2004.9.1-9.30 マン・レイになってしまった人

September 30 2004
   
メアリーが列島を縦段し各地に被害をおよぼした。京都の雨風もきつく今朝は小雨が残っていた、その為もあって、逆に出掛けの西空にくっきりとした虹が架かり気分良い。9月の最終日である。郊外の駅から事務所までの田舎道に朝顔が咲いているフェンスがある、今年はそろそろお終いとなる頃だが、この朝顔、茎のところで花がむしり取られ種が出来ていない。意図的なのだろうか、最後に翌年用の丈夫なのを残す為だろうか、それともストックがあるのだろうか、養護老人ホームの前だから、お花を何かに使うのだろうか、それにしても、種が無いのは何故と、足を止めて考えた。考えすぎると遅刻するので、何時も中途半端で疑問だけが残る。
  
 9月は売上目標を達成、事務処理もそこそこで終了し、楽しみを持って帰宅。マジック1のひいきチームが優勝を決めるかもしれない。優勝したら宴会だ。別のチームのファンはイチローの新記録が達成したら、中日の記事はこんなに小さいねと、手で仕草。でも、早く優勝してほしい。家のラジオをつけたらラミレスが2ランを打つタイミングだった。聴かなきゃよかったと、くやしがることしきり。

 渋谷の松濤美術館から「安井仲治」写真展、レセプションの招待状が届いた。案内には「今回、新発見・初公開の十数点を含む、ヴィンテージプリント約170点に加えて、膨大な数のフィルム、ガラス乾板から、代表作約70点を新たにプリントします。さらに未発表ネガの一部をパネルで紹介し、知られざる安井の撮影現場を生き生きと伝えます。」とある。行きたいね。特別招待は10月4日(月)午後3時から5時。
  
  
   
September 29 2004
   
台風21号(アジア名メアリー)が接近していたので、早めに帰宅する。8-9時頃は雨風ともに激しかったが『日録』を書き込んでいるこの時間(11時)は静かになっている。
  
  
September 28 2004
   
中秋の名月で月見だんごをいただく。月はおぼろでピンボケ写真のように夕方、見えていた。居間には月下美人が二輪、夕食頃咲き始め、風呂からあがった時にはしぼみ始めていた。葉から出る花の茎が、皮膚に隠れた神経のようで、なんとも不気味。恐れながらもスナップ写真を撮った。
  
  
September 27 2004
   
月末週に入った月曜日はバタバタと忙しい。それでも、夜は必要なメールやらフックスやらサイトやらの確認を行う。原稿の校正もしなくちゃ---
   
   
September 26 2004
   
次女の学校の文化祭に家人と出掛けた。今年のテーマは「一生青春」会長挨拶に「ここから始まった青春、得た物、そして夢を大人になっても忘れず羽ばたいていきたいという希望が込められていると思います。」とある。わたしも高校生の時、文化祭で作品発表をしたな「白昼夢」、友人のS君は「団結」70年安保前の時代、甘酸っぱく懐かしい。
 バザーやら自由制作やらをのぞき、ちょつとゲームも、楽しく参加させてもらった。四条に戻りタベルトと高島屋によって食材を仕入れ、フィルム現像を出して帰宅。次女が戻る前に『日録』へ写真をアップしたりして過ごす。

 

 「イジドール・テデュカスの謎」が幾つも並んで不思議に驚く。
   
 下段は開催中の関西を中心とした「展覧会案内」のチラシが
 貼られた美術部展示室の掲示板。
 デュシャンマン・レイが左上に掲げられている。
   
   
   


   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 
   
September 25 2004

 京都市美術館の講演室、市民美術講座会場とある。
 長く京都にいらっしゃる方でもご存じないようなので、
 写真を撮る。
 美術館の建物の裏手、東北側
   
   
   
   
   
「東京の女性像から見る<京美人」と云うテーマでの講演が京都市美術館で開かれる。今日もお気に入りの自転車コースで間に合うように出掛けた。講師は美術館のO氏。東京からこちらに赴任された人なので、期待したのだが---美術とはかけ離れた事柄なので客観性はないのだがと前ふりをされたうえで、「東京はよそ者同士の集まりで、自分達でスタイルを作る。美人画もそうして様式を作り、マスコミに流す、文展に出品する。一方、京都の文化は他から来るものに初めて違いを見付ける。こちらから、仕掛けを作ることはない」「東京の作家は美人画にこだわった。関西に美人画はなかった。改めて作る必要はなかった」とした話題に後半言及された。参加者は約20人。「四条派の流れを持った京都の方がリアリテイを持っていた」などと云う発言もあった。
  
 その後、府立図書館で返却と貸し出し近代美術館の常設展示を観、ウィリアム・ウエッグマンの「ナンバー」、荒川修作の「UNTITLED」等に興味を持った。しばらくぶりだが、展示場がずいぶんと変わっている。そして、山崎書店、丸善と回り帰宅。風が心地よくて自転車が気持ちよい。カフェでお茶をする相方がいれば申し分ない夕暮れなのだが----

  
September 24 2004

風呂あがりに家人が「テレビでデュシャンやるよ」と教えてくれた。10時からの美術館紀行でフィラデルフイア美術館(注)がとりあげられるらしい。それで、建物の中を歩いている気分で観る。遺作の場所(判りにくくて見落とす人もいるらしい)や大ガラス後方の噴水の落下等を確認。行ったことがないのだから、現地の映像はありがたい。やっと、マン・レイの油彩「西暦1914年」の場所が判明した、デュシャンの前室であるようだ、壁面の奥まった位置に一点だけで掛けられている---もちろん、撮影時点でのことだが。同館のコレクション紹介は、セザンヌピカソ、ウォホールと云ったスター達だし、アレンズバーグがマン・レイを無視したから、デュシャンとの関連でもクレジットが入っていない。まあ、いいさ、いつか対面できるだろう。この11月には大阪中之島に開館する国立国際美術館に「階段を降りる裸体No.2」も招来される事だしね。

注) 世界美術館紀行「革命児マルセル・デュシャンの遺産 ~ フィラデルフィア美術館」 9月21日(火)デジタル映像ハイビジョン 後7・30~7・55 9月24日(金)教育・後10・00~10・25

  
  
September 23 2004

西新道商店街の服部不老園茶舗には
京都市美術館で開催中の「題名考」のポスター
下段、中徳のお品書きも面白い。
   
   
   
  

   
午前中、『日録』に相変わらずの手を加え、必要なメールを幾つか。午後から京都市美術館へ出掛ける。お気に入りの自転車コースを紹介しておこう。自宅から仏光寺通りを東進し、寺町に突き当たってから、通りを上がり、次の角で右に折れて河原町通りに出、桃園亭を通ってから地球屋の側に渡って、細い路地を抜けてラブホテルの前から西石垣通りへ、そして団栗橋で鴨川を渡る。床を見たりしながら蛸長の横を祇園まで抜け、場外馬券売場に突き当たってから、今度は花見小路通りを上がって、四条を超え、新門前を右に折れ、知恩院前から白川通りを経て三条道り。岡崎通りから左に折れ、改装中の大鳥居を見ながら自転車を降りる。これで京都市美術館に到着。ざっと25分くらいかな。わかりますか、こんな記述で。信号待ちもほとんどなく、京都の街をいろいろ楽しめる好きなコースです。

