2004.8.1-8.31 マン・レイになってしまった人

August 31 2004
   
二時間あまりの手待ちが発生する段取りの悪い月末となってしまった。もっと注意して仕事の進行状況をチェックせねばと反省。しかし、夜は随分涼しくなって帰宅時は風が心地よい。こんな夜には気分転換も待っていた。良い事と悪い事がセットで現れるのは人生の常だ。自宅には小さな紙筒がイル・ド・フランスから届いていた。ヴァンドーヌ氏がオークションに出品していたのは1972年にパリの近代美術館で開催されたマン・レイ展のポスターだった。これを大文字の夜にビットして獲得したのだが、現物が到着してから、読者の皆さんに報告しようと思っていた。---8月16日は落札を確認してから大文字を見に家を出たのだよね。遠くの山に灯る送り火が、マン・レイのポスターを迎える準備のようにも思えていたのでした。---。小さなポスター(60 x 40cm)だけど夏の夜に郷愁を誘う炎となっている。上手く無事に早く到着して安堵した。送金してから送られて来るまでの時間が心配で心配で困ってしまう。この時の展覧会についは、カタログ、案内状、食事会の招待状とコレクションしていたので、このポスターがとどめとなるかな。やはりフランス、デザイナーのセンスに脱帽する。

 

 exhibition of Man Ray
 at Musee National d'Art Moderne
 January 8 to February 28, 1972
 poster 60 X 40 Cm.
   
     
     
     
     
     
     
     
     
     

     
     

  
   
August 30 2004

朝、「虹が出ているよ」とベランダで家人が呼んだ。大きめの傘を持って出勤、月末にかかって忙しい月曜日。それでも台風が近づいているので、早く帰宅。夜11時の京都は静かなのだが-----  
   
   
August 29 2004

先週覗いた京都市美術館の『前衛の意識・表現の前進』展で、会場のスナップ写真を撮る必要を感じた。それで担当学芸員にお願いしていたのだが、手続きの準備が整ったとの報せがあり出掛けた。カタログが用意されていない展覧会の場合など、出品リストでは不足する情報を写真に求める。会場の様子を記録しておけば担当者の視点、美術館の方針を確認する事が可能である、大切なアプローチだと思う。わたしの感心ある作家、作品の他に展示品間の影響関係を知る為、各部屋の雰囲気にもパチリ。
 ギャラリー16の坂上しのぶさんと、昼からの講演会に出席。京都でのアンデパンダン展、ビエンナーレ展が果たした役割についての言及を講師の尾崎眞人氏に期待した。京都市美術館の講義室に初めて入り、スライドを交えたお話をうかがった。70年代中頃から見ている者としては、物足りない部分を感じたが、今後の調査に期待しよう。それにしても写真資料が1984年以降からのものしか確認出来ていないのは残念である。行政と企画者との関係、表現が、自己と直結し切実である作家、わたしのように会場で同時代人として多大な影響を受けた者の再確認作業と、会場を貸していた行政者との立場の違いを考えさせられた。美術は何時も一人の個性によってしか成り立たない。
   
 坂上さんと別れて、メディアショップ、丸善と覗く。Nさんが京都に来た時、注目していた雑誌『コヨーテ』を購入。彼女が指摘していたおまけ(創刊準備号)も面白いけど、わたしは雑誌を買わない人なので、やりすごしていた。でも拾い読みをしていたらオリジナル・プリントへの言及があったりしたので購入。「特集 森山大道---その路地を右へ」隔月刊の雑誌だが創刊の熱気が伝わってきて、興奮させられた。感謝。
  
 風は強くなったりしているけど、台風16号はどうしたのだろう。昨日、今日と怯えながらの自転車移動。暑くなくて気持ち良い二日間だった。

   
August 28 2004

 ギャラリーそわか
 写真展『水平線会場』
 上段; 「一度死んだ写真」矢吹健
 下段; レセプション
   
    
    
    
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

 
京都の大学生7人が集まって開いた写真展『水平線』を覗いた。こいけカメラ氏から誘われた為だし、氏の日記に興味深い報告がいくつもあったので気になっていた。会場は東寺東門にあるギヤラリーそわか。出品者とタイトルは以下である。

大崎博史---toy box
小池貴之---静物/生物
桜井 類---Untitled
平田仁孝---silent city
藤本和宏---黄色い糸
真壁勝巳---YAMATOGAWA
矢吹健巳---一度死んだ写真

