない。紙焼きを見ながらテキスト構成を考える。
 書店でマン・レイとサティとの出会いから始まる本が気になった『トランスアトランティック・モダン 大西洋を横断する美術』(村田宏著 みすず書房 2002年9月刊)


November 16, 2002

長女と名古屋へ帰る。


November 14, 2002

風は冷たいが紅葉に見とれる毎日。先週は城南宮の桜が真っ赤に紅葉して、血の涙を流しているみたいだった。今日、銀行へ行く途中で、刈り入れの終わった田圃を見る。点在するドラム缶状の藁山。ちょっとしたインスタレーション、ちょっとした現代美術。
 galerie 16から小本章さんの展覧会『サント・ヴィクトワール山』の案内。会期は12月3-14日。「小本さんは最近ますます若々しい。制作活動も、作品も」(岡田潔)とあるので楽しみ。画廊のホームページは http://web.kyoto-inet.or.jp/people/art16/ どうぞアクセスを。


November 13, 2002

通勤のお供は中村雄二郎氏の対談集『現代芸術の戦略』(青土社、2001年刊)、工藤哲巳氏の発言に「デュシャンというのは、ネズミ講とシステムは同じなんです。ネズミ講というのは、贋ダイヤを介して会員を増やしていって一種のピラミッド型のプロセスを作る。------最後の作品は、あれは碁ですよ。」(P.102-107)とあって面白い。それで思い出したのだが、先週のお供であった『マイ・アート』の中でベルギーのコレクター、シルヴィオ・パールシュテインの話にマン・レイが出てきていて「60年代に幸運にもマン・レイに会った。マン・レイは作品を品物とよくとりかえたがっていて、毛皮なんかにもかえていた。彼は奥さんにあげるためにダイヤモンドが大好きで、こちらはダイヤモンド業だから、写真、デッサン、絵画、彫刻、オブジェなどととりかえて、私のマン・レイの大コレクシュンができた。」(P.263)と打ち明けている。この二つの話に何かの関連を見付けようとする態度は浅ましいと思いつつ、マン・レイデュシャンとの関係に言及する論考を執筆したいね。もっとも、世界中の文筆業者がやっているか---、ロベール・ルベルは成功した例なのかな?

 ヒルウッド美術館から「マン・レイ 観淫者/予言者」のリーフレットが到着する。マン・レイ・トラストのローラ女子は「青い裸体」をメインのイメージに使用すると知らせてきていたが、リーフレットでは痕跡を確認できなかった。パソコンで出力したような案内状も含まれていて、臨場感がたまらない。世界中の展示会場を巡ってマン・レイと対話するのが、わたしの夢である。

 寝不足なので、今晩はここで終了。お休みなさい--------(11時10分)


November 12, 2002

展覧会カタログに貼ってある
マン・レイのオリジナル写真
ウッドマン氏(1926)





パリの国立図書館で1962年に開催されたマン・レイ写真展のカタログが無事到着した。予測より早かったので安堵。カタログについてはホームページ「コレクション」の項で紹介する事とした。在パリのNさんにお礼のメールを入れ、祝杯をあげて酔っぱらったので、日録も支離滅裂。お許し下さい。

 古い友人のY氏がネットサーフィンを再開したと連絡をくれた。中部学生写真連盟の調査・追跡に執念を燃やす氏は、そうしたサイトがないから自分で情報発信をしたいと、元気な発言。実現すれば素晴らしい。彼が「日録」を始めたら、わたしのように写真集収集のライブ報告が加熱するかも知れないと期待する。


November 11, 2002

6時起床。名古屋始発6時50分の新幹線で京都に戻る。


November 10, 2002

京都市美術館
メトロポリタン美術館
ピカソとエコール・ド・パリ展会場





家族のスケジュールがやっと揃って、京都市美術館の「メトロポリタン美術館展」へ出掛ける。混雑が予想されるので9時半に会場へ。 わたしのメモから---モーリス・ドニって知らなかったな。 ピカソは上手い「アルルカン」と「盲人の食事」。ポスターの印刷では判らなかったが道化師のチェック柄の衣装を置き去りにして頬に手を当てた表情がしっかりと現れる、盲人の雰囲気と交互に影響する。青の時代のピカソの絵を見ると、いつも、この時代のピカソが好きだと云ったSさんの事を思い出す。 昔、マティスは理解出来なくて、名声に対する反撥があったのに最近は惹かれてしまう。形態が自然に映り色彩が網膜に心地良い、今日は「座椅子のオダリスク」のピンクオレンジの乳首と口紅の赤色が織りなす知的なエロティシズムにまいった。 キュビスムピカソとブラック、二人の違いとは?  ジャツック・ヴィヨンも良い、 ジョルジオ・キリコは男の子が好きになっしまう絵だと感じる、この大人になりきれないぎこちなさと背伸びの感じにプルトンも惹かれたんだろうな。 アメディオモディリアーニの3点、画家には個性が必要というか、個性を出しても良い時代がやっと現れという事か。「横たわる裸婦」のバストから眼もとにかけた官能にはまいる。 パリのエスプリ、お洒落でセンスが良いのはキース・バンドンゲンの「アヴニュー・デュ・ボワ、パリ」画面右下のサインに釘付け。 切り取られた日常の一瞬。空間を視線がなぞる、バルテュスの「目を覚ましたテレーズ」写真的でありながら、写真では再現出来ない、レンズと精神・絵筆の違いを突きつけてくる。 フランシス・ピカビアの「リュシー・デスノス」額縁にはおさまらない奔放さ、欲望と共にあるピカビア。

