2005.11.1-11.30 マン・レイになってしまった人

November 30, 2005

 通勤のお供に小椋三嘉さんの『パリを歩いて』(東京創元社、2002年)を読んでいる。パッサージュがお気に入りの彼女は<パッサージュ・ジュフロワ>に言及するくだりで「ヴァルター・ベンヤミンはこう書き残している。シュールレアリスムの父がダダだとすれば、その母はパサージュだ、と。またアンドレ・ブルトン箸『溶ける魚』には、このパサージュの入口に「白貂の乳房をもつ女がさまざまな歌の光の中にいた」とある。確かにここにはそんな幻想を抱いてしまいそうな雰囲気がある」(P.72)と云っている。どんな様子だろうかと、来年のパリ行きが楽しみになってくる。いろいろな読書を積み上げながら、恋人との再会を待ちこがれる兵隊の心境である。

 11月の最終日、仕事をすませ事務所の鍵を閉めてからの遅い帰宅。夜食と共にビールを飲んだ後、ぬるいお湯に入ってボートする。いつまでも湯船に浸かっているのが好きだ。でも、寝てしまいそうになる。
   
   
November 27, 2005

 終日、京都写真展用の作品制作。9個のパーツを二つのグループに別けて構成する予定だが、夜の11時を過ぎると、さすがに疲れてくる。2個を残して本日は終了とする。マロニエのどの壁面になるかは分からないが、デビュー戦の駒を決めたといったところ。12月21日のシンポジウム「関西の写真ギャラリーの現在」の司会進行も頼まれているので、そちらの段取りも考えなくては。それに、もちろん銀紙書房本の造本作業を再開しなくちゃいけない---
   
   
November 26, 2005

 京都写真展用の作品制作。テストをしながら完成度を希望する水準まで求める。これを失敗すると学園祭となってしまうから要注意。午後、材料を求めて街へ。銀杏の黄色が陽に映える東洞院の辺り、御池大橋手前の竹内美術店のウインドウで今中洋二の油彩を見る。ギャラリー16で越田博文展、作者から古い技法、テンペラは水で、細い筆先タッチで顔の骨格を作り油彩で肌を載せると云ったやり方をお聞きする。氏の作品は深い紺色の海に白い稲妻が踊るようで興味深い。Sさんと世間話を幾つかした後、府立図書館へ。その後、知恩院から円山公園祇園石段下から花見小路、団栗橋のコースで自宅まで戻った。

 現像に出していた写真が出来たので、取り込み『日録』にアップする。どうぞお楽しみに。
 
  
  
November 25, 2005

 ふかひれの姿煮込み 雲丹添え
 
銀紙書房の主要後援者をお招きしての食事会をからすま京都ホテル「桃季」(電話 075-371-0141)で行った。Jさんには製本接着段階での揮発性物質で迷惑をかけた。Tさんには校正をお願いしたいと思いながら、かなわなかった。一番若いKさんには、各人の調整にあたっていただいた。この人達の協力があってこその出版業務である。職人を身近に置いた人達の犠牲をすまないといつも思っているのだが、仕事に入ると何も見えなくなってしまう。申し訳ない。そんなお詫びの会である。

 食事会はエビスビールでの乾杯から初めて、エビやクラゲやロースの前菜でウオーミング・アップをし、期待をしていたふかひれの姿煮込み。火が仕掛けられた器なのでスープのとろみがいつまでも美味い。柔らかいふかひれをレンゲでほぐしながら、磯野の香りたっぷりの雲丹に、海に接しているといった感覚。あつあつをフーフー冷ましながら、急いでいただく。最後にはレンゲでおっつかないので、器を手に持って、すすり飲んだ。北京ダックは巻かれた状態で出てきたけど、名古屋味で癒される。マレーシアソースは独特の東南アジア風でシンガポールへ行った時の街の匂いを思い出した。これくらいの一皿量だから美味い。ミルフィーユの鮑は薄かったかな。ここの料理は全体に京都的な薄味なので、エビスビールの濃くとマッチする。しかし中華料理の事にて、途中から軽いアサヒビールに切り替える。このあたりで供されるロブスターはコースのとても良いアクセントとなっている。辛いけどパリパリと甲良をほうばって楽しむ。手が汚れてしまうが堪能する。タイミング良くおしぼりをいただいた。リゾットも上手い。デザートはマンゴープリンやらいろいろ。後援者達はそれぞれシェアしていただいている。