 上手い写真、個性ある写真。どれもがレベルの高い表現となっていて感心させられた。状況設定を変えた男女4組の微妙な距離感が面白い藤本氏。淡い色彩、フラットな対象物、「死ぬ」と「生きる」の間を視覚化した矢吹氏。会場の両壁面で対話する二人の作風からして緊張感のある会場構成となっている。

 5時からレセプションが始まったので出品作家が揃っている。ビールを頂きながら、売約済み(一点10,000円)のピンが付いていた矢吹氏にお話をお聞きすると、「ロベール・ドアーノの写真に惹かれて写真と云う表現に注目した。写真をすることがとても楽しい。卒業後、プロを目指して東京に拠点を移し、写真の勉強をする予定」との事だった。人生を変えてしまう写真の魅力。1982年生まれの氏とわたしとでは30年の差があるけど、「あのころを思い出させる」力を頂いた。感謝。

 さて、人気者の小池氏の写真であるが、4点組で左端の一点が雰囲気の異なる女性の全身像。野外で横になっている女性は帽子で顔を隠しているのだが、指先やら、胸元やらの質感が素晴らしくて、色っぽい。その右に置かれた写真は、東本願寺から渉成園辺りを俯瞰した京都の街並み。西陽のあたる建物のコンクリートの質感が表現されて、先程の女性の肌の様子が残像効果でさらに色っぽくなる。次ぎが無数の鯉のむれ。水面を透過した魚の肌が、人の深層部に落ちてくる。そして最後が草たち(エノクログザ?)。光が上手く回って、一つ一つにスポットがあたっているような感じ。3点共、対象の大きさが同じバランスで視覚に入る。上手いものだ。暗室でプリントをいじりながら、望む言葉を探す職人の側面もあるけど、今回の作品には、余白が覆い焼きされていく過程がわかるような仕掛けが感じられた。どこかで必要にせまられ止められた光の量と云うか、排除された現像液とでも云うか。完成品に到るまでに10枚ぐらい印画紙を使ったと、氏は教えてくれたけど、暗室に入ってプリントする作業は、カメラの中、レンズとフイルムの間で交通整理する、働き者の小人を連想させる。氏は作品にこんなコメントを付けている「私は身のまわりにあるモノ、とりわけ人工物に寄生する植物や自然に浸食される人工物の写真を撮っているのが好きです。そしてフィルムに焼き付けられた像を重ね、自分の印象や思い、伝えたい感覚を加え、暗室でのプリントで再現することを常としています。」技術と表現が一致した好結果を見せて頂いた。後で氏に聞くと、女性の写真と街の写真の間にもう一点あったとの事。その写真が気に掛かる。小池カメラ氏の彼女を紹介してもらいたいなと思っていたのだけど、いいだせないままとなってしまった。写真に満足して、満たされてしまったのだろうね。

 ところで「水平線」と題された今回の展覧会には、紅一点、中村史子さんがキューレーターとて参加している。彼女は展覧会を紹介するエツセイで「なぜならば、全員がお互いの中にある水平線を見出しているからです。水平線は、目に見えるのにけっしてつかみ取ることはできないのです。どれほど前へ進んでも実際に手にすることはできない。」と表現している。彼女も大学院生のお一人だが、レセプションではモデル状態だったので、お話をする機会をもてなかった。残念。
   
 展覧会は明日、29日で終了する。今日は楽しい一時を過ごさせてもらった。感謝。作家達は写真集『水平線』(いずみ水平線発行紙 22x19.5cm. 36頁 一冊1,000円)を刊行しているので、ぜひ買い求め、若い個性に連帯の挨拶を送って頂く事をお願いしたい。困ったコレクターのわたしは、8名の方々にそれぞれサインをしていただき、ニコニコして帰宅。そのまま、『日録』に向かっている。
 

    

August 26 2004

通勤のお供でお世話になっている常盤新平氏の『ニューヨークの古本屋』(白水社 2004年刊)も今宵で終わるが、こんな一節を引用したくなった「彼女も古本屋は好きで、いっしょに歩いていて、私が古本屋を見つけると、かならずついてくる。 イザベル・シマーマンのことはすでに話してある。「厚化粧のきれいなおばさんなんだ」と私が言うと、妻は「アメリカの女性は年をとるとお化粧をして、派手な衣装を着るのよ」と笑った。「若い女性は化粧なんてしないわ」。妻もいまでこそ化粧するが、知り合ったころは化粧道具もろくに持っていなかったし、ハンドバックに入れていた口紅は減って固くなっていた。」(198頁) 常盤氏69歳。再婚にいたる前ふりがあったので、なにげないこんな会話が楽しい。ニューヨークの街については知らないけど、ニユーヨークの街が好きな常盤氏の気持ちが良く分かる。
  