 今日の展示72点の内、何故か惹かれ、絵画の楽しみを堪能させてくれた一点を選ぶとしたら、ラウル・デュフィの「ニース、天使の入江の夕暮れ」(1932年)を挙げる。37.8 x 45.7 cmの小品であるけど、会場で眼が止まってしまったのです、「あれ、そよ風が椰子の葉を揺らしてる、光があるんだよ」。ここには革新性や美術運動などの肩こりが無い、キャンバスに「南フランスの陽光」が再現されているんだ。スライドを透過光で見た時の様な臨場感が、二次元のキャンバスなのに空間と奥行き、光、光。

 

紅葉が美しい岡崎公園






最高の秋晴れ。紅葉した岡崎公園から木屋町三条をブラブラ。リコーのGR1Vでパチり。久し振りの家族写真。麩屋町通三条上ルの晦庵河道屋に入ってお蕎麦をいただく。奥の席に着いたら先客で、美人の芸子さんと中年紳士が芳香炉を食べている。聴くとはなしに色街の話題、いいよなこの感じ。奥まった離れ風の一室、苔と灯篭、真上からの控えめな光り、ここにあるのは東洋の落ち着き。 新風館に寄ったあと、セカンド・ハウスでケーキ・タイム。「展覧会の絵で気に入ったのはミロだった」と娘。「デュフィは気に入ってる様子と思った」と家内。蕎麦屋の話しでは「店の雰囲気は良いけど、味はいまひとつだった」と母娘の会話は手厳しい。長女は本家尾張屋に軍配をあげた。
 
  帰宅して、早速にフィルムを現像に出す。どうもピントが甘い。人物が小さいとバックの風景にピントが行く。街写真に向くのか、幾何学的な描写に合っているのか、自然の凹凸や、離れた人物の顔にはピントが行かないと思った。次回はシングルオートフォーカスかマニュアルフォーカスモードをテストしよう。家族写真のデビュー戦は反省、反省。

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 名古屋で急用発生、6時50分の新幹線に乗る。夜、兄弟で食事。深夜のコンビニで「ブリキのおもちゃ館」一箱購入。ズーマー・レーダーのロボットをゲット。酒を飲まずお茶をカブガブ、神経が高ぶり、就寝出来ず。


November 9, 2002

京都写真クラブの来年に向けてのプレイベントがいくつか現れてきた。ぜひ参加したいと思うのは12月1日(日曜日)に開催される、シンポジウムとセミナー。森岡氏のメールでは---「写真美術館を考える」講師:松野 精(武庫川女子大学教授)セミナー「写真集出版の問題を考える」濱田信義 (美術書専門書店アムス支配人、出版社 青人社主宰)の2本立て。早速に申し込んだ。


November 8, 2002

夕食後、横浜のT氏から電話が入り東京の情報を聞く。画廊業界の底冷えの状況は深刻な様子、マン・レイに関する話題もあった。彼のアドバイスに従い大先輩のK氏に詳細を尋ね、電話する。マン・レイ作品の市場動向について氏の発言は「マン・レイの評価については、一番が写真、ついでオブジェ、油彩はその次だよ。でも、それだけやっていたら一点は欲しいよね」。 資金が無いので困ってしまうが、写真資料を送ってくれるとの事なので待機。チャンスはいつか来るだろうと自分を奮い立たせる。
 その他、マン・レイの展覧会カタログを郵送手配したとパリのNさんからFAX。また、探していたカタログが見付かったとニューヨークのストランド書店からメール。それぞれに返信メールを入れる。

 イラストレーターを使っていないので互換性が心配であるが、森岡さんにデータを渡すためIMACの作業。再度画像を取り込んだりしていたら午前3時を回ってしまった。


November 6, 2002

トロント大学のアート・センターからやっとカタログが到着した。カードの引き落としが22日で発送は24日。日本には二週間かかった事になる。この展覧会は特定の時代にスポットが当てられている---最初のレイヨグラム集「妙なる野」といくつかの写真。ニューヨーク時代のマン・レイの支援者であるフェルディナンド・ハウォルドに宛てたマン・レイの9通の手紙とハロルドからの1通を紹介した企画。2000年10月10日から12月9日までカナダで開催された。軽装でワイン・レッドの表紙に展覧会タイトルのシールが貼ってあるイメージの洒落たデザインのカタログは楽しい。図版の手紙をパラパラ拾い読み。久し振りのヒットである。