 個室だったし、Kさん期待の回転テーブルに一同大満足の2時間あまり。いろいろと写真を撮り、各人の今後の抱負をうかがった。 さて、冬の謝恩フェアと云う
「白冬」のメニューは以下の内容。12月28日まではリーズナブルな価格で楽しめるので、ぜひどうぞ---

季節の前菜盛り合わせ
ふかひれの姿煮込み 雲丹添え
北京ダック 揚げ物添え
乳飲み孔子のマレーシアソース
鮑・鯛・海老すり身のミルフィー
ロブスターの四川唐辛子炒め
魚介入りリゾット風炒飯
デザート三種盛り合わせ

 

 その後、ココン烏丸のお香ショップ「リスン」によってお気に入りの香りを求める。楽しい食事会だった。
  
   
November 24, 2005

 友人のT氏がARTLETの24号を送ってくれた。慶応義塾大学アート・センターが発行されているリーフレットで29.8x21cm 表紙も入れて8頁。この号は大学の日吉キャンバスで開催が予定されている「瀧口修造1958--旅する眼差し」展を記念する特集号(9月15日発行)。誌面で欧州旅行(適切な言葉じゃないけど)された時の写真が、先行して紹介されている。瀧口さんが撮ったものや、写されたご本人のもの。リーフレットで見る「ガダケスのダリの家」(ここにデュシャンが泊まっていたのか)やバルセロナの子ども達の写真が素晴らしい。それにブルトンと握手されている氏の写真には、撮影者のルネ・ロランのサインがある。初見だが感激する写真だ。きっと帰国後に送られてきたのだろう、この写真を手にした時の瀧口さんの複雑な心境を想像する。握手をしていたのは、過ぎ去った時であり、自分はこれから、どのように、自分のシュルレアリスムを生きるのかと、自問したのではと---読者であるわたしは考える。
 収録されたテキストを読みながら、展覧会の「なかでもその主役を占めるのは、旅行中に瀧口自身が撮影した「写真」であり、それを支えるのが付属するモノとしての「記念品」の数々となるだろう」そして「もうひとつは映像とモノの相乗作用で「旅行前・旅行中・旅行後」の瀧口をより具体的に見直す視線を提示すること」(「瀧口修造と写真」田中淳一)といった主催者の狙いを受け取り、心をひどく揺さぶられたが、京都からでは、ちと遠い。それに12月5日から16日の会期では、京都写真展の準備と重なってしまうではないか。「白黒約940点、カラー約300点」、どんな写真が選ばれ展示されるのだろうと、気になってしかたがない。
 
  
November 23, 2005

 観光客があふれる京都の街を、自転車で抜け、ギャラリーマロニエ(四条河原町上ル東側)で開催中の森岡和世さんの個展「銅販画の繪草子」展(11/27まで)を観る。足首がきゅっと締まった桃子姫の可愛いしぐさのあいまに、色っぽいお尻がユラユラして楽しい。ちょと作者とお話をしてお茶をよばれる。その後、「京都写真展」用の材料を買いに画箋堂へ。チャチュカにもよって帰宅。
  
  
November 20, 2005

 美術評論家東野芳明氏が19日に急性心不全で亡くなられた事を、新聞朝刊で知った。著書の『マルセル・デュシャン』や『グロッタの画家』は当然として、わたしは、氏の書かれるようなスタイルの美術評論と云うか、美術メモ・報告・旅行記のようなものを書きたいと思ってきた。評論臭さが前面に出なく、表現にたずさる作家の臨場感が伝わるような書物を理想と思った。わたしの最初の本『マン・レイになってしまった人』(銀紙書房 1983)は、氏の著作『パスポーNO.328309』(三彩社 1962)と『アメリカ虚像培養国誌』(美術出版社 1968)にとても影響されていた事を告白したい。享年75歳、ご冥福をお祈りする。合掌。
   
 午後から知人が出品しているので、竹苟書道会(池ノ坊学園、19-20日)の第48回竹苟会書展を観に行った。わたしには読む事のかなわぬ日本語だが、作品解説が書いてあったので、そちらで確認しながら楽しんだ。例えば「鶴巣松樹不知年」この会には画の入ったものもあり自由な雰囲気がある「串柿や枝をはなれてまた並ぶ」なんて面白い。友人のは「初夢を誰に告げんか雪の枝」(松浜)と「美しき水の走れる雨間かな」(奈王)、岡本松浜と片岡奈王の俳句から選んだのだろうか? 新しい年がおとずれ、新しい生活への希望が感じられる、美しい墨の線だった。

  
November 18, 2005

 L'Homme-arbe
 Mixed media constrauction 16 x 11in.
 signed lower right.
   