   
August 25 2004

京都写真クラブが主催して鈴鹿芳康氏の「2004アルル国際写真祭グランプリ受賞を祝う会」が9月10日に開かれることになった。呼びかけ人は顧問の細江英公氏。会場は京都造形芸術大学に近いギャラリーも併設するお洒落な店「ア ウーム」 金曜の夜、会社を早く出られればよいのだが、翌日に仕事が入っている、段取りを考えなくては。
  
 しばらく前の日経に「個人投資家」と云う連載レポートがあった。その一回目に登場したのが四国に住む宮浦正義氏(27)。この人は家業のサツマイモ畑で働く青年だけど、倒産株を中心に百枚以上の株券を持っている「株券コレクター」 山一証券の破綻がきっかけだったそうだが「倒産会社でも100%減資にならない限り、株主にはその後の事業報告書などが定期的に届けられる。世間から忘れら去られた会社の、その後の苦労や奮闘の道筋をたどれるのが面白い。」との話。「株券の絵柄の独特の美しさや種類の豊富さ」に曳かれたとの事だが、この「株券コレクション」アメリカでも一流の趣味であるらしい。倒産した会社では株主責任として100%減資が一般的であるし、株券の電子化をひかえて世の中から「株券」が消える。-----この記事を読んだ後、『日録』で紹介したいと思いながら、今宵となってしまった。

     

August 23 2004

野口みずきさん有難う。感動しました。ライブで応援するのが一番ですね。メダルラッシュアテネオリンピックも、翌日の仕事に影響するので、夜、12時以降のテレビ観戦は辞退していた。しかし、マラソンとなると血が騒ぐ。街の様子と街路を走る選手が美しく、わたしはマラソンが好き。精神的な勝負、スパートする瞬間の駆け引き、状況が面白い。猛暑の難コースに脱落者が続出した昨夜の試合に興奮。ヌデレバが不気味に追ってくるのだからジリジリする。パナシナイコ競技場に最初に入った場面でも「勝利のポーズをするより後ろ後ろ」と声が出る。12秒差なのだからと判っていても、アクシデントとか、ゴールのテープを切るまで心配だった。よかった、嬉しかった。
 この結果、今朝の読売新聞には金メダルで載っていたが、他の新聞には間に合わなかったようだ。夕刊も含め新聞各紙の勝者がここに到る物語、チーム・ハローワークやシューズへのキッス等を読みながら、涙が出てしまった。
    
   
August 22 2004

林蘊蓄斎氏は町内の地蔵盆役員でバタバタされていると、氏のホームページ「デーリー・スムース」を読んだ。昨日、中京の辺りを自転車で走っていたら、いろいろな町内で地蔵盆が始まっていた。ほとんどが21-22日に行っているが、わたしの町内は、しばらく前から一日だけの開催と規模を縮小。中心部では子供よりも老人が多くなって、敬老会の催しになっている町内もある。町のあちらこちらで赤い提灯が灯る夕刻など、ワクワク、ソワソワして京都は良いなと思ったものだ。我が家の娘達も小さかった頃は、地蔵盆が始まるのを楽しみにして、ゲームやら子供福引きやら盆踊りと、お地蔵様の前から離れなかった。それを世話する親たちもビールを飲みながら楽しんだものである。

 久し振りに在宅して、必要な手紙を書き、海外へ送るスモールパッケージを準備する。銀紙書房の新刊も最初の出力まで進んだ。頁数を考えながら全体の構成を行う。校正を始めると眼が疲れているのを感じる。それで、昼からは高校野球決勝を観戦したり、常盤新平氏の『ニューヨークの古本屋』(白水社 2004年刊)をパラパラ読んだりして過ごす。
    

     

August 21 2004

 地蔵盆のお寺さんお参り
 仏光寺烏丸西入り

   
  
   

