July 31 2004
春日通り仏光寺のS.JAM前で、
出番を待つ陽気な二人。
岡田しげひろと熊澤洋子。
午後1時、旧友のW氏来宅。今日は自宅近所の17会場78組が参加する「西院ミュージックフェスティバル2004」の当日。ビールでも飲みながらジャズでもと楽しみにしていた。スターバックスでのジャズ12:30-からスタートのようだが、まずは自宅でビール。京都写真クラプの事やら何やら気楽な世間話を家族と楽しく交わす。30年来の付き合いだからいろいろと話題はつきない。そんなんで、ずいぶん気持ち良くなり、出掛けられたのは4時を過ぎてしまった。まず、サルベージへ行ってハービー・ハンコックやウェイン・シューターのナンバーを演奏するMONKφ4を聴く。テナーサックスをメインにピアノ、ドラム、ベースのオーソドツクスな組み合わせ。スタンダードなナンバー。ジャズは良いな。会場やらで友人の知り合い数人を紹介される。その後、春日神社、e's styleと移動しcomodoバンドを聴く。ヴァイオリンを始めた友人のお目当ては7時30分からのバイオリン2台が競演するバイオリンズの演奏なので、ちょっと腹ごしらえ。西大路蛸薬師のラーメン工房一心でワンタンメン。ワンタンの肉、刻んだチャーシューの甘さ、細麺、ヨッパライ味覚には最適でこれが美味い。一杯580円で幸せ。
入山ひとみと熊澤洋子の美人二人によるバイオリンは素敵だ。身体と共にある楽器のエロテックである事よ。二人にベースとギターが付く。一端、自宅に戻り家人達と連れだってS.JAMでの「しげとくま」を聴く。先の熊澤さんと岡田しげひろさんが気心の知れた組み合わせで熱演。ジャンゴ・ラインハルトのナンバーやら東欧系のジプシー曲、くまさんのオリジナルも入り混ぜ、何曲も聴かせてくれた。先のデュオはアップテンポだったが、S.JAMではスローなナンバーも。わたしはジントニツクだったけど、この店には美味しい泡盛があるらしい。結局、次ぎのグループに会場を引き渡した10時30分にお開き。楽しい一日だった。
July 30 2004
東から西に向かう不可思議な台風10号に困惑させられている。京都では4時ごろきつい雨降りだったが、夕方、夕焼け空の反対側に黒雲が流れ、予期せぬ光の面白い情景。カメラを持っていなかったので、眼で楽しむ。今日で6月は仕事最終。まずまずの今期スタートとなった。西院のミスタードーナツで子供達へのお土産。ビールを飲んで一息。忙しい一週間だった。
「現代美術/パラダイム・ロスト」で著名な中村敬治氏の講演会が原宿のナディフで開催される。8月5日(木)18:00--19:30 題して「批評は生き残れるか-<芸術>と<アート>のはざまで」 チラシには「批評とは、<悩める概念、踊る言葉>の真実と諧謔かもしれない」とある。氏の書斎でマン・レイについての資料調べをさせて頂いた頃を思い出す。感謝。水声社から「現代美術巷談」が刊行された。
July 28 2004
月中には決算の数値をかためなくてはと、今日も続けて忙しい。さて、埼玉県立近代美術館からマン・レイ展の招待状が届いた。こちらの方では唇がくっきり刷り込まれている。チラシのデザインも素敵だ。美術館ニュース[ソカロ]に平野到氏が「オブジェに魅せられて」という一文を寄せられている。
July 27 2004
今日も忙しい、仕事がどんどんたまってパニック状態。帰宅して気分転換をはかるも、海外の古書店やネットオークションは夏休みモードで低調。それで「マン・レイ 展覧会」などとお気楽なキーワードで検索したら「アートシティ「展」」に遭遇した。「金沢から発信する全国の美術情報サイト」との事。ここに福井県立美術館で開催されていた「マン・レイ---私は謎だ」の紹介記事が会場の写真入りでアップされていた。
http://21st.c-art-city.com/museum/
その内の一つに学芸員のN氏による福井バージョンの「永続するモティーフ」がある。わたしが訪問した時、アイデアをお聞きしていたが、現場写真はすごい。ハサミ、目玉の写真をくり抜いた紙片、金槌、デッサンがメトロノームの前に置かれている。まいった。やはり再訪すべきだった。
