2002.9.1-9.30 マン・レイになってしまった人

September 30, 2002

9月最終日だが、あまり遅くならずに帰宅。

 「日録」を読んだギャラリー16の坂上しのぶさんがメールを入れてくれた。「あのメトロノームですがやはり村岡さん達が作ったものだそうです」との事。大量生産品であるメトロノームの振り子に「眼」の写真をクリップで留めると「破壊されざるオブジェ」が出来上がる。マン・レイが意図したのはオリジナルとレプリカの問題ではない、作品と出会った時の強烈な印象が、作者と同じ「手」を観客に与えてしまうコラボレーション。オリジナリテイではなくて、耳で見る絵画の再生。そんな様子を<The Party>の出品者達に伺ってみたいと思う。

September 29, 2002

美術教室のマネキン
リコーGR1Vテスト







次女の文化祭に出掛ける。家内はバザーの手伝い、一人でブラブラ、学食でラーメン。気持ちが良いので鹿ケ谷から「哲学の道」を銀閣寺へ、疎水沿いの道の写真。吉田山に登って山道の写真。最近、「道」の写真が多いと気付く。これは、何処に行こうとしているのか、何処に行きたいのかといった自問なのか。


吉田山の道
リコーGR1Vテスト
 





 岡崎公園に出てギャラリー16の「ダブルセンス」展を覗く。鈴木貴博氏の「生きろ」シリーズは以前にも見ていたが、今回のジョイントは、知的で面白い。村岡三郎氏とのコラボレーション。肉体が溶け出し、冷えて塩になる、2トンの岩塩、人が肉体を意識すること。心臓の鼓動。いわば開かれた棺桶。一方、鈴木氏のそれは、封印されざる棺桶。生きながらえる精神。今日の参加者・寺田就子さんの作品が壁面に展示される、エロテックな光景。いわば墓碑、精神の証が延長線上に展示されている。美しい彼女の指先と小さな赤い球体が、村岡氏の心電図で繋がっている。ゾンビが現れるのか、眠れる森の美女なのか、取り付けられた金属の円柱が、棺桶と想像上の十字架を創り出す。------ そんな事を思っていたら、野村仁氏、続いて岸田良子さんが登場、懐かしい。

 ギャラリー16で頂いたパンフレットに、気になる展覧会の記述。1975年7月8-13日 <The Party> 出品者:今井祝雄、植松奎二、村岡三郎、マン・レイ。画廊にマン・レイメトロノーム作品「破壊されざるオブジェ」が展示されていたらしい、資料のコピーをお願いした。当時の京都新聞・展評には「---心音の大合唱---  人間の生の営みほどドラマチックなものはない。人の死や誕生に接した時、それが一層強く印象づけられる。今井祝雄、植松奎二、村岡三郎の三人による「ザ・パーティ」と題した展覧会は、生命の鼓動を衝撃的に感じさせる。画廊いっぱいに三人の"心音"がエンドレス・テープで流れ、不協和音を奏でる中、時の進行を告げるかのように、規則正しくメトロノームが音をたてる………。世のけん騒に埋没していると、日頃は意識しない生命の息吹や人間存在そのものまでを改めて考えさせてくれる展覧会だ。」とある。今日の光景の前触れでもあるのか---- 

 わたしがギヤラリー16と出会ったのは1976年7月、一年前のこの展覧会を、今日始めて知った。手許の記録で確認すると1975年7月8日に最初のコレクションとなった版画を東京のアテネ画廊で購入ている。


September 28, 2002

原書を見ながら「ファシール」の詩篇をパソコンに入力。章の最後に打ってあるピリオドを発見。言葉の展開がきっちりとしたフレームで展開する印象。他の詩集でも、ピリオドが打ってあるのだろうか、手許の詩集では例が無いようなので、明日、丸善で確認しよう。
 詩の内容と写真イメージの融合を考える。手許のページ立ては、前所蔵者の状態のままなので、予想される初期の状態との差異を検討。多くのフランス本に接していた人のページ立てが自然と思われるのだが。さて----
 エリュアールはヌーシュになんて呼びかけていたのだろう。 Tu ---- 汝、お前、君 など。 高村智は「あなた」 嶋岡晨は「きみ」と訳している。二人の関係に限定するか、すべての恋人にあてはめるのか。章の展開に合わせて変化させるのも良いかと思ったりする。