 京都市美術館で開催されているのは特別展「新説 京美人」(9月11日--11月7日)。背筋がピンと伸びた、りんとした女性達を楽しんだ。「イメージは絵でつくられ、ひろがった」とチラシのコピーにあるが、イメージの中にある女性像、京都人とは随分違っている印象。全体的な感じは装飾的で、画面に溶け入って浮かびあがらない女性が多いと云ったところであるが、22「初釜」(1925鹿子木孟郎)のリアリテイ、15「維新の花」(1940三木翠山)の強く堂々とした幾松が、欄干から小物を落とす仕草など、色気があってよいね。女性美にはエロテイシズムをかもしだす、動きの要素が不可欠だと思いつつ会場を巡ると106室の出口辺りに142「舞妓」(1978梶喜一)が掛けてある。この絵、良いんです。鼻のツンとした感じの表情にフット眼をとめる作品だし、床のような貴船のような山のシルエットと着物の緑、帯の朱色と上手いバランス。振り袖がツツと揺れた感じなんだよね。作者を確認してなっとく、大先輩のS氏がコレクションしている「鯉」の絵の梶氏ではないか、鯉の感じと着物の感じ、動きが実に良く表現されている。
  
 その後、ギヤラリー16に寄り、岸田良子さんの個展「断片/白地図<サン=シメオン農場の道>」を拝見する。このシリーズ、さすがに岸田さん、うなってしまう。アルゼンチンとかノルウエーとかモザンビークだとか(ひょつとして聞き間違いしているかもしれないけど)の地図、本当は地図ではないのかも知れない。井上さんともいろいろな話、国立国際美術館の「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展(11/3-12/9)とか、豊田市美術館の「イン・ベッド[生命の美術]」展(10/5-12/26)とか。後者はSさんが頑張っているから拝見せねば、タイミング合うかな---  

   
   
September 22 2004

仙台へ出張した9月16-17日の『日録』を仕上げる。その後のマン・レイ展報告に比べると、リラックスして良い調子。気合いが入りすぎるとダメだね。
  
  
September 21 2004

夕食後、『日録』に手を加える。直し出すときりがないので、そろそろやめることにした。友人のY氏とマン・レイの油彩について意見交換をしたり、必要なメールを書き込んだりしていたら、12時を過ぎてしまった。16、17日の『日録』やら、写真の整理やらと忙しい。
   
   
September 20 2004

終日、こもって三泊四日の『日録』整理。今回はホテルや新幹線の中でもメモ書きをしていたので、早く報告することが出来た。感想いただけたら嬉しいね。

 昨夜、帰宅したら鈴鹿芳康さんから、先日のお誕生会の写真が届いていた。良い写真で感激。やはり上手い、すごいね。そして、ストックホルムで開催中のマン・レイ展のカタログがヤンの計らいで送られている。ちょつと良いぞ、これについても報告せねば。しばらくお待ち下さい。
   

 埼玉県立近代美術館がある北浦和公園は左の道、
 埼大通りの歩道を渡った辺りでパチリ。
 大きな看板には唇と「私は謎だ。」のサイン。
 展覧会への期待が盛り上がる。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
マン・レイがくりかえし自問しつづけたのは、「自分とは何か」という点でした。移民の子としてアメリカで生まれながら、祖国に背を向けフランスに渡り、主にパリで活動したマン・レイにとって、自己の存在を問い、内面にひそむ謎めいた自分自身に向きあうことは、生きていく上で欠かせない営みでした。そういった自己への問いから主題を導き出し、変奏させていく手法こそ、マン・レイの特質といえるでしょう。」(展覧会チラシより)
   
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September 19 2004

連泊したホテルで『日録』メモを書く。
集中して書いていたが、ちょっとした作家気分だね。

   
   
   
    
二日目のベットでゆっくり快眠。今朝もヨーグルト、パン、日本茶での朝食。デレビを付けたりしながら『日録』用のメモをノートに書き込む。こんな三泊四日は初めてである。10時過ぎに埼玉県立美術館を再訪。マン・レイ達と再会する。本日お世話になるのは学芸員のK氏。出だしからセンチメンタルな気分での鑑賞である。ジェイコブス氏の重要なコレクションが展示されるのは今会場が最後となる。だから、わたしは別れの挨拶に会場を巡る。K氏に撮影許可を頂いた後、まず、カメラを持たずにそれぞれとの別れ。これが一番なんだ、カメラでメモを取ると云う行為はバカげている。後の原稿の為の保険ではないか。自分の眼だけでじっくり観る。涙目で惑わされる前に作品の真実をと真剣である。自分が今、作品をどう感じているのか、対話が続く。改めてジェイコブス氏コレクションを注意して観ると、写真等、3点セットで実に上手く配置されている。マン・レイのピカ一がそろった素晴らしいコレクションだ。所蔵品の傾向等改めて考査する必要があると感じる。だんだんと次回の対面は何時の事だろうと感情的になる。前二会場ではテレピン油の臭いが残っていた「ジュリアス・シーザー」も、静かになっている。本来の姿に戻ってしまった。悲しくなりつつ「このやろう、糞ったれ」と汚い言葉が心に充満する。綺麗事じやなくて欲しいのです。
   
 会場を何度も出入りしていたら、昨日、子ども達を集めて教育プログラム(子ども美術館講座)を担当していた方と出くわした。この方の子供との接し方「アレー」と云う問いかけ部分が面白かったので、内容をお聞きする。講座の参加者はおよそ30人で、一時間のプログラム。30分会場、残り30分が実習で設定されている。マン・レイ展の場合、子ども達が感心を持ちそうなのがオブジェ作品だと思われたので、出口側に近い「パレターブル」「フランスのバレエ」「パンパン」「ル・マンシュ・ダン・ラ・マンシュ」等を取りあげて話しかけておられた。作品の説明ではなく、マン・レイが意図したもの、観る者を面白がらせ当惑させるエスプリの世界を、子供達の琴線に触れるように進めておられた。食品ではおよそ似つかわしいくない青色で塗られたフランスパンのオブジェに「お腹がパンパン」と目を丸くしていた子どもがいる。作品の解説が、昨日面白かったので、一行に付いて行きたかったのだが、巌谷先生の講演と重なっていたので断念したわけ。教育担当をされていたのは同美術館の山田一文氏で、会場での話のあと、実習をされたとの事。この実習、日常品を沢山集めておいて、子ども達に自由に選ばせ、マン・レイ的なオブジェを作ってもらう試み。最後に作品(?)にタイトルを付けポラロイド写真に撮って作品(写真)として持って帰ってもらうプログラム。受話器に手袋をひっつけ「手レホン」と名付けた面白い子供がいたと教えて下さった。山田氏には楽しみを伝える人の「楽しみ」といった若い情熱を感じた、感謝。新しいマン・レイが生まれる事、これこそが、わたしの願いである。

 未知の出会いが期待される「美術館利用研究会」の集まりが美術館を会場に2時から予定されている。聴講させていただきたかったが、うらわ美術館訪問を約束していたので、断念し急いで移動する。美術館は隣駅。開催中の「創刊号のパノラマ」展も興味深いが、この美術館、本をめぐるアートが収集の柱でもあるので、長く気になっていた。開設準備中の同館学芸員の方からマン・レイ本に対する問い合わせがあったりしたので、期待していたわけ。その本が収集されたか確認したかったのである。本日約束しているのは学芸員のM氏。書籍に対する美術館の姿勢など気になる部分をいろいろと伺う、初対面であったが親切にして頂いた。展覧会はざっと1500冊。岩波書店のコレクションであるらしいが、341「十一人」988「新演劇」1057「文芸尖端」1153「パレルモ」1268「新婦人」等の表紙が目に留まった。一部の資料には表紙や目次のコピーフアイルが付いていて、1482「前衛」(昭和5年3月1日印刷、4月5日発行、編集兼発行者上田保)が時代精神を彷彿させる写真で飾られていたのでパラパラと手に取ったら、すごい執筆陣でビックリ。この目次中、クロニツクに真木章氏による「マン・レイとの対話(アンドレ・ガン)」とあって、ウワー、新資料だと感激。マン・レイ書肆目録日本編が一つ前進した。