朝の早い時間に烏丸京都ホテルに用事があって出掛け、そのまま京都市美術館で開催中の『前衛の意識・表現の前進』展を覗く。地下鉄駅のボスターで小牧源太郎の不気味な、戦争を予告する「民族病理学<祈り>」を観ていて気になっていた。美術館の年間スケジュール紹介では竹内栖鳳八木一夫らの代表的作品を通したコレクション展との事だったので、美術館に出掛けるのが遅くなっていた。しかし、驚いた、戦前から今日に至るまでの京都に関連する前衛作家達の代表作による展示であったのだ。今までの京都市美術館の展覧会とは、ちょっと切り口の違う見せ方。もちろん感激したのは北脇昇の作品であるのだが、「変生像」の手前に創紀美術協会第一回展のポスターが並陳されているのに直面して感激。資料があると時代の雰囲気を立体的に掴む事が出来る気がするのだ。福沢風あり、エルンスト風ありと西洋との関連から油彩を観る側面もあるが、板や厚紙に描かれた額装されていない小品(川端弥之助の2点)から、パリで描いている作者の臨場感を与えられ、最初の部屋から、ウムウムと身を乗り出して観ることとなった。1930年協会第5回展のポスターもあるし、雑誌等の資料コーナーには「マヴォ」「自由美術」「プロレタリア美術」に混じって「1930年協会第4回洋画展覧会出品目録」なども置かれている。油彩と資料とで戦前の様子を追体験して終わる事がこれまでは多かったのだが、今回の京都市美術館では、「既成の権威や伝統にとらわれず、新しい表現を生み出した作家たち」の水脈が現在まで続いている事を感じた。1972年からギャラリー16等で知り合った多くの作家達(例えば八木一夫、野村耕、関根勢之助、狗巻賢二、野村仁、植松奎二、三島喜美代)の作品が続けて展示されているので、興奮してしまった。同時代を生きてきたと云う気分になってしまったのである。

 高い天井に板張りの床。独特の空間で野村耕さんの「スクラップ」(1965)を読んでいると「あしやからの飛行」「アラビアのロレンス」「目も若くイキイキと」「聖火東京へ東京へ」---東京オリンピックは1964年---等と読める。狗巻賢二氏の赤は良い色だね。野村仁氏の『北緯35度の太陽』の螺旋が右に8重、左に4重になっていると、数えながら近づくと空調に揺れているのに気付き、緩やかな風の伝わりが地球との鼓動と関連するのかと思ったりした。三島喜美代氏の新聞やチラシが床に溢れかえっている様子、あるいは郭徳俊氏の「ブッシュと郭」---もちろん現大統領の父親---の写真作品がパネル貼りで、昔はみんなが使っていた緑のテープだと気付いたり、あるいは出口上部に吊された野田哲也氏のアクリル作品の透過ぐあいに、惚れ込んだりと、数時間楽しんだ。

  来週の29日(日)最終日に同展を担当されている学芸員尾崎眞人氏の追加講演が予定されている。京都アンデパンダンに言及される演題のようなので、ますます興味が持てる。早く今回の展覧会について知っていれば、講演会にもいろいろと参加できていたのにと残念。さて、これから、京都市美術館は変わるのだろうか、注目したいと思う。感謝。
    
    

August 19 2004

青空なのに強い風が吹く、変わった天気。職場の自転車置き場では総てが倒れた。帰宅して今日も作業、銀紙書房の新刊は手強い、校正作業が何時までも続く。そんな時には林さんの『日録』に元気付けられる。感謝。

    

August 18 2004

写真を焼き増しして送付。

   
   
August 17 2004

博学の林蘊蓄斎氏が氏のホームページ「デーリー・スムース」上でピーター・ブルーム画集繋がりからダニエル・ギャラリー、マン・レイと紹介して下さっている。ダニエルとマン・レイとの関係については、わたしの方でも言及しなければならないけど、林氏はこんな風に書いている「1943年に親しかったアーティストたちがチャールズ・ダニエルのために感謝の晩餐会を開いた。その三年後、彼の所有していたすべての絵画が競売に付された。チャールズは短くこうコメントしたという。《家賃を払い、電気代を払い、マネージャーを雇い、アーティストたちに分け前を与え、ヨーロッパ行を援助したよ、自分はまだ行ったこともないのに》、まあ世の中そういうもんです。」

  それにしてもである、林さんの『日録』は刺激的である。上手く興味が拡がるようにリンクが張ってある。今日の「 F.M.Naumannは書いている。」はモンテクレールでの『モダニズムへの変革;マン・レイ初期作品』展テキスト。この美術館にマン・レイ初個展のカタログを提供していたのは、わたしなんだけど----
    
       

August 16 2004

 高校二年生になった次女本年の書は、眞山民の漢詩
 
 小窓半夜青燈雨
 幽樹一庭黄葉秋

 「夜半、燈火ともる窓辺に雨そそぎ、こんもりとした庭樹は黄葉している」
 秋が近づきつつあるのか---- 床の間では季節の先取り。

 


   
   
   
   
   
   