   
   
     
   
 
   

 
軽々に人を評してはいけないと反省した。マン・レイのポスター(フュルステンベルグ画廊 1954)をわけて下さったオークションの売り手について、10月21日付の『日録』に「荷物を送りだしたらメールが欲しいと依頼していたのに、なしのつぶて、そんな、ニュージャージ在の売り手だった」と書いていたのだが、帰宅すると、そのサラ・スミスさんからエアメール。開封するとカードと共に新聞の切り抜きが2点入っていた。フロリダのイートン・ファイン・アートでのマン・レイ等のレイヨグラム(フォトグラム)展の紹介記事と、ダラスで開催されるオークション情報。ガートルード・スタインに宛てた、ミクスト・メディア"L'Homme-arbe,1953"で80,000から100,000ドルのエステイメートをぶちあげている。ワインの箱に掛けられた短冊に書かれた繪で「木の男」、なるほど、よく見ると樹木人間だ。ネットのオークションも併設していて、確認すると現時点で59,750ドルまでいっている。直接に現地情報と接すると、ワクワクするね。しかしこれが1,000万円クラスになってしまうとは、まいったな。


  
November 17, 2005

 
マン・レイの謎、その時間と場所。』の本文印刷を終えて折り作業。200頁だと一冊につき、50回。測ってみたら18分だった。これを20冊強続けなければならない。
  
  
November 12, 2005

 

 
名古屋市美術館で開催中の『レオノール・フィニ展』を観る。マンディアルグの仮面に関する本で、不思議な仮面を付けた彼女が写っている写真を記憶していたので、気になった訳。自画像(9)が良かったかな。

 さて、この美術館は常設展示に力を入れている。今回のコレクション展は入口が変更され、遮光幕をくぐると美しいサークルに数字の変化。宮島達男の「Opposite Circle」。いつもの見慣れた作品たちの中に、赤瀬川原平の「模型千円札1,2,3,4」「押収品・模型千円札梱包作品(かばん)」「零円札と両替された現金の瓶詰」の3点が紛れ込んでいる。これは初紹介らしい。標本を入れるような広口瓶で、蓋を閉じる黒い針金が美しく、作品の完成度も申し分ない。大日本零円札発行所の住所は東京都練馬区立野町901、現金書留の料金は120円だったようだ。閉じられた瓶だけど、社会との接点を持ったタイムマシン。零円札を申し込んだ人達の住所や名前を覗き込んでしまった。この反対側斜めの壁面には河原温の日付絵画「Todayシリーズ 12. AUG.1984」、当日の読売新聞紙面(サイドワインダー3000機 サウジ)が貼り込まれた紙箱が美しい。デテールがしっかりとした仕事である。コンセプトだけではなくて、作品の完成度がどれだけ大切なのか実感した。趣味の展覧会や学生の文化祭と、美術作品が区別されるのは、ここらあたりにあると思う。

 そして、常設展示室3では、平田実の写真展「1960年代の前衛たち」、ハイレッド・センターやゼロ次元のドキュメント写真で、当時が甦る。前述の赤瀬川作品とシンクロする、面白い企画だった。
  
  
November 10, 2005

 
マン・レイの謎、その時間と場所。』をやっと10冊仕上げ、硫酸紙にくるんでから限定番号とサインを入れる。一ヶ月で10冊のペース、恐ろしい。

  通勤のお供に山本省の『南仏 オート=プロヴァンスの光と風』(彩流社、2004年)を読んでいる。筆者が研究されているジャン・ジオノについての知識を持ち合わせないが、彼の家族と共に南仏を旅している感じだ。こんな風に愛する自然と人々に包まれる時間は素晴らしい。こんな本を作りたいものだ。来年、旅行した時にチャレンジしたいと思い始める。
  
November 7, 2005

 
N画廊さんの力添えのおかげで、新美術新聞、11月11日号(株式会社美術年鑑社)の読書案内コーナー(6面)において、『マン・レイの謎、その時間と場所。』が紹介された。書影付きである。感謝。
  