 さて、三泊四日の行程もそろそろ終わる。昨夜、S氏に教えて頂いた、うらわ美術館前の酒井甚四郎商店で奈良漬(他に浦和漬、キムチ漬等)を買い求め、家人への土産とする。お菓子じゃなくて食材、土産のリクエストはいつもこの方向である。京浜東北線で東京に出、大丸百貨店の地下で弁当を仕入れる。駅弁とビールはやはり楽しみ。今宵は古市庵の店長お薦め上寿司とまい泉のとんかつサンド。のぞみ号が発車する前から飲み出して良い気持ちになってしまった。
   
  
September 18 2004

前日から浦和入りしていた。ホテルから埼京線で大宮に出、京浜東北線で迂回し約30分の後、美術館のある北浦和に到着。駅前の小さなロータリーから直ぐのところにある北浦和公園の入口にマン・レイの唇が掲げられている。緑と噴水のある気持ち良い公園で期待が増す。グレコの「ゆあみ」、ボテロの「よこたわる人物」と裸体像に連れられ玄関口へ。美術館の建物等、ソカロやいろいろな資料で知っていたので、なるほど此処かと云った感じでの到着。丁度、開館のタイミングでわたしが本日最初の訪問者となった。
   
  
   
 二階企画展示室前のサイン
   
   
     

     
     
     
 さて、展示会場である。わたしは感激し、感動した。企画展示室は二階にある、階段を上がると最初に唇が眼に入る。わたしの期待に応える十全の大きさである。入口正面に自画像二点(1946/1972の版画と1916/1970のセリグラフ)、これが鏡の上に掛けられ、入場者自身の姿をおぼろげ(硬いガラスではなく、アルミシートかアクリルのようなものなので反射面が不均等)に映す。その上段にはマン・レイの眼のパネル。「さあ、いらっしゃい、わたしの謎。それは貴方自身ですよ。」そんなふうに問いかけられている気がする。
 入って左に向きを変えると視線の先にメトロノーム。まず一点だけが眼に入り、近づいて行くと「永遠するモティーフ」「考えること」へと続く。三点のメトロノームの間に写真が配置され、それぞれのメトロノームが、それぞれの時代とつながった物語性を伝える。メトロノームの置かれた壁面と反対側に「カメラを持つセルフポートレート」。 会場を移動しながら、作品との距離が絶妙なバランスで計算されているのを感じる。視線の先のポイントとなる作品と、流れて行く壁面に掛けられた作品との相対関係といえようか。---会場で一つ一つ丹念に観ながら順路を進む一般的な観客のアプローチの場合はどうだろう、ちょっと今のわたしには無理だ、会場の総ての構成をまず知らなければ落ち着かない。「手」のイメージがあるコーナーの扱いも上手い。そんな時、マン・レイの肉声が聞こえた。「こんにちは、わたしがマン・レイです。アメリカ生まれだが、人生のほとんどをフランスで過ごす事を選んだ。」あれ、福井県立美術館に提供したテープがここでも使われているのかと思ったが、10秒たらずで声は終わる。作品をしばらく続けて観ていると、又、同じフレーズ。それで、声のする方に戻ってみた。入って直ぐの右手床に大型テレビが置かれいて、ビデオが上映されている。先程は無声の「理性への回帰」だったので、フムフムと思ったのだが、壁面に印されたプレートで確認すると「生前のマン・レイの声、10秒。 マン・レイのドキュメンタリー<LA VIE ET L'OUVRE DE MAN RAY>(監督Jean-Paul Fargien 1998年)より抜粋」とある。もちろん、このビデオを所有しているから、声の調子も良く解る。マン・レイ自身が語る最初の10秒であるから良いのかな。マン・レイの声。この人がわたしの肉親、わたしの分身。わたし自身であると良いのだが。
   
 それぞれの作品に的確な照度を与え、作品を引き立たせながら、観る者のじゃまをしない照明が計算されている。この会場では、作品が観やすく、なによりも美しい。
 最初の広間に置かれた「危険 不可能」の背後に、ダダ運動の公用箋に書かれたツァラからの手紙。ちゃんとアクリルに挟まれて、裏面も読めるようになっている。この状態で展示すると手紙が投函され、マン・レイの手許に届けられた感じがするんだね。デュシャンの「階段をおりる裸体No.2」の写真も、他の写真額とのバランスで、降りてくる人物の動線に会わせた視線の流れを促すように構成されている。「障碍物」が投げかける影の扱いも上手いし、作品に近づいて最初に眼に止まる適切な位置に限定番号とタイトルの入ったハンガーが用意されている。この高さでハンガーのサインを見たのは初めてである。一番高い、最初の一本に使われることが多いのではと思う。今回、気付いたのだが、このハンガーは眼の高さでぶつかるように仕組まれていたはずなんだね。サインの入った一本を探す視線。見付けた後、全体へ視線が移動する時の感じがマン・レイが意図した面白さだったんだ。
 この一室からぬけると、ブラインドの前に「ランプシェード」後方にニューヨーク時代のアトリエを撮った写真から拡大したのれん。現実の部屋に居るような楽しい体験。ちょっと一服出来る感じである。埼玉県立近代美術館の会場は、小さく区切られているが、マン・レイ作品はほどよく近づける親近感によって魅力を増す。---後で、会場構成を担当された学芸員の平野到氏に伺ったところ、作品点数の多さの面もあるが、意図的な配置であるとの説明をいただいた。観客のわたしは、身近にあるマン・レイに嬉しくなった。そして各部屋が実に効果的に機能しているのを感じた。メリハリがあって飽きさせない。ブラインドのある壁面から右に転じると、次ぎは明るく広い空間で、中央に「贈り物」。油彩が5点と他作品2点。作品は左右の壁面に分散されているので、眼は、さらに続く暗い空間に促される。レイヨグラムを中心とした作品が掛けられているのは黒い壁面で、上部にスクリーンが下がり、主要な四本がエンドレスで映し出されている。静的な作品の間で動きがあること、こいつが素晴らしい。早く動きの正体を捕まえたいと思う前に、油彩、だから気持ちが高揚するタイミングでの油彩の登場なのである。会場での感激と感動の正体の一つが、ここにある油彩なのである。油彩相互に充分な余白がとられ、鑑賞者との距離もそれぞれの見方を可能とするスペースとなっている。油彩それぞれが、堂々として綺麗なのだ。マン・レイの油彩には、表面の色彩が淀んで、鈍い感じもあるかと思っていたが、違う、綺麗だ、絵の具ののりも良い。「グラン・パレ」のセーヌ川の水面の波がしらの浮き上がりも力強いし、「レガッタ」の消えいく夕陽を描こうとした画家の思いとスピードが伝わる。画面左下のモヤモヤとした波間の描き方なんて上手いよ。ボートが何隻もあって、空気遠近法になっていると感じた。照明が悪いとこの絵、何も見えなくなるんだよね。それは、消え入る光を画こうとした為だろうね。
  