京都では五山の送り火。昨日からすごしやすく、涼しい一日。終日出掛けず銀紙書房の新刊書準備に、ページメーカーをゴソゴゾ。今回は頁数(現時点で140頁)が多く、ひどく時間がかかる、ドライ・アイ状態になりかけて、何度か休憩。夕食後、近くのスーパーの駐車場に上がるがマンションが建った為に大文字が見えない。それで、西大路四条まで移動して左大文字を仰ぐ。今宵、この街のどこかで、送り火を見ているNさんとOさんの二人、パリの街と京都、二人にこの宗教行事、どう映っているのだろうか--------

      
       
August 15 2004

朝顔の花が六つも開いた楽しい朝、昨夜の雨の影響だろうか、涼しい一日の始まり。昨夜はオリンピック中継を見ながら寝てしまったので、新聞やらテレビで結果をチェック。野村忠宏谷亮子、良い顔をしているね。
 フィルムを現像に出し『日録』を書き込む。写真は7月24、31日、8月8、13日のものをUP、是非ご確認願います。昼から街に出掛け必要な買い物、ジュンク堂で雑誌類を物色。夜はまたしてもビール頭。

                      

August 14 2004

お盆に入ると義母が「おしょうらいさん」に六波羅密寺(迎えの火がゆらゆらと広がる冥界に繋がった怖いお寺。口から仏が出ている空也上人像で有名。)へ出掛ける。仏壇にお供えをし、先祖の霊を自宅に迎える。毎朝、一煎目のお茶を入れ、ままごとの様な器にひじきやら高野豆腐、さんど豆やら南瓜、あるいはそうめんとかオクラと云った夏らしいおかずを添えた食事を用意する。お盆の間も家人は忙しい。今朝は「おっさん」が来て下さりおつとめ。例年のお言葉、梵語が書かれた団扇をいただく。

 夜、来京されている在パリのNさんと丸善で待ち合わせ。前回、相方のO氏が気に入ってくれた「たこ入道」で、二つのマン・レイ展について、いろいろと情報交換。明石焼きとかタニシとかを美味しく頂く、日本酒の好きなO氏も今宵はビール、蒸し暑い京都の夏はビールになってしまうようだ。鰺の南蛮漬け、肉じゃが、揚げ出し豆腐とおばんざいをチョイス。肉じゃがもお気に入りのアイテムになったようだ。
 Nさんに、知立の友人の書棚を撮った写真をお見せする。写真集がびっしりつまった涎もののラインナップ。Nさんもわたしと同じで背表紙を見るだけで本が判る。高梨豊の「都市へ」等の話題となった。写真集をこれだけ持っている者の気持ちが理解出来る彼女は、同じ戦線の仲間といったところ。全日本学生写真連盟刊による「歴史はなにを教えるか」を持っている彼女は、「状況1965」「状況1966」の二冊の表紙に手をとめながら、当時(?)の影響力を評価して福島辰夫氏に言及。彼女未見の福島彰秀写真集「這恨」では表紙の写真だけ見ても買いだねと盛り上がる。
 特別のスケジュールを入れず、京都でゆっくり過ごしている二人は、お寺参りをし下鴨の古書市等へ出掛ける。市内の古書店で491刊の「ヒロシマ」をゲットした幸せにめぐり逢い、「大文字の送り火」を期待しつつの良い夏休みとなることだろう。

                   

August 13 2004

朝からジェイコブスさんへのラブレターに悪戦苦闘。「貴女のコレクションの内「鍵の夢」が一番好きで、これを見ているととても悲しい気持ちになるんです、当時のマン・レイが置かれていた状況を反映しているのでしょうか?  マン・レイの油彩には、個人的な物語が織り込まれているので、楽しく感じる時もありますが、何時も 
胸にじんときてしまうんですよ。ご自宅でそんな対話を油彩と交わす事の出来る貴女様をとても羨ま しく思います。」 なんてニアンス、わたしの英語力では伝えられないんです。「油彩が欲しいのですよ、羨ましい」なんて感じはね。
     

 
第17回下鴨納涼古本まつり会場
 下鴨神社境内「糺の森
 古書店のテントが並ぶ。
   
   
     
     
     
     

 午後は糺の森での「下鴨納涼古本まつり」に出掛ける。自転車で東への行程なので日陰に沿って走る。でも暑いのでフラフラ。会場でもしっかり本が見れないありさま。地方からの参加店が狙い目だが、今回も収穫なし。悩んだ本も二冊あったが、積読になる事が判っているたぐい。本を買わないのは寂しいが、仕方がない。

