二人のカメラ、眼と手の交差。


JAPAN'S MODERN DIVIDE / THE PHOTOGRAPHS OF HIROSHO HAMAYA AND KANSUKE YAMAMOTO
アマゾンで注文していたJ.ポール・ゲッティ美術館の展覧会カタログが届いた(4日)。大判、ハードカバーで28.2 x 24.7 x 2.8 cm, 224頁。展覧会については、このブログの3月28日で若干の紹介をさせていただいた。カタログを手にすると、戦争を挟んだ昭和と云う時代に、湿気を持った日本の風土と密着しつつ写真を撮った濱谷浩(1915-1999)と、都会である名古屋に暮らしてシュルレアレスム的な精神の解放を写真や詩作で独自に表現した山本悍右(1914-1987)と云う対照的な二人の写真家に焦点を当てて、異なった資質の中に普遍的な日本近代の文化状況を切り出す構成となっている。分裂と云うよりは合成、二人のエネルギーの方向は同じだと思うのだが。
 本紙を捲ると濱谷の捉えた60年安保の学生デモが見開きで飛び込んでくる。日本近代のエネルギーは、このように見られているのだと思いつつ、頁を進んだ。濱谷の仕事についての個人的な出会いは川崎市民ミュージアムで開かれた「写真家・濱谷浩展」(1989年)だったろうか。学芸員だった平木収さんの出会いはこの折だった。その前の学生時代には『怒りと悲しみの記録』を見ていたけど、写真集としては『雪国』や『裏日本』が良かったな、「アウラの田植え」の女性にはインパクトがあるからね。二十歳前には学生運動を捉えた写真に抵抗があって『日本列島』の仕事の方に共感を持った。最近は、亡くなられた夫人・濱谷朝の追悼写真集『女人暦日』の日本女性の素晴らしさ、控えめな愛情の美しさに惹かれている。展覧会では、こうした濱谷の仕事をまんべんなくフォローして展示がされたようだ。マグナムに参加した日本人、日本海側の重い雪に押さえつけられながら、楽しみを持ち、春の希望を失わなかった時代の「眼」を見る思いである。写真らしい写真といえるだろうか、あるいは、写真はこうしたものだと、植え付けられたのだろうか、濱谷の仕事の迫力にいろいろと考えさせられた。

濱谷浩 1. Man in a Traditional Minoboshi Raincoat,Nigata Prefecture, 1956.

濱谷浩 33. Sukayu Hit Spring, Aomori Prefecture, 1957.

濱谷浩 41-42. The United States-Japan Security Treaty Protest, Tokyo, June 15, 1960.

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中部学生写真連盟・高校の部時代にお世話になった山本悍右先生については、これまで、いろいろな機会に喋ったり書いたりしてきた。本展の出品作のほとんどを実見してきたが、改めて美しい印刷再現で感動している。静かな人だったように思うが、内面の激しさを写真に見付ける。そんな観月町のお宅での時間を思い出している。先生の発想の自由さはどこから来たのだろう、そして、どこへ行こうとしていたのだろう、人の尊厳を守るための「孤独な仕事」だったとも思う。
 カタログのテキストではシュルレアリスムとの関連にも触れられ、マン・レイの作品も参考図版で掲載されている。尚、カタログの図版掲載は濱谷50点、山本52点。国内コレクション(財団、個人、寄託など)からの出品の他、開催のJ.ポール・ゲッティ美術館及び地元コレクター収蔵品から出品されている。

山本悍右 51. Buddhist Temple's Birdcage, 1940.

山本悍右 54(左). The Developing of a Fuman... Mist and Bedroom and, 1932. 55(右). title unknown, 1940.

山本悍右 73-76. My Thin-Aired Room,1956.

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蛇足になるが、このカタログは現時点で4,650円。わたしが予約をした3月15日に5,360円だった価格は、アマゾンの「予約商品の価格保証(予約注文した時点から発送手続きに入る時点、または発売日のいずれか早い時点までの期間中のAmazon.co.jp の最低販売価格を採用)」によって、941円減の4,419円となっての購入だった。洋書の場合の保証制度は有り難い、これではアマゾンの一人勝ちとなってしまう。個別に開催美術館へ手紙を書き取り寄せていた時代が懐かしい。そんな時は、チラシや案内状を添付してくれたりしたので、展覧会の臨場感があった。いまでは、画集のようなカタログが送られてくるばかりで、会場を想像するのが困難となっている。