 レイヨグラムを中心とした暗い部屋。その最終部分にエレガントなキキの「アングルのヴァイオリン」が一点だけが掛けられている。気品が漂う展示構成。そして、その残像がある為だろう次室へ入って、空間の一番遠い壁面に「天文台の時刻に---恋人たち」の一点が(これも一点だけ)掛けられている。こうして対面すると大きく感じられるのだよね。リー・ミラーの写真から導入され唇に到り、もう一つの唇から、唇だけのクローズ・アップ、唇のあるアトリエの写真へと続いて、唇が空に飛行して行く感覚をわたしに与えた。絶妙な構成なんだ。
 オブジェの置かれた空間から右に曲がると文献資料。これにも驚いた。日本画等を展示する(?)ガラスケースの中にあるのだが、一部分が開れていて長い平台が浮き上がっている。ガラースケース内部の様子が見えるようで見えない扱いで、並べて置かれた書籍が効果的に美しく輝いている。
 そんなパリ時代から、会場は通路風に設えられ。サドの部屋を用意しながらの長細い展示会場がマン・レイの脱出、逃避行を暗示している。通路を遮るパネルに「上天気」の版画。この位置どりなど展示自体を物語として読むことを可能とする。通路の突き当たりにあるのが「レダと白鳥」なんだからね。まいった。ハリウッド時代の幾つかの油彩、写真、レイヨグラム等を抜けると最後の広い部屋に入る。ここには楽しげなオブジェが三つの台座に別れて置かれている。部屋の視覚的に一番奥まった部分に、宮脇愛子さんのマン・レイとの交流を示す記念品の幾つかが置かれている。これが、オブジェ達の先にあって、実に上手い配置だと感心した。そして、「チェスセット」の置かれた部屋を抜け、最終の「天の川」や「ばら色の画布」、70年代の資料類を観てから、「イジドール・デュカスの謎」と対面しつつ、鑑賞を終わる。---以上が展示会場のおおまかな報告である。
  
 何度も行ったり来たり、入口から出口まで、用意された順路にそって、何度回っただろう。一日の内でもマン・レイの作品は表情を変える。人生であるような作品群がわたしに語りかける。新しい発見が今日もあった。会場でも一巡目では見落とした、シュルレアリスムの友人達の肖像写真を纏めた部屋を発見(?)するような体験をした。カメラを持って探検者のように、ゆっくりと、自身のペースで歩くこと。時折、気になる部分をパチリ、パチリとマイ・ペース。他の鑑賞者の邪魔をしないように気をつけながら。


 売店にはマン・レイ関係や
 巌谷先生の書籍が並べられている。
   
    
     
     

 さて、フイルムを使い果たし、予備を取りに総合案内所へ降りた時、友人のT氏とばったり。それで、一緒に館内のレストラン、ペペロネで昼食。ビールを飲みながらの情報交換をしたかったが我慢する。でも緑の見える明るいレストランでわたしは「かじきまぐろのパン粉焼き」をチョイス、サラダとパンと御飯と食後の紅茶も付いてお値打ちの990円。同店の客層についていろいろとT氏が語るので面白い。講演会の整理券配布の関係もあり、1時前には会場に戻った。そうしたら宮脇愛子さんがいらっしゃってびっくり。ひさしぶりにお会いしたのだがお元気な様子で嬉しい。それで、気になっていた質問を投げかけた。「展示品にある「鳥」の置物。何かエピソードのようなものがありますか?」宮脇さんは「マッチ箱にあれが入っていたの 。何時もは入っている状態なんだけど、今回は出したのよね。」あの鳥、宮脇さんのような顔しているね。お話を聞いて改めて思った。あまり話しかけてもと思ったので別れ、会場のロサンジェルスの辺りまで巡回していた友人のY氏と、会場構成についての世間話を少々。さらに会場を回っていると、ちょうどマン・レイが宮脇さんに贈った「天文台の時刻に---恋人たち」の前に、当のご本人がいらっしゃった。それで厚かましくも記念写真をお願いしたのだが、快く応じてくださって大満足。1983年に滋賀県立美術館でのマン・レイ展でお会いしてから20年以上経つているけど、マン・レイやジュリエットが好きだったこと。二人が宮脇さんの青春であること、そんな事を感じた。スタッフの方に「この人もマン・レイが好きだから」とわたしを紹介して下さった。嬉しい。この場にジュリエットもマン・レイも居ないけど、二人の空気が宮脇さんを通して伝わる。人のオーラとはなんだろう。感じ取りたいわたしには非常に良く分かる。きっと唇の前に宮脇さんがいらっしゃらなかったら、スナップ写真をお願いする事はなかったと思うので、出会い、絶妙なタイミングに感謝、わたしとて、記念写真を撮る為に何時もハイエナの眼をしているわけじゃない。その時、その場で、上手くタイミングがめぐるのである。

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 2時からは、巌谷國士氏の記念講演「反逆のユーモア」 先生によるマン・レイの講演を聴講させていただくのは今回で三度目。以下がわたしの理解した先生のメッセージ。
  
   
 記念講演会の会場は二階講堂。
 用意して下さった関係者席
 (カメラが置いてある)でお聴きした。

   
   
   
   
講演と云うのは一種のライブ、あらかじめの用意をしていません。この展覧会は入ってから出るまでの時間が異常に長い。それは、いろんな謎が仕掛けられていて、戻ると、それも入口まで戻ってしまう。行ったり来たりする入口が何処にでもある迷路、出口もどこにでもある迷路、それがマン・レイなのではないか。「反逆のユーモア」と云うのは60年代のようで玄人受けする演題だが、現実があって、それを、そのままするのではユーモアは生まれない、それをひっくり返す。黒いユーモアと云うのもある。
 マン・レイと云うのは不思議なユーモアで、それは独特なもの、何か普遍的な人間であるようなユーモア。例えばデュシャンにはそれを感じられない。エルンストは危険。ダリは手にをえない、あるいは狂気。ミロだと可哀想。マン・レイだと反逆ではないか。
  
 先生は展覧会カタログの表紙写真を示しながら、< オブジェ性--役割や意味を持たない物。出会い--無関係である裸体とチェス。境界を超える--上は絵で下は写真。文学--タイトル(天文台の時刻に---恋人たち)。反復--マン・レイの作品については同じことが何度も繰り返される。同じものであるが、戻ってみるとちょっと違う。>とマン・レイ作品の要素を解りやすく解説して下さった。
 マン・レイの名前の選び方がユーモアではないかと指摘される。僕らもある時期までは知らなかったが、今では伝記研究が進んでエマニュエル・ラドニツキーと云う本名が知られているが、マン・レイマン・レイになろうとした人ではないか。人間光線と云う名前、それ自体が可笑しい。
    
 一時間程のお話の後、スライドの上映となった。先生の説明では、約100枚(2時間の講演での限度は80枚であるのに) やはり最初はフイルムケースが置かれたモンパルナス墓地のお墓。次いで、フェルー通りに朝陽が差し込む美しい場面。デュシャンやキキや作品に沿いつつも、話題は様々に展開していく。

 
『日録』で先生の講演を再現したいと思ったが断念(この項、9月21日書込)。話言葉と書き文字との間で、ニュアンスの違いが先生の話されようとした事とズレ始めているように感じる。巌谷國士氏のマン・レイ論。じっくりとこれからの講演も拝聴させていただいた後、纏めなければと---

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 先生のお話は、今日も留まることなく拡がり、とりあえずの休憩が4時40分となった。その後、講堂を出て美術館のO氏や企画会社のTさんFさんと世間話。マン・レイ作品を購入したいとTさんに無謀な打診をしかけたのだが、手許資金の不足に下を向いたままの話になりかけてしまって。もちろん、巌谷先生にお聞きしたいことがあるのだが、多くのファンの人達に囲まれている様子なので辞退する。わたしが先生に質問するのは、きっとマン・レイへのラブレター。読んでもらいたいけど、恥ずかしい。
  