 それで、美術館のスミスさんにお礼のメールを入れる。彼女からの返信は以下の内容。
 「いつもメールを受け取る時は感激します、特に遠く離れた所からの場合はなおさらです。インターネットは人々を繋ぎますが、日本からのものはまったくありませんでした。良い状態でカタログを受け取っていただいた事を嬉しく思っています。」


November 5, 2002

今日から通勤のお供に「マイ・アート コレクターの現代美術史」(村田真佐子他箸、スカイドア、1998年刊)を読み始める。手袋を落としかけたり、携帯電話が落下したりと、三連休明けで仕事もバタバタ。業務ソフトの再インストールまで業者が手間取り、帰宅も遅れる。

 昨日の悪戦苦闘に対して「ページ・メーカの画像が劣化するのは当然で、画面上では位置決め程度に表示している、印刷段階で綺麗に再現するはず」と、今回も会社のSさんに教えていただいた。京都写真クラブの森岡さんも「EPSというファイルにしておくほうが印刷用にはいい---うまくいかなければいつでもメールでお送りください」と援助の手を差し伸べてくれた。帰宅してお二人のアドバイスに従い作業、まずまずのアウト・プットが仕上がった。

 10月21日から始まったマン・レイ展 "MAN RAY: VOYEUR/VOYANT"  ではしっかりしたカタログ等の印刷物は作成しなかったとヒルウッド美術館のバーバラさんからメール。最近はインターネット等で広報し、紙の媒体に印刷する習慣が無くなったように思われる。費用の問題もあるだろうが、ITは進行形の情報で便利である反面、研究者にとっては今後の事を考えると、耐久的な紙媒体の優位性を見直して欲しいと訴えたくなる。


November 4, 2002

物置からビックボーイの三脚を取り出し、「カフェ・マン・レイ」展の案内状に使う写真を撮影。紙焼きが上がりイメージを確認。マズマズの仕上がり。案内文も作り、一段落。スーパーで買い物、ついでに「ブリキのおもちゃ館」ボンネットのJ.T.Y.ラッキーバスが出たのでニコニコ。
 しかし、久し振りにページ・メーカーのソフトをいじったら、どうも上手く画像が取り込めない。昼からずーとテストしつつ、あきらめモードに、対応策があるだろうか。


November 3, 2002

妙心寺塔頭雑華院の一室








家人母方の法事に妙心寺塔頭雑華院へ出掛ける。先週の岡山とは異なる文化、家の違いもあるが、町のたたずまい禅宗の歴史もあるだろう。おうすをいただきながら、天井で揺れる蹲いから反射した光を見ている。本堂での法要、 渋谷厚保氏の力ある美しい声。冷たい風が室内を舞っているが気持ちは清々しい。庭の苔にしみ入る光、常滑焼きの大きな灯籠の存在。お経と線香の香り、そして、家族。続くもの続けられるもの。このお寺の空間であれば魂も落ち着くだろう。

 午後、ビールで酔っぱらってしまったが百万遍知恩寺の古本まつりへ。雑誌類をいろいろ探したが、何も見付からなくてホットする。帰りにギャラリー16へ寄って井上さんと京都新聞の記事や京都芸術センター茶会の話。坂上しのぶさんが中津川「すや」の栗きんとんを下さる。娘達のお土産---食後の会話がはずんだ。


November 2, 2002

one day exhibition
December 14, 2002
Cafe Man Ray
ワイン・ラベル案





 昨夜は長女のレポート検索とバッテングしてわたしのIMAC作業はお休み。彼女の話では英会話の授業でジェンダーに関したサイトを見付け、内容を要約し、グループで討論したいテーマを纏めるとの事、これを英語でやるんだから大変だと横目でチラチラ、父親は頼りないので家内に質問している。

 深夜、0時53分にFAXが入って目が覚める。サザビーズ・ジャパンの「日本人アーティスト 参考展示会」の案内。こんな時間にFAXするなよと思いつつ、ラインナップを確認。荒木経推(タカ・イシイギャリー)、草間彌生(オオタファインアーツ)、杉本博司(ギヤラリー小柳)、奈良美智(小山登美夫ギャラリー)、宮島達男(スカイ・ザ・バスハウス)、村上隆(小山登美夫ギャラリー)、森万里子(ギヤラリー小柳)、森村泰昌(シュウゴアーツ)、やなぎみわ(一色事務所)と云う顔ぶれ。レセプションは11月8日午後7時、東京だから行けないよ。オークションは11月12-13日のニューヨーク。落札価格を確認せねば。