 夜、手紙の添削指導を家内から受け仕上げて投函。ツタヤでロード・オブ・ザ・リング二つの塔」を借り、ビールを飲みながらのミニ・シアター。子供達はアラゴルン役のヴィゴ・モーテンヤンが格好いいと云っているけど、わたしはケルト風の構成、使命を持った困難な旅が続くニユージーランドの風景に心を奪われた。それで、物語にひきこまれ眼がさえてしまった。夜半からオリンピックの開会式を観る。国旗が象徴する国の成り立ちや状況、民族の特徴、服のセンス等に興味はつきない。今回は女性の旗手が目立ち、どの方も溌剌として美しい。

                    

August 11 2004

暑いものだから夕食時のビールが旨い、それで、ついつい飲み過ぎて、11時になると睡魔が襲う。これでは、なにも出来ない生活なので、今宵は控えめにして、やっとジェイコブスさんへ送る荷物の整理。「私は謎だ」のカタログ(図版248)によると魅力的な女性。早く手配せねばと思いながら、英語のラブレターなんて書けないなと躊躇していた訳。荷物は遅延するだろうから、これから考えようと自分にプレッシャー。

               

August 10 2004

日本経済新聞の朝刊ではマグナム・フォトの東京支社代表久保田博二氏によるブレッソンによる追悼文が「大手資本に屈しない独立精神」を語っている。
 今日、読んだものでは桜画廊の藤田八栄子氏の連載再録。桜画廊は壁を白くした日本で最初の画廊だそうで、その折の経緯、「白にしたいなと思って久野真先生に相談したら、白、けっこうや、ただし吸い込むような白にしょう、はねかえす白にしないようにと」言われたとの事。「それで私は初め、全部白で塗っちゃって、座って見たら、どうしても落ち着かんで、今度は黒を一缶もってきて少しずつ入れてテストしながら、塗っていったんです」「それで壁を白くしたんで、画家の先生方の反応をみようと思ったら、皆さん壁には気がつかんでした。あ、これは成功したなとおもいました」(「藤田八栄子の軌跡 桜画廊34年の記録」94頁) 美術手帖での聞き書きは、方言が混じって良い雰囲気である。

                   

August 9 2004

写真評論家の平木収氏がブレッソンへの追悼文を読売新聞夕刊に寄せられていた。「写真に込めた時代の予感」ちょっと良いので引用を: 「カルティエブレッソンの「決定的瞬間」には、一般に理解されているものとは一味違ったニュアンスがこめられている。このことはもっと意識されてよい。ふつう「決定的瞬間」というと、ときの流れを絶妙のタイミングでピタット止めて見せることに意味がある、と思われがちだ。しかし、止めているよう見せて止めてはいないのである。彼はむしろときの流れや何かの動きを表現したくて、シャッターを切っていた。------予兆や予感そして気配などは、眼に見えているわけではない。それを映像化しようというのだから、大それている。----カルティエブレッソンはある一瞬を捕らえて、我々に静止画である写真から、素早いときの流れやそこに立ち現れる予感といったものを実感させてくれる。静止画が脳裏で動画に変わる決定的瞬間を示し、動的な時間を感じる写真表現があることを立証した。」この後が、引用者としては特に強調したい部分だが、あまりに長くなるので、結語だけにとどめよう「時間表現におけるこの業績は、純粋視覚を絵画化したセザンヌのそれに比肩するものとして、不滅である。」 ブレッソンの「サン・ラザール駅裏、パリ1932」と2000年1月の氏を紹介する二つの写真とともに掲載された一文。どうぞ、新聞の紙面で確認下さい。先の『日録』でブレッソン氏とは上手く出会えなかったと吐露したわたしだけど、平木さんの解釈を教えていただきながら、また、神話が深まる気がしている。

                            

August 8 2004

 鈴鹿邸と小川。東海自然歩道。静原へ0.9km 江文峠へ1.0km。
     

左京区静市静原の鈴鹿芳康氏のお宅へ昼から出掛けた。氏の57歳のお誕生会であるけど、手打ち蕎麦をいただきながら、お酒も、お話しもといった無礼講の集まり。氏の交友関係を表すいろいろと面白い人達の交友の場となった。まず小川流の冷茶のお手前でもてなしてくれた。いや上手い、甘くて口の中で広がる芳醇な香りといったらない、亭主の世間話しから五色のガラス器へ移される夏の小川。素晴らしい。その後、参加者がそれぞれ紹介されて、いろいろと楽しくお話しやらお酒。最初のシャンパンから上手い。大人の出会いだけど、みんなの中の青春がうずいている。参加者の中のH氏の若い学生運動時代の京都がよみがえる。過去を話したくるような雰囲気の場。作家の自宅は作品が配置され、緊張感とともにある。鈴鹿さんがだしてくれた蕎麦を取り合って、一同盛り上がる午後となった。「家族写真のエピローグ」の現場をブラブラ歩きながら。こんなハレの日と、そうではない日とのギャップを思い、素晴らしい田舎の雰囲気を味わった。感謝。
     