 終了後、大先輩のS氏と駅前の手造豆腐料理「甚兵衛」で夕食。わたしは、ちょっとビール。S氏から藤田嗣治論の原稿を拝見したり、美術評論の世界に対するアンチテーゼ、戦争画に対する評価、戦時下の作家達、評論家達の生き方に対する洞察をお聞きする。あの時代を語るS氏の生き生きとした素敵な表情のなんと紳士であることか。わたしの続けるマン・レイ研究がS氏の域に達するのは何時のことになるのだろう。食後、京浜東北線を赤羽までご一緒し、さらにいろいろと世間話のような事もうかがった。
 家庭を持ち、社会的な生活をきちんと築きながら、確固たる信念の基で美術の研究を進めること、趣味的ではなく人生そのものであるといった態度は、純粋性を作家や作品に求め、純粋培養の中に芸術を規定してしまう不幸な人達の対極にあると思う。わたしの『目録』を読んで下さっている(?)であろう幾人かの読者に苦言を呈したい、純粋性だけで芸術を考えてはいけない、ドロドロとした現実の中で収入を得、家族を養っているのである。作品に純粋性を求めるのは解る、でも純粋とはなんだろう、人が生きる事とは、戦争画の事、あの時代の事。真摯な眼で見る必要がある。「作者本人は本当の事を半分も言わない。見られたい自分を演出するのである。真実と虚像の間をゆれる心理、これが研究の大切な部分であり、興味惹かれる原動力ですね」とSさんと語った。
 Sさんのお話に強く惹かれたのは、きっと氏がわたしの父親の世代であることに起因するのだろう。わたしの父親はわたしが21歳の時に他界した。だから、彼の戦前の人生については何も知らないのである。Sさんのお話は潜り抜けてきた戦争の様々な局面をわたしに教えてくれた。Sさんの人生であり、わたしの父親の人生、あるいは、私達日本人のすべての人生であるかのように----
   
   

September 17 2004

 

 定禅寺通り
 メディアテーク
   
   
   
   
   

朝食は昨夜コンビニで買った明治プロビオヨーグルトLG21とこだわりパン工房ペッパーベーコンマヨ、ホテルの煎茶パックで日本茶。家に居るときと同じスタイルで、一日を始める。7時頃、広瀬川がみたくなってブラブラ西の方へ歩く。気持ちの良い朝。桜ヶ岡公園に出て感激してしまった。なんとC601号機が静態保存されているではないか。中山越えや仙台駅で撮影したC60なのだ。緑あふれる公園での静かな余生。テンダーに入ったりして幾つかの写真をパチリパチリ。鉄道ファンとしてはこうした状態の蒸気機関車と再会するのは辛いのだが、今朝は様子が違う、なにかとても嬉しいのだ。きっと街の緑のせいだろう。公園にはこけしのモニュメント(昭和35年12月建設)もあってビックリ。定禅寺通りメディアテーク前で通勤途中のおじさんにお願いして写真を撮ってもらった。こんな記念写真がわたしのアルバムを飾るんだ。それからホテルに戻って荷物を取り出し、8時30分から5時前まで、しっかり仕事。
  
 昼食は雑多料理の居酒屋ふじはる、ここのも美味で満足。同僚のA氏と世間話。この人、営業員なのだが画家志望。それで、好きな絵描きを尋ねたら「ドガ、次いで国吉、ベンシャーン、それにバルティスも良いね」と返事が返ってきて嬉しくなった。こうした人が我が社のデザイン提案をしているのだから心強いと感じた。感性を基本に客と接する事。こうした人が居る雰囲気の会社を選んだのは、良い選択だったと思う。平成13年9月の激変を乗り越え、続けられた事の幸せを再認した。それにしてもふじはるは美味くて安い。京都ではこんな雰囲気の店はないね。
   

  
 仙台駅みどりの窓口
 下段 やまびこ MAX 124号
   
   
   
   
   
    
   
   
   
   
   
   
   

   

 5時30分のやまびこに乗るつもりで支店を出たのだが、仙台駅に人が溢れていて驚いた。明日からの三連休で大混乱、指定席を購入するのに難儀した。夕食はいしのまき伯養軒の大漁わっぱめし、箸袋には「天味無限」とある。売店でブラブラしていたら前のおじさんが強く注文していたので、ついつられた。ビール500mlを幾つか買い込み、帰路の新幹線をスタンバイした。
 仙台、緑あふれる美しい杜の都だ。たまたま出張で立ち寄った者もこのように感じた。在仙のA氏は定禅寺通りの並木は戦災後50年でここまで大きくなったと云っていた。歴史、美しい歴史は50年で作られる。もちろん城下町としての文化が底流にあるが、明治維新の頃は貧乏でどうにもならなく、祭りに回す財力は皆無だったと云う。仙台に生きるA氏、彼の目に映る街の移り変わりと会社の変化はどうだろう--- 氏が提案した和菓子店のパッケージを手にして嬉しかった。感謝。こんな事を東北新幹線やまびこMAXの車内でウダウダ考えた。今、わたしは、ビール頭である。
  

 さて、大宮で乗り換え埼京線中浦和で下車。予約したビジネスホテルはプラザホテル浦和である。新聞を読み、近くのスーパー西友で翌朝用のプロピオヨーグルトLG21とパンを買い、ホテル併設の浦和スプリングレーンズでボーリング(宿泊客には1ゲームのサービス券がプレゼントされる)一人でやるのは寂しいが気分転換になる。スコアは132点だった。
  
   
September 16 2004

京都発7時26分ののぞみ106号からはやて9号に乗り継ぎ、仙台へは11時30分に着いた。車中で遅れていた銀紙書房新刊本の校正をみっちりやる。持ち込んだのはA4版で57枚なのだが。30枚程進めたところでギブアップ。ひどく疲れた。疲れてくると校正の基準がブレてきて、校正にならないんだよね。東北新幹線の車中では美しい女性(写真を撮りたかったが自重)や仕事に向かうサラリーマン。プレテ資料に目を通す人やパソコンでチェックする人等をみかける。東海道が明るかったのに比べると車中は穏やかな暖色で、落ち着いた雰囲気。シートのモケットもD席側からピンク、グリーン、ブルー、ピンク、グリーンと云ったそれぞれの基調色で、ビジネスではなく旅行。ちょっと客層が違うと云うのは片寄った見方なのだろうか、そう感じるのは、各座席に置かれた情報誌「トランヴエール」の巻頭エッセイに寄せた浅田次郎氏による「プラットホーム」がもたらすイメージにあったのではないか。「駅は別れの場所である」この駅、上野かと思ってしまうのですね。文中では新宿駅なのに。19歳の冬の愛する人との別れ、フムフム解るこの感じ。そして下段に一人娘を送り出す父親の心境が綴られる。「どうやら歳を食って、男も錆びついてしまったらしい。列車の後を追ってプラットホームの端まで歩き、まさかと思うそばから顔を被つて泣いた」(トランヴエール9号 2頁) この経験、無いけど分かるな、解りたいな。朝から浅田氏のエッセイを読んでウルウルするわたしはバカだね。氏の略歴を見ると1951年生まれ。一年先輩か---
   
 さて、到着後、支店の担当者と浜作で美味しいあなご天丼を食し、米の味と素材の良さを堪能。そして、1時から8時まで真面目なサラリーマンに変身。終了後、炙屋十兵衛で焼き鳥、ここの比内地鶏はいける。仙台は食べるものが美味いんだね。同僚達と京都ブランドの話をしたり、若いSさんからいろいろな話題を教えて頂いたりして、良い気持ちになった。当夜の宿泊は晩翠通りにあるアセーラホテル仙台。ゆったりとしたベットで快眠。
   

炙屋十兵衛のキッチン
つくねを生卵につけて美味い。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

  
  
   
September 15 2004

昨日、株主総会が滞りなく終了し、経理マンとしては一安心。事務処理の反省点を振り返りながら、一年先の効率的対応を準備せねばと思う。しかし、落ち着ける時間はなく、毎日はバタバタとした雑事の連続。さて、明日から出張。それで『日録』の報告は20日(月)までお休みとなります。戻りましたら埼玉県立近代美術館でのマン・レイ展について、報告しますのでお楽しみに、とりあえず、フィルム10本用意しました。これから、荷物の整理、忘れ物はないかな----
   
  
September 14 2004

急に仙台出張が決まった。

    
September 13 2004

昨夜、研修二日目の報告をと考えて夜中にゴソゴソしていたら、マウスが壊れて立ち往生してしまった。帰宅途中にJ&Pの京都1ばん館によってあたらしいのを買い求め、作業。金曜日の写真を取り込み添付ファイルで送る。アドレスが判らない方もいらっしゃるので、希望の方はどうぞマン・レイ狂いまでメールを!!
  