September 26, 2002

パリのNさんとメールの遣り取り。日本語で気楽に情報交換の出来る人がパリに居てくれるのは助かる。しかし、日本語の文字バケ発生。初回はお互いOKだったので、原因不明。プロバイダーの関係だろうか、文字設定で対応出来るのだろうか。今後はFAXというのも不便。


September 24, 2002

パリのアンドリューが落札リストをFAXしてくれた。しかし、なんと、ああ、ヴァランテーヌ・ユゴーの肖像写真に買い手が付いていない。玄人向けの地味写真。このオークションに出品されたマン・レイ写真4点とも落ちていないから、まあ、しかたないか-----考え方を変えれば、チャンスがあるぞ!
T氏が京都近美の「スーラと新印象派」のチケットを送ってくれた。彼の会社のコレクションが出品されているとの事。楽しみである。


September 23, 2002

この三連休は家でゆっくり用事をしたり、近所を自転車でブラブラ。お彼岸、墓参りをし下の娘が祖母と二人で「おはぎ」を作る。漉し餡にするのが大変らしく、ぐったりして帰宅。ご先祖に供えた後、熱い番茶で、大きな口を開けてほおばる。三個も食べた。
 コルトレーンの「ブルートレイン」を聞きながら、コレクションのホームページに「非売品」を追加。「ファシール」の資料調べをする。


September 20, 2002

秋風がたつと夏の疲れが現れる。体調がいまひとつだが、その原因を考えたら、現在、注文し到着待ちの荷物が無いので張り合いが生まれないメカニズムに気が付いた。過去のこうした時、何かの本を作りながら気力を回復させてきた。銀紙書房の新しい本のプランを練る。
 メールが3通入ったのでそれぞれに返事。


September 19, 2002

会社が破綻して一年経った。特別のミーテイングも無く、何事もなかったかのように一日が過ぎた。何事もなかったと思いたいのか、あまりに大きな事なので触れたくなかったのか、わたしには解らない。


September 18, 2002

「ファシール」ページの説明文に手をいれる。


September 16, 2002

昨日、今日と写真を撮る気分になれない。終日、自宅でゴソゴソしホーム・ページのメンテナンスにはげむ。コレクション紹介に3点追加。「ファシール」のページに説明文を追加。「ままかり」をつまみつつビール。外出せずボーとした一日。雨が降ったりしている。

September 15, 2002

用事で岡山へ出掛けた。小学生の頃をおぼろげに思い出し、昔と同じく駅前を走る市電、ヨーロッパ・タイプで感激。「きびだんご」と「ままかり」を土産に買う。
 ホームページに「ファシール」のページを追加。とりあえず写真のみ。


September 14, 2002

二条大橋より鴨川の北を望む
リコーGR1Vテスト



大手流通企業が破綻して1年。新聞記事やテレビ・ニユースで状況を再確認。

 府立図書館の蔵書、徳島県立美術館1993年の展覧会「アメリカに渡った芸術家たち」を再度パラパラ。ギャラリー16で岸田良子さんの「断片/白地図」<月の昇る夕べの風景>、ギャラリーマロニエで京都写真クラブ会員達の写真展「風景から-」を見る。
 帰宅して、ホームページのコレクション・ページ追加を準備。


September 13, 2002

セミール・ゼキの本は面白い。「まず、脳に届く絶えず変化する膨大な量の情報の中から、物体や表面の恒常的かつ本質的特性を固定するために必要な情報を選択し、知識を獲得する上で重要ではない情報は、すべて差し引いて犠牲にする」(p.30)とし「視覚は能動的な過程であり」(p31)と述べている。ここには、わたしの近著『マン・レイとの遠近法』で考査したテーマのへの回答が用意されているようだ。続けて読み進めよう、三連休ではないか------

September 12, 2002

夏が終って今年最後の姿となるかも知れないが、赤青、二色の朝顔がけなげに咲いた。勢いが衰えていたが、残りの力を全て振り絞っての開花と思わせる。涼しくなって気持ち良いのに、寂しさがのぞく朝。世界が震撼して一年が経っている。