 今日「カフェ・マン・レイ」のワイン・ラベル完成。レイアウトの微調整、HPディスク・ジェットの印刷設定等に手間取る。午後、ビンに貼って撮影の準備にとりかかり、案内状のレイアウトを検討。 気分転換で近くのスーパーへ。今日はズーマー・ザ・ロボットのブルーが出てきた。ブリント・カーは重複、でも可愛い。


October 31, 2002

月末、残業のお供を買いにデイリーマートへ行ったら、バンダイ製の「北原コレクション」を発見、関西でも発売になっていた。こちらの方は一つ295(300)円で、北原照久氏コレクションの1950年代ブリキおもちゃを原型としてプラスチック素材と完全彩色で再現したもの。商品ターゲットは20代から30代の男性で、とりあえず二つ買ってみる---スモーキングロボット(緑)とアメ車が出てきた。
 バンダイだからフィギュアがメインでお菓子は添え物----オマケにコーラ味のキャンディが一粒入っている。 ブリキの質感を出したとカタログには記載されているが、ゴム系が体質に合わない為か、このロボットに心がときめかない。色ブリキの不思議な光沢とは別物のチープさが、全身にまとわりついて、いただけない。キャンディもカライばかりで、後はいらない。
 次女とマーブルチョコレートをポコンと口に運びながら可愛いおもちゃの話しが出きる雰囲気が明治製菓の「ブリキのおもちゃ館」にはある。わたしにはフィトしない例、加熱するオリジナルのミニチュア化に潜む問題がここにあるだろう。もっとも、ゴム系フィギア・フェチの人達には、バンダイの方がたまらない世界かも知れない。子供時代の記憶に起因するが「ミニスケールで本物そっくり」と云うプラモデルがわたしはニガテなんだよね----

 この「日録」の熱心な読者である横浜のT氏から、昨日の「十二指腸潰瘍が再発」とした報告に対して「心配している」とメールが入った。心配をかけて申し訳ない、わたしの場合は自覚症状が無いので、危険なのです。患部の写真を見せられ説明を受けても、実感が伴わなくて、ビール飲みの生活を変えることが出来ないのです。今晩もクリーム・シチューを食べ過ぎ、大騒ぎをして家内と次女にバカにされた----


October 30, 2002

会社の定期健康診断で胃カメラを飲む。持病の十二指腸潰瘍が再発との診断。ピロリ菌がいる為かと検査---結果は二週間後。胃カメラは怖いけど、今回も上手使いのF先生にお願いした。とりあえず、サンタック錠、ガスロン錠、ムコスタ錠の三点セット30日分を受け取る。

 夕暮れの一時、席から外に眼をやると東の空には一面の黒雲、色付きかけた欅を西陽が照らし。その反射光がレースのカーテン越しに机に差しかかって来る。仕事の手を休めしばし楽しみの気分転換。欅並木に直角に当たる光線、スティーグリッツやウエストンの写真にこんな光があったと思い出す。カメラを持っていたらパチリとスナップしたいところだ。


October 29, 2002

ローザンヌから待望のカタログ無事到着。お礼のメールを入れる。


October 27, 2002

 みぞれ混じりの寒い一日、仏事で岡山へ行く。表町の吾妻寿司で精進落とし。創業95年の老舗で身体を温め清酒「極聖」で一杯。ままかり寿司やばら寿司をいただき岡山の海の幸を堪能。酢でしめた青み魚がわたしは好き、この店のままかりは滋味にあふれ美味。値もリーズナブル、土産にも求める。駅で「大手まんぢゅう」これも美味い。
 叔父さんの形見分けでオメガのシーマスターを頂いた。子供時代の想い出と両親の会話からしのぶ故郷。亡くなった人の言葉を生前にもっと聞いておけばと思うのだが、人の世は反省ばかり。肉体は消え失せ精神は何処へか帰る。時計の秒針を見ながら、しばし、パソコンの手を休める。


October 26, 2002

天気予報は雨が上がると寒くなると告げる、それで、扇風機を片付けストーブを出す。昨夜の15才の少女へのインタビューといい、モスクワの人質67人犠牲といい、体調は回復したが世の中には暗いニュースが溢れ、気が滅入る。
 朝、横浜のT氏から「ヴィフレッド・ラム」展のレセプションの情報。素晴らしい展示との事。この展覧会巡回しないので残念。昼から「カフェ・マン・レイ」展のデザインをうだうだ考えながらIMACに向かう。夕食後、パリのNさんから珍しいカタログを発見したと云う嬉しいメールが入った。夜、長女を迎えに駅へ出る。Kマートへ寄り「ブリキのおもちや館」を一つ、PRINT CAR(クラウン タクシー)が出た。