  
September 11 2004

会社の研修会に参加する。昨日のアルコールが残ってやや不調。でも講師も上手いし同僚といろいろな内面の話をして有意義だった。講師のキーワードは「仕事の三面等価」とか「高参画度集団」実体験に裏打ちされたエピソードが人を惹きつける。変化のスピードの話題ではレコードからCDへの転換が2年間、デジカメ業界は激震中で競争相手は携帯電話との事。リーダーの資質は能力×意欲×考え方、プラス思考でやらなくてはと気合いが入る。

 帰宅し、岡崎市美術博物館での印象記を仕上げる。写真もいろいろアップしたので、どうぞクリック願います。
  
  
September 10 2004

 祝う会での平木さんと鈴鹿さんの絶妙トーク

 下段: 会場の参加者、
 鈴鹿夫人とお嬢さん、細江英公氏と岩村隆昭氏など。
   
   
    
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

    
     
鈴鹿芳康氏の「2004アルル国際写真祭グランプリ受賞を祝う会」が京都造形芸術大学近くのアウームで開かれた。呼かけ人が細江英公氏、主催が京都写真クラブとると行かなくてはと、仕事の段取りを調整し参加した。会場は立錐余地がないほどの盛況で、みんなの関心の高さを喜んだ。細江氏がフェステイバルの写真界における位置、受賞式の様子等を解説してくれた。鈴鹿さんがますます世界的作家になって行く現場に立ち会えたお裾分けを参加者もいただき大満足。鈴鹿さんの挨拶も人柄がにじみ出て好印象。会場壁面に投影された写真の作者とのギャップが面白い。写真は被写体とのコミニケーションがあって出来るものなので、氏のテンガロンハットとウエスタンブーツと云うスタイルでの存在の示し方と、笑顔で相手を無防備にさせてしまう天性の才能に脱帽。木村秀樹氏の乾杯の後、京都写真クラブの森岡誠氏が記念の帽子を贈った。
   


 紅一点は写真家田村尚子氏。
 京都写真クラブの面々も良い色ぐあい。
   
   
   
   
   
   

会場は知人、友人が目白押しで、楽しく飲み、にこやかに会話した。評論家の平木収氏とひさしぶりにお会い出来たのが嬉しかったし、作家の安東菜々氏から、この「『日録』を楽しんで読んでいます」などと云われ有頂天になってしまった。テーラー中江氏の美声を聞きつつ、ビール、ワインと飲み続けていたので、完全に酔っ払ってしまった。あげく「ラルティーグになりたい。美術館の壁面いっぱいにスクラップ・ブックを掲示したいんだ」とこいけカメラ氏に熱く語るしまつ。ヨッパライはいやだね、わかっているんだけど、どうして意地汚く飲むんだろうね。田村尚子氏の展覧会案内に「「眼の森」写真プロジェクト」とあって、この上手いタイトルにまたまた上機嫌になり、男性群と共に写真をパチリ。ラルテイーグ志向のわたしは、参加者の姿をさらにパチリ、パチリ。最後には全員の記念写真まで収めてしまった。プロの写真家、作家の前でよくやるね、アマチアだから気楽に撮れるのかな。
 
 白川通りまで下がって、東龍でラーメンを食し、お腹も満足させた。
   
  
 最後にはそろって記念写真。
    
  
 
September 9 2004

9月5日の印象を書込み『日録』にアップする。校正をしないままなので申し訳ない。でも急がねば---写真は後日。
  
   
September 8 2004

岡崎市美術博物館でのマン・レイ展について、ゴソゴソ調べものやらメモ書きやら。
  
  
September 7 2004

台風がまた近づいたので早々と帰宅。写真屋によって出していた同時プリントを受け取る。リコーGR1Vの描写力に満足する。さて『日録』にどの写真をアップしようかな。夕食後、メールチェックをするとニュージャージー在住の方からわたしのホームページを拝見し興味を持ったと長文の問い合わせが入っていた。意味の掴みにくい箇所があったので次女にヘルプ。現役高校生はすごい、感謝。この人、1968年からの熱心なマン・レイ・ファンで、1981年にはジュリエットに会ったと云う。ついに、わたしのようなマン・レイ狂いと遭遇した。すごい。こんな時、語学力の無さを痛感する。
  
 さて、林蘊蓄斎氏が「コロタイプは写真か はたまた印刷か」と云う平野武利氏の資料を送ってくれた。氏のデイリースムースを読んでいて無理にお願いしたのだけど、いつもながらの素早い対応に感謝、感激。そして同封されていた「クチン第22号」の「ピーター・ブルーム」を取りあげたエッセイに脱帽。マン・レイが初個展をしたニューヨークのダニエル画廊への言及があるので、貴重なのだが、林氏のすごいのは、エッセイを紹介文にしてしまうのではなくて、「小生もある画廊で個展をしたとき、」から続く自身の心情を吐露している部分のリアリテイ、ネタを移植するだけの売り文書きとちがって、画家の絵筆が鉛筆(氏がどれで原稿を書いているのか聞かねばならないけど)に変わっている印象。描かれているのですよ、林さんが。氏が付けたメモには以下の走り書き「ピーター・ブルーム加筆してまとめてみましたご笑読下さい」
 9月5日のデイリースムースにもマン・レイの言及があった。わたしも昔、「陰気なマン・レイ像」について正子さんからの話をうかがった。もっといろいろお聞きすればよかったのだが----
  
  
September 6 2004

パリからシュルレアリスム文庫発刊のパンフレットが届いた。貴重書文庫と云うのは初耳だが初回配本の四冊はポール・エリュアール+マックス・エルンスト「反復」48ユーロ、アンドレ・ブルトン+ウルフレッド・ラム「フォトモルガナ」50ユーロ、トリスタン・ツァラ+ハンス・アルプ「われらの鳥たち」54ユーロ、ポール・エリュアール+マン・レイ「ファシール」43ユーロ。4点セットで165ユーロとの事。稀覯本がこの価格、でも、オリジナルじゃないととブルブル。でも検討しよう。

 Mさんが、2001年7月に出た「アリガット・パリ・プランシュ」と云う雑誌のコピーを送ってくれた。当時パリに登場した「3000人が集う地下の巨大エンターテインメント・スペース ルマンレイ」記事には「ダイニングをぐるりと囲む中2階のバー・コーナーの壁に飾られているのは、マン・レイの写真作品」とある。行きたいね。
   
  
September 5 2004

姉と酒の飲み方について雑談。どうやら、わたしの意地汚さは血統であるらしい。反省する事しばしだが、昨夜もひどかった。相方がヨッパライになったから、兄はまだまともだったらしい。前回はこれが逆だった。昼前に母とバリアフリーのマンションを見学。新築物件は使いやすい工夫が一杯、8階で南向きなので明るい。これなら母もくつろげるのではと兄姉で話す。昼から長時間、豪雨となって身動きとれず、マンションで昼食、夕食となった。地震もあったりしてバタバタと京都に戻った。引っ越しがまっている。実家に置いたままの旧い資料類を整理せねば。いそがしい----