July 26 2004
忙しい。
July 25 2004
中日新聞のタイトルに描き込まれているのは鳥、名古屋城、ツインタワー、名古屋ドーム、夫婦岩で、稲穂がたわわにみのっている。昨夜の夕刊には岡崎市美術博物館でのマン・レイ展を紹介するCさんの記事が載っていた。昼前、近くのこもれび書房へ自転車で出掛ける。古書店を覗かないと落ち着かないのだよね。博物館前商店街の太閤堂書店、一二三館書店、ブツクロードにも寄るが、成果無しでホットする、いつもの事だ。丸忠寿司で昼食を買い込みビール。部屋でゴソゴソしていたら、昔、刈谷で写真の集まりをした時に東京のN氏が持参された全判写真が出てきた。学校とデモと基地といった定番の情景だけど、当時、熱中して写真を語った事を思い出した。30年以上昔の出来事、老いた母と50を越した兄姉達。
July 24 2004
撤収作業に入った京都市消防局の一台。
ゆっくりと起き出してから名古屋と思っていたのに、けたたましいサイレンで眼が覚めた。なんと自宅前に消防車、近くのマンシュンから煙が出ていて大騒ぎになっている。火事は本当に怖い。幸い延焼とはならず、しばらくして鎮火した様子。たまっている写真の整理を済ませ昼から出掛ける。伏見で地下鉄を降り名古屋画廊へ寄ってから「日本の木版画100年展」初日の名古屋市美術館へ顔を出す。「創作版画から新しい版表現へ」のシンポジウムが二階講堂で終日開かれていて担当のY氏も忙しそう。版の仕事と云えば野田哲也さんが好きだけど(シンポジウムの会場でお見かけした)、今回の展示品の中では永瀬義郎「髪」、砧伊乃助「裸婦」、宇治山哲平「木陰に憩う」等が良いと思った。その後、老齢の母と会い、兄姉そろって夕食。風があって過ごしやすい夕暮れだったので車椅子を押し、近くのデニーズへ。ファミレスへ入った事のないわたしは、味といいサービスといい及第点で驚いた。車椅子で入れる店が少ないからとても助かった。みんながいると母の食もすすむ。その後、自宅で飲み直し。さらに、兄といなよしへ行き美味い造りでビール、焼酎と続ける。名古屋は良いな、ドラゴンズの中継も楽しい。
July 22 2004
旧知のN氏と西院のスタバで打ち合わせ。11月に自己表現、自己実現、あるいは社会参加に繋がるようなレクチャーを頼まれた。もちろん写真を通しての話題。銀紙書房の紹介が中心となるだろう。氏から若い人達の状況をいろいろとお聴きして複雑な心境。心の問題はある種のカウンセリングの側面を求められるのだろうか。どんな切り口とするか考えなければ。一方で団塊の世代、老いの問題もチラツクような気がする。
July 21 2004
『日録』の前に必要なメールを幾つか入れる。それで、12時を過ぎてしまった。
July 20 2004
会社のパソコンが壊れた。朝、電源を入れた時点でディスクエラー。マスターやデーターを救う努力を担当者がしてくれたが結果的にスクラップ。それで、新たにソフトを導入しマスターのセット・アップとなった。部門で一番旧い機械、壊れたら大変だと冗談を言っていた矢先の現実。今週の段取りが初日から狂ってしまった。
July 19 2004
友人の書斎には、
貴重な写真集が集められている。
それぞれにコーナーがあって
手前の方にはウイリアム・クラインの「ニューヨーク」
と云ったラインナップ。
昨夜は「中部学生写真連盟高校の部」の友人と、久し振りの酒盛り。いろいろな話で盛り上がったが、12時前にウトウト。冷酒はこたえる。7時から始めたから仕方ないか、歳のせいだろうね。それで、5時前に目覚めた。早速、友人の写真集コレクションを拝見する。初めて手にする書物が多い。友人は東松照明や森山大道、荒木経惟をメインとしているけど、全日本学生写真連盟に関係する資料、特に中部学生写真連盟を重点的に確保したいと思っている。わたしが写真を始めた10代後半からの付き合いだから、彼の蔵書群にはわたしの原点も多数含まれている。30年ぶりというものがある。