October 24, 2002

細切れ読書のマイペース、通勤のお供に杉山二郎氏の「真贋往来」を読む。帰宅し「カフェ・マン・レイ」展のワイン・ラベルをページ・メーカーでイジル。先日の雨から寒くなり風邪気味か、鼻声で喉もイガイガ、それで中島薬局特製の漢方薬感冒剤3号」を飲む。このクスリは我が家の常備薬。


October 23, 2002

ブリキのおもちや館
北原コレクション
パッケージ




やっと関西でも北原コレクション「ブリキのおもちゃ館」が発売になった。ヤフー上でのオマケ出品もみられる人気フィギュア。全30点の内の極み(シークレットデザイン・5種)がどれかは判らないが、明治製菓のマーブルチョコレートが25g入って250円。給料日前なので1,000円分をとり急ぎ購入。ROCKET(ロケット11)、 MOTER BIKE(インディアンバイク)、 PRINT CAR(ミリタリーポリス、レッドクロス)が出てきた。ロケット11はシークレットかな、でもROBOTが欲しいよなと思う。またKマートへ行かねば(笑)
 1980年をはさんでの数年間、わたしは不思議な魅力にあふれた「ブリキのおもちゃ」に取り憑かれていた。専門は消防車で、面白いもの、珍しいものも手に入れていたと思う(自画自賛)。最初は青山のビリケン商会で、下北沢でも買ったし、大阪の熊谷さんとも知り合いになったが、名古屋の不思議商会に通うことが一番多かった。若い男女が開いていた店で、当時のわたしの心を和ませてくれた。---いずれホームページで当時のコレクションを紹介しよう。---何度かの引越しにも付き合ったブリキのおもちゃがいっぱい入ったダンボール箱は、なぜか、心の重荷になってしまい、まとめて高山さんに売ってしまった。

 わたしの場合、ブリキのおもちゃには、貧しかった子供時代の複雑な心境が反映していたと思う。羨ましかった裕福な家の子達が持っていた高価なブリキ玩具や鉄道模型。ねだっても買って貰えない貧しい家の子は、たまさか手に入れた安物を、動かなくなるまで遊びつくした。大事なのに一心不乱に食べ尽くす。サンタクロースが持ってきたロボットやタンク。数日後には壊れてしまい、失った悔しさのイヤな感覚だけが身体にこびり付いたように思う。
 集め始めた頃、色ブリキ達の怪しい魅力に曳かれたが、熊谷さんやバットマン・コレクターの佐川さん等を知るに付け、今から初めても追いつけないと云う現実を認識させられていた。それが不思議商会で救われた訳だが、集める程に、子供時代の裕福な家の子達への劣等感にさいなまれる結果となり、コレクションは満たされず、結局、オモチャは手にとって壊れるまで遊ぶ物なのだ悟った。

 マン・レイ作品を上手く見つけられない数年間と重なるのだが、マン・レイ作品の収集には、後発のコレクターであっても、国内では競争相手と出会わなかった側面もあり、劣等感にさいなまれることは無かった。マン・レイの作品には、貧しい家の子供が、自分のオモチャを、自らの指先から産み出すメカニズムを持っている。ダダやシュルレアリスムの芸術家達の多くが親の遺産で生活の心配をしなくてすんだのとは異なり、ロシア系ユダヤ人の移民の子で、ブルクリンの貧しい仕立て職人の家に育ったマン・レイは、芸術に憧れながらも、実用的な側面も満たさねばならないジレンマにさいなまれていたはずだ。彼のオブジェ達は、わたしの心と響き合う、子供時代のわたしも自分でオモチャを作り、世界に参戦していた。マン・レイは開かれた心のコレクションである。


October 22, 2002

帰宅後、「カフェ・マン・レイ」展の案内状とワインラベルの検討を続ける。前田さんの店の名前が「カフェ・マン・レイ」なので、同名のオリジナル・ミクスト・メディアをコレクションしているのであれば、話は簡単なのだが、名古屋市美術館のポスターをメイン・イメージと思っているので、調整に手間取る。何人かと話をすると「展覧会であるのならばオリジナル写真を観たい」との発言が多数、これにも困惑。しかし、アイデアを具体化するまでの悶々とした時間が、わたしは好きだ。


October 20, 2002

午後、本格的に降雨。座敷に資料を並べ「カフェ・マン・レイ」展への出品作品を検討。展示スペースを想定しつつ1948年にビバリーヒルズのコプリー画廊で開催されたマン・レイ展を彷彿させるカタログ類を選ぶ。同展の記念に作られた絵本「大人のためのアルファベット」や「告示なしにあり続けるために」と題された限定版カタログ。カタログに付けられた写真を再制作したセリグラフの「青い裸体」等々。しかし、モノクロが多くて、地味な展示になってしまうと危惧。全体構成からジュリエットからマン・レイ・イストに送られた可愛い手紙で締めくくろうと結論。マン・レイのラジオ公演テープを会場でながすのも面白いだろうと夢は膨らむ。