 桜山のマンションもこの辺りが南限、
 名古屋市南部の眺望が素晴らしい。
 この日、雲の流れや雨の勢いを楽しんだ。

      
   
   
   
   
   
    
     

September 4 2004

 クハ117-27の運転手が視差確認し
 定時運行で近江長岡駅を出発する3202F
   
   
   
    
     

    
名古屋に帰る用事が入ったので、岡崎市美術博物館での「マン・レイ展---『私は謎だ。』」を再訪する事にした。母親や兄姉達と会う約束は夕方なので2時頃までは会場に留まれそうで、ギャラリー・トークを聞くことも可能なスケジュール。在来線を使ってゆっくり岡崎をめざす旅と云うのが、今回の「マン・レイを求める巡礼者」に相応しいと思った。乗り換えは多いが5時間程の旅程(注1)。それで「マン・レイ展」のカタログ、校正中の原稿、巌谷國士氏の『地中海の不思議な島』等を用意し出掛けた。でもJRに乗り込むと部活の女子高校生(彦根で下車)達の声高な会話が気になるし、車窓の移りゆく景色を眺めながら、記憶の街との差異を楽しんだので、準備したマン・レイへのアプローチには触らないままの移動となった。能登川辺りから町の雰囲気が変わり、米原から関ヶ原を超える区間は、夏の緑が心地よい。かっての鉄道少年は旧型車両のクハ117-27の運転席側に立って、光るレールを飲み込んでいく車体の加速と、運転手の視差確認に見とれていた。大垣車両区のこの人、抜群の技術である。結局、大垣からの快速電車車中で校正を数頁しただけで、美術館到着となった。9月に入った涼しい朝、三回目の訪問となると知人の家に行く気分。過度の期待感を持たず、緑のエントランスを進んで行った。
   
 岡崎市美術博物館はダダ、シュルレアリスムの貴重な作品を多数コレクションしている。この館を知ったのは関西へ巡回してきた『シュルレアリスムの巨匠』展を観た時だから6年前。学芸員のM氏との交流もその折からと記憶する。今回、M氏の尽力によって集められた所蔵品のアウトラインを確認(注2)した。プリミティブな彫刻や子供達の絵画を合わせて保有する同館は、わたしの関心領域と共鳴する。M氏の描いた完成されたモデルに向かって収集品は増殖しているとの話だが、当初、予定された常設展示の為の空間が建設されないままであるのは、なんとも残念である。
  
 眼を凝らしてまじまじと作品を見る。この行為は何を求めてわたしを突き動かすのか。長いエスカレータに乗って吹き抜けの底部に降りた時、暗い空間に置かれたマン・レイ作品へは直進せず、足を止めた。「人間と精神のための椅子」美術館を象徴するオブジェであるらしいのだが、これに座ってしまった。何故座ったのかは解らない。尻部から背骨にかけて奇妙な電流が伝わる。「精神のための椅子」との電位差がここにあるのか、足元のプレートには「椅子にすわって下さい、目を閉じて下さい、精神をときはなして下さい」とある。作者のマリーナ・アブラモヴィッチについての知識を持たないわたしも、目を閉じ、自己と対話する、万人へとつながる対話、この感覚が、何かからわたしをときはなしてくれているのだろう。どこかが「電気石」 空想の光を発する「飛行石」でもあるのだろうか。
   
 目を閉じて見る事は逆説である。単純なトリックである。カメラを持たずに見る事は、目を失って対面するのに等しい。視覚の喜びや興味をカメラで記録せず心に留めると、マン・レイの作品群が前回とは異なった存在として現れた。三度目の会場は地図が頭に入っている街歩き。作品だけが街路や部屋の壁面に掛けられている。油彩の表面、筆やナイフの運び方が身近に感じられる。マン・レイに成り代わった感覚で手や身体がリズムを取って、作品から作品へと移動する。
 この美術館はマインドスケープと云う造語を持っている。「スケープ(Scape)は目えないものがあらわれるときの形を表す」と解説にある。国内の他館では使用される例の無い(もちろんわたしが知っている範囲で)黒色の壁面を持った629.6平方メートルの空間が、幾層にも区切られた迷路となっている。交差路や行き止まりが仕掛けられ、ミノタロウスが日常生活に戻る為の赤い糸を切断する。地図が頭に入っているつもりのわたしでも、何度か惑わされた。小さな扉から担当者が出てきたり、引っ込んだりするのである。
 しかし、この洞窟、作品を鑑賞する為には不適切ではなかろうか。「マン・レイの謎」が暗闇に潜んでいるとわたしは感じていないし、展示品を無理に押し込めた為か、作品が相互に干渉しすぎて壁の模様となってしまったコーナーもある。監修者的解釈では、これこそが意図した展示であるのだろうが、「マン・レイの悲しみ」を作品に見てしまうわたしには、いただけない。明るいユーモアと都市の光に照らされた中に、どうしようもない孤独が置かれている。マン・レイの謎はこの辺りにあると思っているのである。

 導入部から細長い通路が続く。目の拡大パネルの対極には油彩『伝説』が掛けられ、「眼」と「手」のイメージが「自画像」から俯瞰されている。ここから突き当たり、右に折れると広い空間が用意されているのだが、前方の大きな壁面が赤と青の二色で照らされている。床面に置かれた光源が、回転する『障害物』に向けられ、影が動く。先を進んでいた小学生の男子が「おばけ屋敷」だと発して走りかけた。マン・レイのオブジェは見る者を当惑させ面白がらせるのだが、ここにあるのは低俗で、エスプリとは無縁な水気の多い日本的情景。後方から光が入れられた『危険 不可能』や『ランプシェード』の置かれた一角が格調高いので、もったいない気がする。空間のバランスではなく観客の動線。視線の移動によっての印象変化を考慮する事が必要なのだろう。右から左に進む順路に『階段をおりる裸体No.2』が置かれると視覚がまごついてしまうのだ。作品点数が多いための苦労は充分承知している。でもね、重要な油彩3点(『レガッタ』『イタリー広場』『グラン・パレ』)が変な行き止まりに押し込まれているのは悲しい。さらに、困るのは天井が高い(5.35m)為か、トップライトになって額縁の影が作品上部を遮断してしまう事。顕著な例は『レガッタ』『君好みの絵�』『鍵の夢』等。そして、作品の細部に眼をこらし近づくと、わたしが影となって作品を被う、これは『レダと白鳥』の場合。他の展示品にもいろいろな不都合があって、手をかざして影部分を確認したり、身体をねじって影から逃れたりのアプローチを要求された。もっとも、この角度のおかげでサイン部分の光沢が確認でき、安心して『アングルのヴァイオリン』をヴィンテージと認める結果となったのだから、何が幸いするかは解らない。
  
 左側にレイヨグラムが並べられた通路(右手の油彩2点は壁と同化して見落としかねない)を過ぎると、次ぎの空間。最初に認められるのが『天文台の時刻に---恋人たち』。関連写真を両脇に従えた二組の同一イメージ。足回りが素通しになった衝立に掛けられているため不安定な印象を覚える。さらに余白が無い結果、2点が干渉し合って習作と見なされるしまつ。表現の素材ではなく自身のイメージ、自身のアイデアを重要視するマン・レイにとって、人生の謎が総て含まれる不動の名作「愛人」であるのに、もったいない。さらに追記すると今展のカタログ表紙に使われた写真が右側に置かれているが、これも力が出ないままで終わっている。
 この衝立の裏面(進行方向に対して)に回ってからジェイコブス夫妻所蔵の最重要作『アングルのヴァイオリン』を発見した。シックな肌を持ったピカいちの写真であるのに、キキを捉えた幾枚もの表情がせり出し騒々しい。これでは作品が持っている神秘性が台無しではないか。この一点だけに見入れば発見する部分も多い、だがわたしの影が作品を被う。よしてくれよ、この仕打ちはなんだ---
   