 糸井恵さんの「消えた名画を探して」(時事通信社、2001年刊)を読んだ。「1989年末に美術市場がピークを迎えていたとして、1990年春には既に下り坂に入っていたと見て当然だろう」(P.70) と指摘している。こうした時期に画廊街に出入りしていた者の一人として回想する部分、糸井氏の考えに共感する部分が多い。オブジェの「贈り物」や写真を2,3点購入した頃で、異業種から参入した画廊でアッサンプラージュを手に入れたのは1991年7月だった。高価な買い物は出来なかったが、私の財力での、ささやかな美術品であり、それぞれの画廊には勢いがあった。いまも続いている画廊は半分となってしまっている。

 このホームページにおける写真の扱いがウインドウズ版では汚いことに気が付いた。会社の同僚であるT氏によると、ページ・ミルには無いが、写真の共用化設定があるらしい。対応するソフトが高価なので、躊躇している。もちろん、文字を読みやすくし、写真を綺麗に表現する必要性を充分理解している。


September 11, 2002

あれから一年がたった。特集番組も多かったが、早めに帰宅して「カメラはビルの中にいた」を観た。


September 10, 2002

気になる話題を二つ。1) 毎日チェックしているネット・オークションに興味惹かれるマン・レイの出品がなくなってきた----このルートでの収集も限界が近いのか。 2)インターネットの普及で紙を使った展覧会の案内が減った----帰宅して郵便物をチェックする楽しみが無い、海外の画廊に問い合わせをしても、特別の印刷物は作らなかったという、返事が増えている。
 今、このときを捕らえるのに便利なITであるが、再現性を考えるとき、紙媒体の魅力は捨てがたい。紙好きな私としては、憂いでしまう。


September 9, 2002

明日は株主総会。コレクションを紹介する英語版ページに手を入れる。校正をしていないが、アップ・デートする。このいい加減さがホームページの原動力か欠点か?


September 8, 2002

大宮通り六角下ルにある理髪店、
石村理容院
リコーGR1V テスト

 

 

 

 

京都の街中を自転車で走りながら、GR1Vのテスト。ブラブラ北上して西陣から松ヶ崎まで行ってしまった。昔、ゼンザブロニカに50mmを付け夕暮れから深夜にかけてアジェ風の写真を撮っていたことがある、画角はGR1Vの28mmと同じくらい。当時夢中になってとらえた小売店や理髪店が今でも残っていて、懐かしく思い自転車を止めパチリ。これを再開するのも面白そう。
 京都芸術センターでセミール・ゼキの「脳は美をいかに感じるか」(日本経済新聞社、2002年)を借りる。重要なテーマを扱う本なので、読み始めて期待とおりであれば、購入しよう----後日、必要になるから、手許に置いておくことになるだろう。センター入り口のテラスに腰掛けペラペラ、涼しくなって風が心地よい。椅子の近くに二宮尊徳銅像があるのだが、先週、逆光でのスナップで露出補正に失敗した、それで、ストロボの強制発行モードでパチリ。プリントしてみたが、これまた失敗。街スナップでISO400と100のどちらのフィルムが良いか検討。以前のバカチョンでは400しか使えなかったが、今度は選択出来る。カメラを忍ばせてパチリの情景がまだ、はっきりしない。フィルムの性質ではなく、対象との関わり方がまだ、アヤフヤである。

September 4, 2002

午前4時。いやな夢で覚めた。しばらくして新聞が入れられたので、寝ぼけながら読む「配偶者特別控除の廃止明記」の見出し。2003年度税制改正案だが、我が家の財政を直撃するぞ----
 仕事で旧本社の界隈へ出掛けたが、ビルの解体が進行している。30年通った建物が消えていく感傷----こんな事態に陥った原因と責任の取り方をあらためて考える。
 帰宅して英語ページのコレクション・リストに手を入れる----眠い。


September 1, 2002

荒俣宏氏が好きなのでNHK新日曜美術館横尾忠則・私の中の森羅万象」を観た。氏の解説で横尾作品のある部分に関心を持つことが出来た。彼の作品となってしまっている様な部屋も映し出されていたが、マン・レイの判画作品「フェルー街」と「ドゥ・フェイス」が認められた。彼は以前「マン・レイという分裂」と題したエッセイをカメラ毎日の別冊(1984年9月)に書いているが、その中で「マン・レイが現代美術の作家や写真家に与えた影響をひとつずつ挙げていけば結構面白いと思うが、それ以上にまたマン・レイも先人達から実に多くの影響を受けたり「剽窃」をやってのけているが、こういうのをむしろ「共存」という呼び方をした方がアタラシイかも知れない。」と述べている。