例えばガリ版刷りの「足ぶみ飛行機」、原書は明治大学カメラクラブが1966.7.18に刊行、昨夜、最初に寝てしまった碧南のS氏が、この本に感激しテキスト部分をすべて書き写したもの、わたしの手許にもあったはずだが、今はない。氏の高校生時代の情熱。この本の最終部分には「星の王子さま」から、次ぎの引用「心で見なくては物事はよく見えないってことさ、かんじんな事は目に見えないんだよ」、あるいは、福島辰夫氏の別刷り本「歴史はなにを教えるか 1」わたしが当時、見たことのない本。今朝はこんな部分に気が付いた「このテキストのつかい方---写真はわからないという人はあっても、ふつう言葉はわからないという人はいない。それだけでも、言葉でなにかをすることのあぶなさ、むずかしさに思いをいたすべきであろう」(45頁)
荒木経惟の「センチメンタルな旅」には、
著者による三本の卑猥な鼻をかざした
愛らしい象のデッサンが描かれている。
友人も起きてきて、いろいろと話す。彼が教えてくれたところでは、木村伊兵衛氏の写真集で珍しいのは昭和11年に誠文堂新光社から刊行された「かがみ」が表紙に使われている「小型カメラ写真術」との事。491関係の写真集や中部学生写真連盟の会報(山本悍右先生のエッセイや展評等収録されている)などを手にする。彼は飯沢耕太郎さんの「「芸術写真」とその時代」が出て随分楽しんだという、紹介されている写真集を自分の書棚から取り出し確認しながらの読書だったと云う。お茶を飲んだりもしたが、6時間写真集を見続けた。その中で、すごいと思ったのは濱谷浩氏が夫人を追悼して刊行された「女人暦日」(1985)。手の物語なんだよ、動きがあって、意志を持つ手、働き者だけど控えめな日本女性の手、そうした手に支えられながら、図版13の蚊帳のエロティクな事といったらない、上品で素晴らしい。でも、胸がキュンとなった。失われた人を見る写真家の眼の客観的である事よ-----
知立のY氏の悲しみが、冷蔵庫にピンナップされた写真と、視線をずらした最適の位置に置かれたもう一枚の写真とが作り出す空間にある事を感じた。彼は一番好きな写真家としてラルティーグをあげたが、写真の本質は、生活の中での記念写真に有るんだよね、そう有りたいと願う。彼との30年を振り返って、どうだろうか、ルネ・グルーブリィの「愛の眼」や荒木経惟の「センチメンタルな旅」等、恋人を撮った写真の素晴らしさってないよね、写真は写真するための生活を撮る者に求める、なんと呪われた芸術であることか。
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午後、岡崎市美術博物館を再訪。車の中でも世間話やらいろいろ。昨日の印象とは違ったものを展示場で感じた。出会う毎に違ったものとして現れるマン・レイ作品に感謝。今日も新しい発見を幾つもした。それで、昨日に続き学芸員のCさんにお願いして撮影の許可をいただく。その後、セレーノでランチ。友人は車なのでわたしだけビール。こんなんじゃいけないと思いつつ、大好きなマン・レイの近くにいると飲みたくなるんだよね。京都写真クラブの二宮保典夫妻も10時からマン・レイ展を観ているとの事で合流。友人に京都写真クラブへの参加を勧める。景観の良いレストランで家族写真の話等も先輩からお聞きする「主人は部分しか撮らないから」との夫人発言。楽しい生活があってこその写真だと、改めて納得した。
July 18 2004
岡崎市美術博物館
1995年11月竣工、栗生明設計。
「体を運ばなければ得られない出会いの場、
日常生活では体験できない心象風景を目の当たりにすると ころ」とガイドにある。
車社会に適した抜群のロケーション、ゆったりした駐車場 が用意され家族そろって一日楽しめる美術館である。