 並列した通路の三列目は、カリフォルニア時代のマン・レイ作品を集めたコーナーになっている。しかし『レダと白鳥』が掛けられている環境は先に言及したありさまだし、わたしが大好きな『鍵の夢』は『ハンドルつきの絵』の下部に『視点』と並置して展示されてしまった結果、3点が一つの作品であるかのように見える。「違うよマン・レイはこんな感じで構成しないよ」と戸惑ってしまった。作品それぞれが自立し、緊張関係の中で同居するはずなんだ。
 狭い通路のために視線を長くとれない会場では、おのずと作品に接近してしまう。そのおかげで油彩『ジュリアス・シーザー』の香りを再認識する事となった。これには感謝。前回では嗅ぎ取れなかったのだから今日は特別の感覚、「電気石」の助けであると言えるかもしれない。三列目を抜けた突き当たりの壁に大画面を持つ油彩『二つの顔のイメージ』。光に照らし出され完璧に美しい表情をしている、引き込まれる、観測すると自然絵画の技法が一部に使われているのに気づいた。良いなこの感じ。大味じゃなくて、作者の手の痕跡がよみがえってくるのである。絵画を見る楽しみはここにある。気分が高揚したせいか、右に置かれた油彩『点』も交差部分の影であるかのような赤い色彩が素晴らしく、強い。

 そして、左側に移動すると最後の大広間へ入る事となる。L字形の低い台座にオブジエが並び、晩年の油彩やミクストメデイアが壁面を飾って、作者の人生の終演を演出する。照明はいくぶん明るく設定されているようだ。書籍資料を確認しつつ、会場の椅子に腰掛けるのもよいし、出口手前に置かれたオブジェと写真の『イジドール・デュカスの謎』で立ち止まるのもよいだろう。
 今回の展覧会で「マン・レイの謎」を読むため周到に用意された一室である。左手の奥まった位置に版画『フェール通り』 警備員が立つ出口をさけて、こちら側に向かった観客はどれくらいいたのだろうか、版画の横に関係者用の扉が隠されているのに気付いた人は少ないだろう。

 わたしは壁に同化している幅60cm程の、ノブを持たない扉を押し開け展示会場から事務室に抜ける通路に入った。ここも暗かったが作品輸送用の木箱やダンボールが置かれている。マン・レイが荷車に載せていたのはこれらの300点にわたるイメージ。明日が展示最終日で次ぎは埼玉県立近代美術館に運ばれて行く。そんな事を恩賜池を臨む明るい部屋に戻って考えたら、軍隊毛布(注3)の内側をわたしは歩いてきたのだと気付き、納得した。
   


 展示説明会
 「ギャラリートーク
 参加者が会場入口に集まる。

   
   
   
   
   
   

午後2時から担当学芸員、千葉真智子氏による展示説明会「ギャラリートーク」が開催された。氏は展覧会カタログの「略年譜」執筆者の一人でもあるので、マン・レイについてしっかり勉強されている。「「手」と「目」の人」マン・レイを参加者に解りやすく、丁寧に示してくれた。学芸員から直接話を聞きながら会場を巡るのは有意義である。静かな作品鑑賞の時間だけでなくて、こんな機会が設けられているのは有り難い。

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 丘陵地にある美術博物館を離れ、東岡崎に降りてくるバスの中で、気分が充実す自分を感じた、マン・レイを求める旅はまだまだ続く。あの美術館の収蔵庫に置かれたままの油彩『アディの肖像』が気に掛かる。仲間の作品が大挙してやって来た会場の脇で、寂しい思いをしていたのではないのか。収蔵品に素晴らしいマン・レイ作品があるのだから、展示してもらいたかった。油彩『夢の笑い』と一緒に見たかったな。
  


注1)5時に起床し、実行した行程は--- 自宅 5:40 → 5:46 阪急西院 5:49 → 5:53 地下鉄四条烏丸 6:05 → 6:09 JR京都 6:18 → 7:21 米原 7:42 → 8:17 大垣 8:25 → 9:00 名鉄金山 9:06 → 9:35 東岡崎 9:55 →10:23バス中央総合公園 → 10:29 美術館。最後のバスが5分遅れた、しかし、それ以外は時刻表通り。
注2)『ダダとシュルレアリスム』と題した収蔵品カタログ(29.7x20.9cm,22頁)を参照。アルプの彫刻、ブルトンの初版本と手紙、ダリの油彩、デュシャンのトランク、エルンストの油彩、コラージュとフロタージュ本、マッタとセリグマンの油彩、もちろんマン・レイの写真、それに油彩『アディの肖像』
注3)ロートレアモン伯爵による『マルドロールの歌』の一節からのイメージが膨らむオブジェ『イジドール・デュカスの謎』の中身はミシンなのだが、軍隊毛布で覆われている。巌谷國士氏の講演で詳しく解説された。
  

  
September 3 2004

通勤のお供で『回想の澁澤龍彦』(河出書房新社 1996年)を再読。わたしは対談を読むのが好きなので本書はもってこい。巌谷國士さんと池田満寿夫氏との会話にこんな一節

巌谷--- 僕が何度もやったのは、「俺はフランス語ができない」と言うから、「いや、俺のほうができない」「いや、俺だ」と、どっちができないかで論争した(笑)。
池田--- これはおれも問い詰めたことがあるんだよ。「澁澤さん、ほんとうにフランス語ができるのか」と僕が言ったのね。翻訳でね。そうしたら、「ばか、翻訳は日本語だ」と言った(笑)。僕は正しいと思う。「俺は日本語はうまいんだ」と。(311頁)

 わたしだけが、反応するフレーズかもしれないが、随所に興味深い言葉がある。読み終えて、気になった部分をパラパラとして、この本の最初の辺りに置かれた妹さんである澁澤幸子氏と出口裕弘氏の対談をまた読んでみる

澁澤--- それほど溺愛されていた、それで自分は恥かしかったということを本人が語っていた、ということを松山さんは講演会でおっしゃった。でも本人が言ったから本当ということはないですよね。本人は本当のことを言いませんよね、普通。
出口--- よくて半分でしょう。半分しか本当のことはいわない。(23頁)



   
   
September 2 2004

ベルリンに拠点があるヤンに資生堂での『マン・レイ--まなざしの贈り物』展のカタログを送ったら、メールが入った。彼はバカンスでケルンに行っていたようで、フオトキナで有名なフリッツ・グルーバー氏(マン・レイ肖像集の編者でもある)の誕生パーティでの様子を教えてくれた。氏は92歳になるそうだがお元気で赤い服を着ておしゃれ、奥さんも若く、ヤンは50年代のパリやフェルー通りのアトリエの話などを楽しく聞いたと云う。そして、以前、マン・レイの感想を求められた彼のテキストも載るカタログが用意されているストックホルムの美術館で開催されるマン・レイ展のレセプションに、明日、出掛けるところとの事(金曜日の夜がパーテイ)。ヤンがジュリエットから譲ってもらったコレクションの内からも二点出品しているので、彼の「私のマン・レイ」を観たいと身悶えする。

 ビール頭で返信を考えていたら、どうも上手く書けない。日本語もおかしくなっているね。一晩にヤンとパリのアンドリューとなると、許容範囲を超えてしまうね。バカ頭を呪うよ。涼しくなったから、ビールを止めれば解決する単純な問題なんだけど----
   
   
September 1 2004

昨日の出来事を『日録』に書き込み、頼まれた写真の整理。銀紙書房の来年の企画に向けた依頼電話を少々。海外からのメール。用事はゆっくりとしか進まない。