October 19, 2002

9月1日に注文してから、送料確認の返事のなかった、トロント大学美術館のモーリーンさんからやっとメールが届いた。----5回程催促していたので怒っていたが安堵。ただ、昨夜は酔っぱらっていたので、本日カード番号をFAXする。展覧会はマン・レイのレイヨグラム集「妙なる野(Les Champs Delicieux)」を紹介したもので、2000年10月31日-12月9日の会期。カタログが15ドル、送料が7ドルとの事。

 雨降りであったが、自転車で美術館、府立図書館と回り、湯川書房林哲夫氏の「書物の肖像 2002展」を観る。本好きの気持ちに通底する作品。油彩、水彩、デッサン等。終了間際にもかかわらず、世間話。会場でパンフレット・コピー「輪ゴムと古本」をもらう。以下、氏の言葉「私が古本を買うのは、読むためでも、単純にコレクションするためでもない。主な目的は絵に描くためである。だから、綺麗な本には見向きもしない。----うす黒く手ズレがし、キズだらけになり、割れて分解寸前、そういう本の姿にもっとも引きつけられる。」
 タイトルが判読出来ない作品のテクスチャアが、消え入る刹那の瞬きを、古書に与えているように思える。


October 18, 2002

京都写真クラブの森岡誠さんに誘われて、「太郎屋」で一杯。場所は新町通四条上ル東入。この店は京都書院で出会った杉本茂行氏の奥さんが始めた店で、京都のおばんざいを出してくれて美味、サラリーマンやアベックが気楽に飲んでいる。料金もリーズナブル。そして、スタッフの雰囲気が良い。メイプルソープの花の写真のポスターが懸かっている。娘さんの瑠衣子さんも店に出ていて、森岡氏と今年のHow are you,PHOTOGRAPHY?展の話題、彼女も出品作家の一人。
 その後、木屋町のスナックで、前田好雄さん達と合流。今日から「松栄堂」で開催された、坪倉宏康陶展の話題。前田さんは展覧会の総合プロデュースをしていると云う。

 前田さんの奥さんが烏丸仏光寺東入ルでやっている「カフェ・マン・レイ」での、一日だけの展覧会 打ち合わせをする。詳細はいずれ発表するが、12月14日(土) 11:00-18:00 展覧会終了後18:00-20:00まで会費制の食事会を開く。プロデユースは同店オーナーの前田好雄、京都写真クラブ共催。料理構成は彫刻家でMSF(国境なき医師団)ロジスティシャンの吉川泰生。こうご期待。


October 17, 2002

今日も素晴らしい秋晴れ。仕事が一段落して六時頃外に出ると、ワコールの上に月が懸かり京セラ本社上階で赤点滅。西の空も暮れかかり、目前の並木を心地良く風がゆする。紙コップのココア(胃潰瘍を患ってから、珈琲が飲めない身体になってしまった)を溶かしながら、しばらく眺めていた。暑い最中に街中から、緑の多い地に移り二ヶ月近く、相変わらず仕事の悩みは気持ちを暗くするが、この土地のたたずまいが、心に救いの手を差し伸べてくれる。最近はこの国の湿度に甘える自分を発見する事が多い。


October 15, 2002

4日に「閑々堂」へ注文したサザビーズのオークション・カタログが到着。1995年10月5日にNew Yorkで開催された写真オークションのもの。全541点の内、マン・レイは25点。初見の写真も多く感激。表紙に使われている「ビーズの涙」の落札価格は、当時1ドル101円で$266.500(有り難いことに、落札リストが付いている)。この作品、価格以外でもいろいろ話題になっている。現物を見ていないので、はっきりとした事が云えないが、スタジオ・スタンプも作者のサインも無く、さらにカタログからも原版の傷みが判読出来る、この状態でヴィンテージ・プリントとするには無理があるだろう。
 さて、25点の内、落札されたのは10点 入札者の関心傾向を知ることが出来、今後の傾向と対策に役立つ。ちなみに、わたしの所持する「エレクトリシテ」は$23,000  写真集の「マン・レイ フォトグラフィス」は$2,875であった。


October 14, 2002

床の間の山水画
リコーGR1Vテスト







 昨日、岡崎の府立図書館で存在は知っていたが、訪問した事がなかった大宅壮一文庫の「雑誌記事索引総目録 1988-1995」人名編をコピーした。ここに未見の雑誌があったので、探求リストに加える。日本文化とマン・レイとの関係を調査する時の基本データ・ベースに必要なので、上京した時に調べたいと思う。