ネットで名鉄、東岡崎駅からのバス時刻を調べたら、9時16分の次ぎが50分、その後は一時間に一本の運行だというから、余裕を持って6時半に自宅を出た。今日は、岡崎市美術博物館へ移動した「マン・レイ展---私は謎だ」の二日目で巌谷國士先生の講演「マン・レイ---謎の旅人」が午後2時から予定されている。朝一番から入館し、じっくりマン・レイを観てから先生のお話を聞く作戦である。風の道と水の道を持った緑あふれる交差路、中央総合公園内にガラス張りのモダンな空間が用意されている。緑が多いからマン・レイ展のイメージ・カラーである緑が映える。エントランスホールから一階に降り会場へ。壁面がグレーでグロッタへ入って行く感覚である。マン・レイの眼のイメージ、ピンスポットからして暗示的な構成。自画像とメトロノーム、自由な手から導かれて行く。狭い通路から広々としたホールへ、また狭い通路に入って、行き止まりになったり、ホールへぬけたりさせられる。迷路のあちらこちらに「マン・レイの謎」が仕掛けられている。なんとも、手の込んだロール・プレーだ。会場でスナップ写真を撮っていたら講演会の始まる時間となってしまい、昼食をとらないまま整理券の列に並んだ。しかし、これがすごい、定員70名がまたたくまに満席となっていた。
マン・レイ展会場
「ランプシェード」や「障害物」が
怪しげな光に身悶えている。
さて、巌谷先生の講演である。事前に係の方がカタログを手許に置いて聴かれたら良く理解出来ますよと案内されていたので、ほとんどの聴衆がカタログのページを開きながの進行となって、期待がふくらんだ。スライド80点、ビデオ2本を用意した盛りだくさんの話ですと先生は始められた。マン・レイと云う人物の魅力、先生が監修を引き受けた様子等をお聞きする。マン・レイについては越境性---境を超えるもの、油彩と写真と彫刻。反復性---同じ主題が何度も繰り替えされる。自伝性---マン・レイの作品は、ほとんど総ての場合、彼の生活が織り込まれている。二重性---マン・レイとエマニュエル。先生のお話を聞いていて「フェルー通り」の版画が欲しくなってしまった。昔、マリオン・メイエさんの画廊でアトリエに招待された時、場所はここだよとヤンが教えてくれた版画なんだよね。版画は買わないと決めているのだけど、この一点については血が騒ぐ。また、先生はマン・レイの書物について、彼はブックメーカーでもあるから、今回の展示では作品として扱っていると説明された。一時間程してスライドが始まる。最初はモンパルナス墓地。先生が撮られた風景写真も多い。気になるのは、パリでマン・レイが最初に泊まったラ・コンダミーヌ通りのアパート、イストリアル・ホテル、ヴァルドグラース通りのアトリエ、ダンフェール・ロシューロー通り等々の最近の様子。パリに一度しか行った事のない私は、じっと目を凝らした。不思議な町をいっぱい歩いていらっしゃる先生は、写真家でもあるので、すごい、うなってしまう。今回のスライドの圧巻は南仏イエールにあるノアイユ子爵の別荘(野外彫刻や室内装飾、調度品は存在しない廃墟であるが、現在は改装中)であり、その後に上映された「さいころ城の秘密」、字幕のフランス語を先生が解説してくださるのだから、ファンにはこたえられない。結局、4時45分までお話しは続いたが、わたしも含めて聴講者はまだまだお聞きしたい様子。巌谷先生のマン・レイ講義に参加させてもらっている生徒の心境である。もちろん、わたしも。次回は9月18日に埼玉県立美術館で行われる「反逆のユーモア」、これも楽しみである。
マン・レイの迷路で
わたしの好きな作品が、
ひそひそ話しをしている。
July 17 2004
長刀鉾がまず出発。
本年度の稚児は岡慶治郎君。
かむろ役は中川真乃介君、杉岡和哉君。
「鉾が動き出すと同時に稚児は立ち上がり---」と
「祇園祭細見」にある。
山鉾巡行を見に9時、四条烏丸へ。長刀鉾のお稚児さんを楽しむ。人形で巡行する他の鉾と比べると、やはり生稚児、9歳の男の子は美しい、神の化身でもあるのか、性を持たない存在として、巡行を取り仕切っている。注連縄切りも良いけど、いよいよ始まる緊張感が一体を支配する、三井住友銀行前のこの場所が特等席だと思う。幾つかの山と鉾を見送ってから南観音山の町内へ。もともと後祭りでの巡行であるから出発までのゆったりとした雰囲気が部外者にも伝わる。この一体感が楽しい。鉾は北向きに組み立てられているが、四条は逆方向。最初に町内の北端(蛸薬師通り)まで上がってから、曳き手が移動し四条までゆっくり下がって行く。町家の軒やら電信柱やらをぎりぎりに抜けて行く職人技はすごい。