マン・レイと宮脇愛子展

京都7時32分発ののぞみ106号で上京。神田神保町のアベノスタンプコイン社のダンボール函に取り付いたのは10時30分過ぎだった。戦前の映画パンフレットや巴里の絵葉書を探した訳だが、簡単には見付からない。中野書店などを覗いた後、魚山堂書店で海外の募集家や国内の研究者の世間話。田村書店の一階と二階に挨拶した後、呂古書房に上がって目録に掲載されていたエゾ豆本の確認を頼むが、店頭では姿を消してしまったようでがっくり。源喜堂書店を流し、淡路町から丸ノ内線本郷三丁目へ。移転されたアルカディア書房でダダ・シュルレアリスム関係の厳選された洋書類を拝見。矢下氏が収集されるものは状態が良く、羨望の品々。棚から取りだす度に幸せな気分になるものの、価格表記にたじたじ、どれもが高価でわたしには手が届かない。新幹線費用を捻出するのもままならないサラリーマンではどうにもならない現実。結局、岩崎昶の『映画が若かった時』(平凡社)のみを求めて夢の図書館から退散。店主の貴重な時間を無駄にさせてしまった、申し訳ない。


アルカディア書房は20世紀芸術(美術・建築・宣伝・写真・舞台等)及、翻訳書(文学・哲学)の専門店。電話による予約制で営業をされておられる。 所在地:113-0033 文京区本郷5-23-3 電話・FAX番号:03-3812-3292 営業時間:10:00〜18:00 休日:日曜・祝祭日

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外に出ると強い雨足。地下鉄丸ノ内線を戻って赤坂見附乗り換えで銀座線外苑前へ。今日の目的である「ギャラリーときの忘れもの」を訪ねる。9月28日から始まった『マン・レイと宮脇愛子展』については、当初、上京を諦めていた(前述の理由)のだが、画廊のブログを拝見していて、どうしても現物と対面したくなった訳。『マン・レイ展のエフェメラ』の編者としては、献辞の入ったカタログ類を見なかったとなると、末代までの恥、生きてはいけないプレッシャーとなっていた。

画廊据え付けの書棚に並べられた書籍類。もちろん総てを所持しているが、石原コレクションにある献辞資料類(数点)は、わたし宛てであるはずはなく、価格が明示されているのであれば、欲しい、欲しくてたまらない。宮脇愛子とマン・レイが交わした言葉の時間を、我が手に抱きたい。

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宮脇愛子とマン・レイとの交流については、よく知られている。ハンス・リヒターに連れられてフェルー街のマン・レイのアトリエを訪ねた若い彼女の物語は、すでに伝説となっているようだが、1960年代始めの「芸術新潮」を読んだときからあこがれだった。彼女に贈られたマン・レイ作品にまつわる、様々なエピソード。完成され額装された作品の背後に人と人との心温まる交流があったのを知るのは嬉しい。作品の魅力が数倍、数十倍にも高まるのである。生活の何気ない品物にちょっとだけ手を加えてユーモア溢れる芸術作品にしてしまうマン・レイ錬金術。その種明かしが画廊空間に置かれている訳だから、しびれる。それにこの場所はフェルー街のように二層式で恋人たちの唇が光にあふれ浮遊し、まことにシュルレアリステックな出来事となっている。

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マン・レイ好みの青いボールペンを使ったミラノのギャラリー・シャワルツ・カタログの指先に加えた「for Aiko witness my hand and seal (with a kiss) man ray 12-6-64 PARIS」なんて良いな。版画のレゾネ「オペラグラフィカ」の文言もしゃれているし、1982年に訪問したマン・レイのアトリエの椅子に再び腰掛けているような気分で眼福の一時を過ごさせていただいた。
 夕方、画廊主の綿貫夫妻が戻られたので、コレクションの行く末などを中心にいろいろとアドバイスをいただく。ブログにはあまり自分の顔写真をUPしないのだが、三浦氏が上手くとらえて下さったので示しておく。この場所にいた自分を記録したくてしかたがないのである。

マン・レイと宮脇愛子展については、ときの忘れもののホームページを参照。展示品の価格も示されている。
展覧会の会期は9月28日から10月16日まで、尚、この展覧会を記念して宮脇愛子、磯崎新による「オマージュ・マン・レイ」限定25部が刊行されている。

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瀧口修造を敬愛するT氏と、瀧口が宮脇に贈った「マン・レイ宛て書簡」と「MAN AS NO RAY AS YES」について話すと、氏はこの二点に狂っているのが判る。お互いどうにもならない事柄、東京駅丸の内トラストタワーの焼き鳥屋で泣きながら痛飲、9時00分発ののぞみ267号に乗り込むも、眼が覚めたのは列車が京都駅のホーム到着してからだった。