土渕信彦と瀧口修造展-1


新幹線・車中から 京都駅東側
松屋銀座の開店に合わせて京都発7時53分の「のぞみ212号」で東京へ(10時13分着)。毎年カタログを貰いながらチャンスがなかったので『銀座古書の市』を楽しく拝見。この市は日月堂の他にえびな書店、呂古書房など、わたし好みの出店先が多いので期待が持てる。佐藤真砂さんのブースでジョルジュ・ユニュの『1961』(限定版)を拝見、マン・レイが『自伝』執筆中にスペインのカダケスでバカンスをデュシャンと一緒に過ごしていたとき、送られてきた同書に触れ「題名は「1961」である。わたしの席から見るとさかさまなのだが、それでもなお「1961」と読める」「わたしたちに関心があるのはこの現在であり、現在という永遠の一形態なのだ。」(234頁)と、友情を込めて言及している。だから、購入したいと思ったけど、手許不如意で断念する、でも、書影スナップをお願いしてしまった。佐藤さん「ゴメンナサイ」ね。
 それから京橋まで歩いてZEIT-FOTOで開催中の安齊重男さんの写真展『MONO-HA BY ANZAI』を拝見。オフセットリトによる『この七つの文字』と『THESE THREE WORDS』しか知らなかった高松次郎に『ここに十一の文字がある』や『HERE ARE FOUR WORDS』のバリエーションがあるのを知って驚いた──見せ方も上手い。安齊さんはライカ使いの名手だとあらためて納得、Lee U Fanさんのギャラリーの情景なんて、素人ではこの感じに写らないなと思った。「もの派」の仕事は空間とのインスタレーションの部分が多いから、写真で残すやり方は重要だった訳、海外から注目を集める日本の美術にとって、安齊さんの仕事のしめる割合は、ますます増えるだろう。わたしも、やりたかったけどライカを持っていないし、作品よりも人間を撮ってしまって、平凡な写真に終わるだろうな。──古い写真を見直そう。 追記、会場でのスナップをしてみた(下図参照)---壁に掛けられたコンタクト・プリントは「高松次郎」。置かれているカタログは『1970年--物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち』(1995年)など。
 GALERIE SHO CONTEMPORARY ARTでアヤナ V. ジャクソンの「過去から未来に向けて」を拝見。フラットな空間だけど閉鎖的でアヤナの作品と通底していると言えば良いけど、ショッキングな表現でやりきれない。スタッフからも暗い印象を受けた、これは画廊の戦略なのかしら、わたしは、思索があるも希望の持てる作品が好きだ。アヤナの作品、どんな人が買うのだろう。

ジョルジュ・ユニュ著『1961』古書日月堂

MONO-HA BY ANZAI at ZEIT-FOTO SALON

GALERIE SHO CONTEMPORARY ART

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神田に移動し、久しぶりに手打蕎麦切・松翁に参戦(1時過ぎでしたが、多くの先客が並んでいました)。ゆっくり秋田の〆張鶴を冷やでやりながら、海老くんが揚がってくるのを待ちました。美味しゅうございます。本当は蕎麦味噌などでも、一杯と続けたいのですが、本を見なくちゃいけないので我慢です。ここのお蕎麦は本当に美味しい、タレは濃い口です。京都にこんな店ないかしら----
 良い気持ちで近くの古書すからべから探索し、源喜堂書店、ボヘミアンズ・ギルド、田村書店、魚山堂書店と定番コースをブラブラ。小宮山書店で鳥居昌三さんの詩を英訳された『Bearded Cones & Pleasure Blades』の著者ティラー・ミニオン氏とバッタリ会って立ち話(12年ぶりだから驚きました)。

天ざる 活海老 活穴子 野菜二種

蕎麦湯は鉄瓶から

小野寺松夫氏

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 やっぱり酔っぱらってしまったのか、いくつかの店のご主人と話していたら、今日の目的である青山のギャラリーときの忘れものへ行くのが遅くなってしまいました(1時間間違えたのです)。会場には椅子が並べられスタンバイの状態でした。瀧口修造さんの講演テープを聞かせていただいたのは、森岡書店に次いで二回目だったが、氏のはにかんだシャイな雰囲気が伝わって良い時間だった。お会いした事のない人の輪郭を作っていくのには、何度も声を聞くことが必要だろうね、今回は土渕信彦氏が、スライドを沢山用意して、瀧口さんの言葉の背景を丹念にフローされて好感がもてた。論文で読むのとは臨場感が異なる(当然か)。森岡書店の時には美術史や美学をやりたいと瀧口が先生に言った時「お金がないなら止めたほうがいいな」と言われたなんて下世話な話題に反応してしまったが、「「美術はこうでなければならない」と、あらたに勉強しすぎたために、何十年やってもいい絵が描けないという人を、たくさん見ております。」という経験の中で、美というものは「何か自分で発見するものです」と伝える言葉に、なるほどそうだよねと合点がいった。
 今回のときの忘れものでの瀧口修造展は、長く保管されていた優品が開陳されているので血が騒ぐこと夥しい(瀧口コレクターの心情です)、2014年度中に三回の展示が予定されているが、いや----、最初からすごいです。画廊に掲げられた作品の多くに赤い売約済みのシールが貼られていて、どなたが求められたのか、どうしてその作品なのですかと、お聞きしたい衝動にかられ、困ったマン・レイ・コレクターは、同展を記念して上梓されたカタログのタイトル・ページに、参加されたみなさんにサインをお願いした。
ギャラリーときの忘れもの 瀧口修造展 ──I 2014.1.8-25

水彩

ロトデッサン

水彩

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瀧口修造の講演「美というもの(録音)」を聴く会 


記念写真を撮る、スタッフS氏

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画廊でちょっとワインを頂いた後、池田龍雄画伯、土渕信彦氏を囲んでの二次会(金華大飯店)に移動。建築家で演奏家の多才ぶりや、編集者兼出版人(わたしと同郷でした)による誌名の由来、もちろん、男と女の道行きなどがからみ、池田画伯も饒舌でブルトンの研究者の方からは、モンバルナス墓地のマン・レイのお墓で拙著『マン・レイになってしまった人』を観たとお聞きするなど、楽しい話題のてんこ盛りとなりました。


会食後の記念写真

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カタログで同展の監修をされた土渕信彦氏は、「瀧口の造形作品からは、美術批評の仕事から解放され、若き日に熱中していたシュルレアリスムを再び生き、楽しそうに制作に没頭する姿が窺える。自らの時間と熱意、さらには永年にわたる評論活動の精髄までも注ぎ込まれた、後半生の中心的仕事と考えられよう。」(66頁)と、敬愛を込めて書いている。「楽しそうに制作に没頭する姿」を求め「楽しそうに購入品を選ぶ」土渕氏の情熱に幸あれと思う。コレクションは氏の人生をかけた仕事と考えられよう。八海山が美味しゅうございました。

三次会は八海山の冷酒

東京メロト半蔵門線 外苑前1a入り口 午後10時40分