車方の腕の見せどころである。辻回しはバックして入る感覚で、四条通りに並んだ。ゆっくりとした笛の調べ、青竹に掛けられる水の勢い、静と動。晴れの舞台。曳山から鉾に転じた南観音山では真松が立てられている。床柱には向かないかもしれないけれど、巡行に使われた真松を家の部材に使えたら素敵だろうな。順番を待つ山や鉾、四条へ上がってきた岩戸山、伊弉諾尊の右足のはねぐわいの可愛いことといったらない。四条河原町での辻回しや御池通りの観覧席とは違い、町内から出発する朝の山や鉾は楽しげだ。途中、船鉾を取材中の写真家、今井一文氏と立ち話。雑誌用企画との事。今年は雨の心配が無くビニールを掛けずでの巡行で、それぞれの懸装品が美しい。でも、お気に入りの鯉山が一番かな、華やかな緑色が春の装いで素晴らしい。
南観音山
July 16 2004
四条新町の辺り
月鉾を取材するテレビクルー
仕事の段取りが順調に進んだので日没前、宵山の街に出た。仏光寺通りから室町、四条の辺り。白楽天山、鶏鉾と観てから、ブラブラと四条通りを西進して、月鉾、郭巨山へ。歩行者専用となっている通りにテレビのクルーが沢山出ていて中継をしている。月鉾はビニールを掛けていないので美しく楽しめ、コンチキチンのしらべが厳かである。振り返って見上げると鉾頭の三日月が西日を反射し輝いている。それから、西洞院を上がって気になっている蟷螂山の町会所を覗く。大宮までと思ったが気が変わって戻り、放下鉾、函谷鉾をめぐり祇園囃子を聴きながら阪急へ。わずかな時間だったけど素晴らしい。放火鉾の鉦なんて、キンキンして疫病退散の願いだと思った。帰宅すると居間に長刀鉾のちまきが置いてある。門口につるさなければ。明日は巡行。長刀鉾にお稚児さんがあがるところを観てから、後祭りの鉾の方へ歩いてみようかな----、
July 15 2004
日経新聞の夕刊「プロムナード」で石田衣良氏のエッセイに「公務員の論文試験に合格する鉄則」が書かれていた、それは五項目で「1)国に対する批判を、いれてはいけない。2)現役の国家公務員に対する尊敬の念を表現する。3)マスコミ風の文章にしない。4)自分の考えをいれない。5)国をたてること。」とある。わたしは、こうした事に巻き込まれないように、銀紙書房で自由きままに書いてきた。自らのメディアを持ち、自ら流通させること。自分にへつらうことなく客観的でいること、これも難しい。
July 14 2004
四条烏丸は祇園祭の宵山モードで浴衣姿の娘さんが溢れている。昨年はカメラを持ってブラブラ、パチリパチリとやったのだが、今年は忙しい。エクセルの計算式を一日なぶっていると、眼が最悪の状態となる。そんな帰宅時に可愛い娘さんを見るのが楽しい。東京のギャル達と違っておもむきがある、京都は良いな。今年は宵山が金曜日、巡行が土曜日なのだから、仕事に目処を付けて本年お披露目の懸装品を確認したいと思っている。地方から上京した田舎者は都人の雅に脱帽である。しかし、家人などは隣街の祭りだとあってほとんど無関心。さてさて、机上の蛍光灯が故障して手暗がりのキーボードとなってしまった。
July 13 2004
暑くて忙しい。三連休に岡崎市美術博物館での「マン・レイ展 私は謎だ」へ行く予定をしているので、場所や交通機関の確認。巌谷先生の講演は日曜日の午後2時からで「マン・レイ―謎の旅人」の演題。楽しみである。
知人がデザインした東京蒙古旗揚げ公演「加藤ミサ百物語(仮)」のチラシをいただいた。脚本;森下裕太 演出;鈴木径一朗で9月3-5日に大阪恵比須町にあるインデペンダント-テアトルで演じられる物語だそうだが、ハンナ・ヘッヒのようなコラージュで感心した。対話する人のシルエットにも、したたり落ちる血の流れや、櫛がひっかかる思い髪の絡み具合ともとれる下部の雰囲気が面白い。新しい才能をひとつ教えられた。こうした媒体からデビューしていくものなんだね。感謝。
July 12 2004
帰宅し、東京での『日録』を書き込む。
July 11 2004
上段 ハウス オブ シセイドウ
下段 二階会場でのわたし