   


     
     

 
参加者そろっての記念写真。
     
                          

       
August 7 2004

 
藤田八栄子の軌跡 桜画廊34年の記録
 桜画廊記録集編集委員会
 牛山勉 木本文平 庄司達 田中里佳子 塚田守
 発行 2004.5
 25.7×21cm、115頁。
    
     
     

二十歳前の名古屋時代、当時、モデルになってくれたYが教えてくれた伏見の桜画廊へ行った。記憶ではYの知り合いのデザイナーが発表してたか、紹介してくれたかだった。1971.4.13-4.22に開かれた「外国・日本現代版画展」の時。5.10-5.17の「3.3�×10展」にも再訪した。二人で高松次郎が作った奇妙な台形の便箋を買い求め、手紙の遣り取りをした、ピンクと白の二色あって、いろいろ出し合った。ふられた文面も、その便箋で読んだ。たしか、5月の時、さくらのオバチャンが「若い人はこれからだから」とカタログをプレゼントしてくれたと思う。翌年の春に京都へ来たので、桜画廊での展覧会を拝見するのは帰省した時のみとなってしまったが、ギャラリー16の井上さんが藤田さんの話題をよくしてくれたし、名古屋へ出掛けて展覧会を観ていられたので、様子を伺う事が多かった。桜画廊の存在は名古屋を思い出す装置だった。彼女の思いでと重なって甘酸っぱく、先のデザイナーが彼女の憧れの人だと、後で知った。
 その桜画廊についての記録集が現代美術作家である庄司達さんたちによって、5月に刊行された。「藤田八栄子の軌跡 桜画廊34年の記録」25.7×21cm、115頁。一冊1,000円で事務局に残部ありと、中日新聞(7/21号)に紹介記事が出ていたので注文していたのだ。---注文は
白土舎 電話052-212-4680 または、事務局の庄司達氏へFAX 0586-64-0800。
 再録されている「画廊人・桜のオバチャン」を読み直している。彫刻の置かれたホールを抜けて伏見ビルのエレベーターに何度乗っただろうか。明日の力が湧くような想い出、そんな記録集となっている。

 久し振りに在宅した土曜日。お盆前で仏壇の掃除。家の用事をいろいろとかたづける。蒸し暑くて汗がビッショリ。夕立の後は涼しくなった。 弊宅のテレビは6チャンネル(朝日放送)が良く写らない。ノイズが入ってサッカー中継など、ボールが何処にあるかわからない。しばらく観ていると眼が痛くなる、しかし、今宵のアジアカップ、中国戦には熱中した。ジャッジが気にいらないけど福西、中田、玉田とすごい。これから、ちゃんと写る他局の画面で楽しもう。点が入る時の弾道、人の動きのズレ方に反応する視線、身体のリズムの同時進行が楽しいのだね。
                       

August 6 2004

退勤時の阪急社内でOLの二人連れ。結婚披露パーテイーの流れのようだが、記念の手作りアルバムから写真を一枚はがし入れ替えている。おじさんのような人から受け付けの若い二人に。人物の背景や関係は解らないけど、フエルアルバムのような形式は怖い。受け取った人がどうチェンジしようと自由だけど、あれあれと思って、じっと見てしまった。これは、わたしの作った本の末路を心配させる情景。若い女性は残酷だ。
                      

August 5 2004

アンリ・カルティエブレッソンが3日に亡くなったと新聞が報じている、享年95歳。氏の訃報に接っして『日録』に書き込む人は世界で何人ぐらいいるのだろう。それで、書棚の写真集を取り出し氏の業績を振り返っているのだが、昔、NHKテレビで京大の柏倉康夫先生が、氏の自宅を訪問して行ったインタヴューが想い出される。結局、わたしはブレッソンと上手く出会う事が出来なかった。伝説を幾つも読んだり聞いたりしているが、氏の写真そのものには曳かれなかったようだ、この場合の写真と云うのはオリジナル・プリントの意味だが、雑誌や写真集でのイメージには感心させられたが、画廊や美術館での額装されたプリントは、ちょっと違うなと感じていた。何がブレッソンとの間にわだかまっていたのだろうと自問する。きっと世界が完成されすぎているんだね。わたしが入り込む余地が無いんだ。
                        