 昼前、フィルムを現像に出し、リコーGR1Vの仕上がりをチェック。露出バランスの問題解決が残るものの期待する描写力を示してくれている。街写真を撮りながら、撮影禁止の場所でも、シャッター音が小さいのでセルフタイマー・モードでスマしたり笑ったりしてポーズ。このシリーズはちょっと良い。場所と時間を記録したい訳だが、わたしはわたしにしか関心が無いと云う反映か。いずれ、このホーム・ページでも紹介しよう。そろそろ、写真からテストの文字を取らねば---

 午後、写真を見ながら、急に掛け軸を変えたくなり、ゴソゴソ。季節を先取りして選ぶのだが、その時の気分が多分に影響する。凛とした冬の外気が心にしみ入る、梅山の「寒渓午暖」。11月に向けては漢詩の軸にする場合が多いが、仕事の状況が厳しさをわたしに求める。この後には、正月飾りの「日の出」があるから、頑張らねば----

 

October 13, 2002

京都国立近代美術館
リコーGR1Vテスト



 京都国立近代美術館の「スーラーと新印象派」展へ行く。スーラーが別格であるのは理解出来るが、点描技法がまさって画家個々の個性がつかみにくい、ゴッホにおいても。会場入り口に大作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の原寸大白黒写真複製が掛けられていたのが、感情的なシコリとなったのか、わたしの眼球構造が「視覚混合」に反応しない。
 しかし、常設展示室は小企画風で面白い。具体美術・吉原治良藤田嗣治との交流---日仏会館にあった藤田の「ノルマンディの四季」が無事、美術館に移管されていて安心する。国吉康雄エドワード・ウエストンも良い。もちろん、毎回ウナルのは、ピエト・モンドリアンの三点。同じ作品を同じ場所で観るのは逆定点観測で有効。モンドリアンは日によって琴線への触れ方が異なる。今日は変化ではなく、重なりで理解。これは「視覚混合」の残像だろうか?

 日録のページにカウンターを組み込む。東京のT氏はこの日録を楽しみにしてくれているが、彼は「日録は書き込んでいる人物と面識が無いと面白さが半減する」と古書店のO氏に指摘されたと報告。わたしも同感、関心が共通する人のサイトを覗くが、自己完結で終わっている場合は、再訪しずらい。ホームページではないが、詩の同人詩「gui」で連載の「葉山日記」吉田仁さんの場合、お会いした事がないのに、毎回、グイグイ惹かれて面白かった。最近、同名の単行本として纏められたが「一九三八年生まれ。編集者。ひとりもの。で、かなりの酒飲み。」(書評 津野海太郎)という吉田氏の生活空間と出会った事も無いのに、行間に漂う臨場感はどうだろう、わたしの場合は、写真の現場記録を積極的に活用せねばならないが、吉田仁さんのような「日記・日録」を目指したい。


October 12, 2002

朝から家の仕事---茶の間の敷物をあじろから絨毯に入れ替え、理髪店に行きリフレッシュ、エリュアールの詩をゴソゴソ、エフェメラの英文ページに写真を追加、ビールを飲んでウツラウツラ、一日が終わる。


October 11, 2002

終日会議。三連休になるが心はグレー。

 返事のこない古書店の報告後日談。「英語のニアンスに自信が持てないので返事が出来なかった、ごめんなさい」とメールが入った。先約があるが、その人がパスするなら売ってくれるとの話。この資料をどれだけ切望しているかのメールを入れて懇願する。マン・レイ狂いのホームページを紹介すると共に、エリュアールの詩(Interieur---室内「苦悩の首都」1926)から次ぎの引用をおこなった。

Dans quelques secondes
Le peintre et son modele
Prendront la fuite.

数秒後には
画家と そのモデルとは
駆け落ちするだろう。
                (佐藤巌訳)


October 10, 2002

最高の秋晴れ。でも会社の事を考えると気持ちはブルー。こんな日は、パソコンに向かって気分転換。エフェメラのコレクションを紹介する英文ページに写真を31点アップした。


October 9, 2002

メールのやり取りには24時間ルールがあると、ネットショップの運営者が発言していたが、現実はどうだろう。わたしは起床すると直ちにIMACを立ち上げ、海外からのメールをチェックする。先週金曜日に珍しいカタログを発見し注文したのだが、返信メールが届かないので、やきもきしている。時差の関係で深夜でないと連絡困難かと思うが、調べてみると相手の古書店は平日14:00-18:30、土曜日は10:00-12:00 14:00-17:00の営業らしい。鹿島茂氏の深刻エッセイ(?)「子供より古書が大事と思いたい」で言及されている欧州古書店事情と照らし合わせると、極東からのメール注文に律儀に対応する店主は少ないのかもしれない。----でも、これまでは、どの店主も親切だった。返事が来ない例は2件にすぎないので対応を苦慮する。前回はあきらめても納得できる資料であったが、今回は違う。今は説明出来ないが気合を入れて入手したい品物であるのだ。連絡がとれたとしても、その後の代金受領や品物の梱包、送出しといった事務処理の脱落・遅延を心配する。とにかく、まだ売れていないのか、売る気持ちがあるのか知りたいのだ、毎日、サイトを訪問すると、その資料は掲載されたままである。メールになれていないかとも思い、昨夜はFAXを入れた。2日程まって、返信なければ、直接、国際電話をと考える、でも、わたしの英語でコミニケーション出来るだろうか、フランス語だったらどうしよう、相手の言っていること、何も理解出来ないだろうな。