銀座ベルビューホテルで簡単に朝食をすませ、10時前JRをぬけて日比谷公園の方へ。昨夜、近道に気付いたのだが、東京宝塚劇場など朝から長蛇の列。家人達の部屋へのエレベーターホールから観る皇居の緑が美しい。今回の上京は家族サービスの側面もあり、終日、荷物持ちとして女性達の指示に従い行動。まず、竹下通りの小物買いに付き合い、裏原宿のヘッドポーターでここにしか置いていないブラックビューティーを目指す娘達に連れられ、面白い世界を見物。若い変わった店があちらこちらにある。30年も前にクイック・ホックスと云う本屋を探した事を思い出したが、高松次郎の展覧会をしている表参道のナディフを探索させてもらい、しばしのマン・レイ・タイム。しかし、このところ、ここで何かを見付けることは出来なくなってしまった。新刊も古書も直接買っているのだから仕方ないが、寂しい。
午後、明治通りから渋谷に出て、ビームス探検隊のお供、彼女たちはコヒーショップに置いてあるパソコンで店の場所を検索。いやはや便利。西武百貨店や109も覗いているが、オネイ系とかギャル系とか、わたしには不明のファッションセンスでパスする店も多い。娘達の好みが何系なのかは、わたしには判らない。雨が降った為か蒸し暑い。銀座に戻り、買い物を続ける一向にお許しを頂き、ハウス オブ シセイドウを再訪。今日も沢山のお客さんである。スタッフの方と世間話をいろいろ。わたしのホームページを観ていますと云う方もいらっしゃって赤面する。一万人以上の方にマン・レイを観て頂いているのだから、今回の展覧会は大成功だと思う。この中から、何人の「マン・レイ狂い」が生まれるのか、10代後半のわたしのような人はいるだろうかと気にかかる。
帰りの新幹線に余裕があるので、中央通りのワールドタウンビルにあるイタリアン「タント タント エレガンテ」で締めくくりの夕食。水が流れ落ちる空間で美味しくパスタを頂く。ビールを飲みながら、デザートをシェアしている二人の娘を観ていると、平凡な幸せを感じる。芸術に身を投じること、でも、生活の実際面も大切にしなくてはいけない。芸術家は自由であり、楽しくなくてはと思う。マン・レイを追い求める事が、禁欲的だったり、刹那的だったりするのではなくて、バランスの中にあるように、そんなふうに思った二日間だった。
July 10 2004
福井県立美術館のN氏から心温まる長文のメールを頂く。展覧会に対する氏の思いを教えられた。「マン・レイ展 私は謎だ」を再訪したいと思いつつ、実現できないままとなってしまい(7月11日迄---)、残念に思っている。館独自の視点、いろいろとアプローチされ、それが、ことごとく成功しているので、観客としては有り難い。感謝。氏が企画される展覧会の時には、又、出掛けたい。
さて、これから東京。関東の天気は良いそうだが、京都は強い雨が降り始めている。新幹線が定時運行でありますように。昨夜、横浜のT氏と待ち合わせの約束をしたので彼と最近の情報交換から始めよう。(8時47分書込)
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ところが、岐阜羽島と名古屋間で新幹線がストップ、運転再開とはなっていたが東京に27分遅れでの到着となった。T氏と落合い田村書店まで世間話、その後、幾つか古書店を回る。松村書店では目当てのオークションカタログが無くて残念。それでも魚山堂で1983年のサザビーズの写真オークションのものを見付る、店主と明治古典会の話をしていたら出品番号1511「メセム属」が20万円からの価格で出ている事を知る。献呈署名入りの一本であるが、現物を見られた店主から著者の下郷羊雄から山本悍右宛てと聞いてビックリ。本文中の中程ページに記載されていて下郷さんの名前はローマ字だと云う。古典会の一般入札は後、一時間で終了のタイミングなので、この情報を知立のY氏に入れることができなくて残念。わたしの友人にしても50万円を超える価格となるであろう稀覯本にトライするのは困難だろうが、悍右氏あての一本となると、心が騒ぐ。その後、靖国通り北側の新しい古書店「ひぐらし」「山猫屋」「すからべ」等を覗く。この中では山猫屋が、資生堂で展示中のハーパース・バザー誌などもあってわたしの収集傾向と一致する。直接、海外から取り寄せている身としては、値が高い。でも、どんな出会いがあるか、こればかりは判らない。