August 4 2004

やっと手紙を書き、投函。
                              

August 3 2004

福井県立美術館のN氏からマン・レイ展についての資料を送って頂いた。「破壊すべきオブジェ/破壊できないオブジェ」が表紙に使われた「美術館だより」第104号と展覧会のプレート。報告してよいのか心配でもあるけど、福井での「マン・レイ展--私は謎だ」にわたしも参加していたのです。N氏の福井バージョンにマン・レイの肉声を提供。50分程のテープなのだが低く艶のあるブルックリン訛りが話しかける。氏が二階会場の最終コーナーで流してくれた様子。声じたいに存在感があって会場にマッチさせるのが大変だったと教えてくれた。このテープの存在を知っている人は少ないと思うので、福井県立美術館で遭遇された方は幸せですよ。その時のプレートが今宵、手許にある。5.2×8.9cm。「マン・レイ インタビュー マン・レイ:ダダイストの長老 最後のダダイストが語る、その芸術と哲学 1956年 石原輝雄蔵(京都)」展覧会のカタログではいかんともしがたい現場の臨場感。N氏が行った福井バージョンについての記載は、わたしの『日録』以外にないと思うが、展覧会の参加の仕方、展覧会を作りあげる現場の楽しみがここにある。巡回展であっても館独自の切り口が出せ、福井の人達にこの展覧会は貢献していると思う。総ての町が東京と同じになってしまった昨今、多様性の鏡を用意しているマン・レイもすごいけど、N氏も最高だね。
                 

August 2 2004

今日は、月次の締めと月曜日が重なって仕事が輻輳した。帰宅すると青山のときの忘れものから「瑛九展----1936年 画家の出発」(8/17-9/11)の案内が届いていた。眠りの理由の表紙(別バージョン)なんて良いよな。初期作品20点が出品されるのだから観たいな。こんな時、東京は遠い。
 ビール頭で手紙を書こうとしているのだが、頭が酸欠で上手くいかない、それで、『日録』に変更。最近の軽いキーボードになれてしまった脳みそ、退化が怖い----
             

August 1 2004

スピードが遅くてやきもきしていた台風10号も、やっと日本海に抜けてくれた。資生堂からの作品返却日程を一日ずらし、黒雲が広がり風は強かったりしたが、朝からスタンバイしていた。予定の午後1時を無事むかえますようにと祈る心境。今度の台風、京都では直接大きな影響は無かったけど、昨日の東名下り線が通行止めだったりしたので心配していた。美専車の空調が万全であるとしても、相手は台風、困ったなと数日前から担当のMさんと調整。彼女もとても心配し、無事に作品を返却しなければと念じてくれていたわけである。予定をずらしてくれたのも氏の提案だった。昨日は雨が降ったりしていたから、最初の予定で突き進んでいたら、湿気等で問題が発生していたと思われた。
 東京から移動して来られた同僚のSさん共々、一安心での作業開始となった。搬出とは違い、詳細なデータ・シートを作る作業を伴わないので、展覧会の様子等を改めてお聞きしながらの点検となった。今後、きちんとした保管をしなければならない事を痛感しつつ作品を受け取った。13,000名以上の入場者を記録した今回の「マン・レイ展---まなざしの贈り物」。女性の方は一階のファッション写真を喜んでくれた様子であるが、男性陣は二階奥の版画作品のコーナーに興味を示されたとお聞きした。専門家の方々から特に支持されたとの事で、担当のMさんから展覧会に奥行きが出来て良かったと感謝された。
 わたしは、たまたまマン・レイの作品を預かっていると云うスタンス。マン・レイが人々に注目され、彼のライフスタイルが21世紀を生きるわたしたちの指針、共感を呼ぶお手本となる事を願う。人々の役に立つコレクション、そんな位置を与えてくれたマン・レイ、そして、今回の企画を打ち出したハウス オブ シセイドウのスタッフの方々に感謝。
 それにしても、作品やら資料やらを片付けるのは大変である。しばらく部屋に置いてと算段していたが、二階が暑くて断念、とりあえず納戸や本箱に収める。これらが3ヶ月ほど留守にしていた間に、空いたスペースへ物を詰め込んでいたので、ジクソーバズルを仕上げるのに苦労した。今宵もビールが旨い。