 横浜美術館から「ヴィフレッド・ラム」展のレセプション招待状が届く。会期は10/29-翌年の1/13 記念講演にはアラン・ジュフロワ氏が予定されている。横浜在住のT氏と同展の情報交換。


October 6, 2002

京都国立博物館本館
リコーGR1Vテスト




長女に連れられて京都国立博物館の特別展「日本人と茶」へ行く。この世界はニガテな分野だが天目茶碗のそれぞれに見とれる。茶入の「利休尻ふくら」もかわいい。しかし、今日面白いと感じたのは禅院牌字「茶入」と禅院額字「観音寺」の二点。わたしの中の何かと反応する。3時間程観るのにかかってしまった。外に出ると心地良い風につつまれる。本館の東大路通り側にある茶室(堪庵)を覗く。昔、会社の茶道部がここでお茶会をやったことを思い出した。茶室で長女も抹茶をいただいた事があった。今、彼女は熱心にお手前を習っている。鶴屋吉信の茶席で一休みし「栗まろ」(栗の象形文字と共に'02の年号が愛嬌)とお抹茶をいただく。日が暮れてきた。

 夜、フランス語が解らないので無謀と思いつつ、エリュアールの詩をゴソゴソ、いじる。


October 5, 2002

岡崎公園の大鳥居
リコーGR1Vテスト




 出掛けに爪が割れ、おまけに、洗面台から爪切りを落とし、家内の大事にしている「レルブ」(ギヤラリー16が寺町三条にあった頃、隣にこの店があった)の花瓶を欠けさせてしまった。爪をケアし気分を立て直し、自転車で丸太町まで上がったのに京都市中央図書館が休館、さらに妙文堂書店、澤田書店、北御所書房と休み。フランス書籍などの輸入元である至誠堂をさがしたが、これも、わからない。こんな日もあるさとペダルを踏んで岡崎公園へ、ギャラリー16の「ダブルセンス」展を再度覗く。本日午後の参加者は鈴木 崇氏。精神的な青い色面が掲示され、画廊の空間で共振。彼の指先も美しい。

 この「日録」を読んで下さっている人に報告。わたしが昔、出版したマン・レイになってしまった人」(1000部限定の内、発見したのはNo.221)が中井書房という古書店に、1,000円でありました。本の状態は並。場所は川端二条東入る、店の電話番号は075-751-5445。ご希望の方はどうぞ。


October 4, 2002

朝の阪急電車でメロポリタン美術館展の車内刷広告に気が付く。一車両すべてにモディリアニーの「横たわる裸婦」、微妙にゆれて、これはちょっと良い。裏面の大阪寄りはウルトラマンショーで、着ぐるみのフォルムと、細長い胴体がマッチ。カメラを持っていなくて残念・残念。
 昼休みにパルスプラザの「京都大骨董祭」を覗く。会社が5分の場所に移転したので、今回が初見参。メトロノームとブリキの消防車に立ち止まったが、会場を見て歩くだけで一時間かかった。早足で、見ていないに等しいのだが。

  「閑々堂」から目録到着。急いでチェックし一冊、メールで注文。


October 2, 2002

林哲夫氏が「SUMUS」10号 特集:スクラップブックを送ってくれた。しばらく前にマルマンのスクラップブックで大捜索をした「スクラッパー」の身には、親近感があまりに大きい、素晴らしい企画だ。通勤のお供に従えた拾い読みが、往復共熱中して降車駅をやり過ごしそうになり、あわてる。グイグイ引きつける内容だ。扉野良人氏は「スクラップブックは極私的な営みでありながな、ひとたび作者を離れると「本」という外へむけて発信する形態をそなえている」(p.7)と指摘している。東京創元社江戸川乱歩貼雑年譜」完全復刻版について知らなかったので、不勉強を反省。紙面を追いながらエンピツで印し。なるほどと思う部分の連続である。
 「SUMUS」を手にすると同人に入りたいと思ってしまう。------自分の興味を持つ世界と、毎号あまりに一致するので、脱帽。林哲夫氏は14日から寺町の湯川書房で「書物の肖像2002展」を開催するそうなので、いまから楽しみ。


October 1, 2002

戦後最大級という台風21号接近、秋雨前線活発。朝からドシャ降り。