5時過ぎに資生堂に入り会場の雰囲気を確認。今日も沢山の人達が見て下さっている。感謝。トークショーは2階のライブラリー・スペースを使って開催するそうで、飯沢さんと簡単な打ち合わせ。氏の進行に従い質問に答える形で「マン・レイの贈り物----トークトーク」が始まった。「マン・レイはどんな人だったのか」生い立ちや名前の由来、1910年代のニューヨークの事など。話をしている当人としては、何をしゃべっているのか判らない部分も多いが、熱心にメモを取るりながら聴いて下さる方もいらっしゃって、恐縮する。考えながら自由気ままにおしゃべりしていると、今まで気が付かなかった新しいマン・レイの発見が幾つかあった。しかし、マン・レイの出会った女性達の話題に分け入ってしまうので、軌道修正に手間取った。写真史の専門家である飯沢さんの御指摘で、名古屋アバンギャルドの水脈がわたしのところまで流れている感触をつかんだ。山本悍右先生や東松照明氏との出会い。60年代後半、土門や森山ではなく、東松さんであった理由って、上手く説明出来ないけど、自然に惹かれてしまったのだから不思議なんだよね。キキやリー・ミラーの話題の次ぎに、フェル-通りのアトリエ・スライドを投影しながら、ジュリエットの事を少々。とりとめのない話となってしまったが、聴いて下さった人達に有意義な時間となりえただろうか、講演と違って、トークショーと云うのはアットホームでマン・レイを楽しむには好都合と自画自賛。「作品はいくらするのか」とか「マン・レイの原版はどれくらいあるのか」などとの質問も受けた。最後には作品を前にして簡単な解説。予定の九時をいくぶん超過して終了。その後も幾つかの問いかけをいただいた。感謝。
リーフレットへの反応もおおむね好意的で安堵。デュシャンピアンのK氏も写真がそれぞれ違うのは良いね。自然光の写真はさすがに「マン・レイ」上手いねと言われて嬉しくなった。40部用意したが総てを配布する結果となった。----残部があったら欲しいとの注文も何人かの方からいただいていたが、ゴメンなさい、無くなってしまいました。----それで、いつか古書市場に法外な値でこのリーフレットが登場しないだろうかと、バカな期待をしてしまった。
終了後、打ち上げを兼ね、飯沢さんと共に銀座ライオンへ、タイミング良く二階の個室が空いていたので、一同ゆったり席に着き、早くビールが飲みたいと催促。VOUの清水雅人夫妻、写真家岡崎克彦、若い女性達も交えて黒ビールやらハーフ・アンド・ハーフやらをそれぞれ飲みながら歓談。銀座の夜は更けていく。ヨッパラってしまう前に長女にストップをかけられ、気持ち良い余韻を楽しんだ。いつもこれが出来たらわたしも大人なんだけどね。ライオンの前で記念写真を撮り解散。帝国ホテルに泊まる家人達を送って部屋まで荷物持ち。さて、一人の夜である。カメラ片手に有楽町のガード下辺りをブラブラ、路上に机と椅子をならべた居酒屋がいくつか、そろそろ店じまいの時間、蒸し暑い夜である。自分のホテルに戻って缶ビールをグビグビ、沢山話をしたので喉がビールを欲しがっている。
帝国ホテルの客室から
JR有楽町駅を望む。
July 9 2004
知人から恒例のスズムシを頂いた。輸送用のパッキンを外して空間を拡げてやると、気持ち良く鳴いているように感じられた。さて、明日は東京、どんな「トーク・トーク」の展開となるか、飯沢氏の進め方に期待しよう。
July 7 2004
暑い、どこにも出ず、クーラーとビールばかり。トークショーの確認をかねて、スライドの整理を行う。
July 6 2004
今日も一日忙しくバタバタとした。でも、就寝前に巌谷先生のテキストを読み返していたら、こんな記述----「ダダもシユルレアリスムも、雑誌、抗議ビラ、展覧会カタログといった出版物に重きを置いていた。マン・レイはその種の活動の場に、しばしば独特のアイデアとエスプリを提供した。」(「わたしは謎だ。」122頁)