  
November 6, 2005

 
終日雨の日曜日。午後、『チャチュカ』へ行き、バックナンバーを調べる。ヴォーグのマン・レイは一年違いの号だった。残念。
  
  
November 5, 2005

 
Chotchke

 住所〒600-8356
 京都市下京区松原通堀川西入北門前町757
 電話075-822-3160
   
     
   
   
   

   

 
古書市に出掛けられないプレッシャーの中で銀紙書房本の制作を続ける。夕方、画箋堂へ材料を仕入れに出、帰路「砂の書」へ寄ってから、松原通りで戻る。好きな道だが半年ぶりだろうか。夕暮れの街は心地よい。堀川通りから入って直ぐのところで、思わずブレーキを掛けた。なんと、洋雑誌を置いた可愛いショップがオープンしているではないか。入ってみるとヴォーグやハーパース・バザー等がある。店主のミネさんにうかがうと「インターネットのショップをしているのだけども、人とお話もしたいし、母の店を改装し、洋雑誌と雑貨の店として5日前に開店した」との事。名前は『チャチュカ』。60年代以降のアメリカもののフッションやインテリアを中心にライフやポストやプレイボーイ。ドイツ、北欧の美術・デザイン誌なども含めてぎっしり棚に詰まっている。残念ながらマン・レイ関連は見付からなかったけど、期待のもてるラインナップだ。雑貨を並べるテーブルには、シンプルな鍵が幾つも置かれていて、例の「鍵の夢」の一品が見付かるのではと、ドキリとした。今日はカメラも手帖も持っていなかったので、記録も残せず、バックナンバーも確認できないのが残念だった。

 チャチュカの開店案内葉書には「「一目惚れ」「ジャケ買い」をモットーにセレクトした50-70年代の洋雑誌を中心に、フレンチ・キーホルダー、切手、チェコマッチラベルなどのヴィンテージ雑貨、ボタンや鍵といったアンティーク雑貨を取りそろえています。」とある。 
 
 
充実したショップのウエッブ・サイトは店主ミネさん制作。彼女はデザイナーでもあるそうだ。
      
   
November 3, 2005

 
西院から阪急電車で大阪へ出る時は、桂で特急に乗り換える。ホームで5,6歳の男の子を見ていて驚いた。彼のベージュ色のトレイナーの胸に大きく濃い青色で"MR"のイニシャル。マン・レイがジュリエットの為にデザインしたジャケットの"MR"を思い出した。背中には"MACOMR ALLROAD COMPANY 7th"とある。"MR"に過剰反応するのは、わたしの困った性癖だけど、これは仕方がない。彼のジーパンは膝のところが開いていてお洒落な感じ。特急に乗ってから両親に質問してしまった。「これはどこのメーカーですか」--MRがマン・レイなどとは説明できないけど。母親は驚きつつも、嬉しい表情だった。「そんな、どこにでもある量販店で」と言うので、さらに尋ねると「西松屋」との事。問い掛ける方も恥ずかしい。へんなオジサンだね。"MR"への反応はメルローズの眼鏡や九州の洋服店マダムロビンのメモブロック。みなさまの街に"MR"ってありませんか?


 

 大阪へ出るのは、国立国際美術館で行われるシンポジュウム『野生の近代 再考--戦後日本美術史』を聴講する為である。その前に『もの派--再考』の展示場へ降りて行く。展覧会の会場は二度目となると、眼から戸惑いが消えて、作品と自然に対話できるようになる。サンドペーパーつながりで管木志雄の『臨界境』、原口典之の二つの作品を俯瞰しながら楽しんだ。野村仁の『道路上の日時』を見ながら、ほとんど10分間隔で移動して行くのに12:01から13:04だけが開いている。撮影を再開(?)したカットにだけ、作者の影が写り込んでいるのは何故だろう。意図的なんだろうか偶然なのだろうか。そして、最下層がつぷれた美しいダンボール"Tardiology"に見とれていたら開場の時間となってしまった。
 講堂で写真家のT氏とばったり、お聞きすると、野村さんのダンボールの組み立て作業をビデオに撮っていたとの事。中原佑介さんの基調講演、パネリスト光田由里、季美那氏の発言等、興味深くお聞きしたが、今日はこのあたりで、ゴメン。