July 5 2004
昨日からダウンしていたヤフーのメール機能が回復したので、メールを5つ、ジェラード氏にも入れる。18日に岡崎市美術博物館で行われるマン・レイ展での巌谷國士氏の講演が楽しみ、友人とスケジュール調整を行う。
講演会のお知らせ 「マン・レイ―謎の旅人」 講師/巖谷國士(明治学院大学教授) 日時/7月18日(日) 午後2時~ 聴講無料、先着70名(午後1時~整理券配布)
July 4 2004
決算業務も含めて忙しく『日録』の書き込みがおろそかになった。楽しみにして、毎日ホームページを覗いて下さっている皆さん申し訳ありませんでした。小生、写真評論家で「Man Ray, The Gift of His Vision」展の監修者である飯沢耕太郎氏とのトークショー(午後7時から9時まで、事前申込み制)を行うため7月10日(土)には銀座・並木通りにある「ハウス オブ シセイドウ」に登場します。夕方には会場に入る予定ですから、どうぞ、気楽に一声掛けて下さい。展覧会のご感想など聞かせていただけたら嬉しく思います。
マン・レイの[贈り物]----man ray istの日々
7月10日(土)午後7:00-9:00
石原輝雄 x 飯沢耕太郎
HOUSE OF SHISEIDO 2階ライブラリー
リーフレット 限定50部 ナンバー、サイン入り
21x14.8cm,
さて、やっと、飯沢さんとのトークショーで来場者に配布する予定のリーフレットが完成した。部数に限りがあるので来場された方、全員への配布は出来ないかもしれないが、ご期待下さい。そして。この『日録』の読者で、当日、開場に来られ、手にされる方がどれだけいらっしゃるかわからないが、事前の情報として、リーフレット作成の状況を報告しておこう。
作業環境はいつものIMAC、プリンターはHPのデイスクジェット1220C。本文用紙は平和紙業のキュリアスIR 103kg. 使用ソフト:ページメーカー、印字設定は厚手普通紙、品質:ノーマル、インク濃度:ノーマル、乾燥:ノーマル。前回「指先の写真集」を作った時に苦労したので、今回は覚悟しながら作業に入った。それというのも用紙を充分揃える事ができなくて、ぶっつけ本番状態であった。印字設定も色々変更しながらのテストだったが、結果的にノーマルが一番綺麗な印字となった。しかし、ソフトの書式、行揃え、均等配置ではエラーが発生。複数枚発行時に均等配置設定が消えてしまった。その解決策は一枚発行する毎にファイルをクローズさせ。又、開くといたオペレーションを繰り返すことだった。これも、メモリー不足が原因だと思うが、いまさら追加出来ないので、しかたない。そんな訳で、貴方が会場で手にされる、リーフレット、作者としては、それなりに苦労しているのですと、報告しないではいられない。
シュルレアリスト達がプライベートに作っていたであろう、こうしたパピヨンがわたしの大好きなものであり、現在、展示しているマン・レイ資料と同じスタンスなのである。観客のほとんどの人が、すぐに忘れ、捨ててしまうリーフレット。一人だけでも後世に伝えてくれないかなと、願わずにいられない。わたしが、血眼て追っかけているマン・レイ資料は、こうした状況にあった品物なのである。わかりますか------
July 2 2004
Peintures et dessins provenant de l'atelier
Paris, Galerie 1900 - 2000
September 20- October 15, 1988
Poster 51.5 x 42cm.
リーフレット、試作品完成。さて、量産工程はどうなりますか。フランスからギヤラリー1900-2000でのマン・レイ展ポスター到着。バタバタとした就寝前に額に入れ部屋に飾る。展覧会が開催されたと知ったとき、マルセル氏にポスターも含めた展覧会資料を送って欲しいと頼んでいたのだが、当時、カタログと案内状しか送られてこなかった、氏はポスターも作っていたのだと今回知った。それにしてもパリ郊外に住むジェラードには感謝、これで、珍しいポスターのゲットが二回となった。