コンスタンティヌヌスの間
ラファエロ『アテネの学堂』(1509-1510年) 署名の間
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後でアンリ・マティスの部屋がシスティーナ礼拝堂の階下だと知った。古代からの至宝に圧倒されていた眼が、ホームグランドに戻った感覚。パチリをするにはひきがとれなかったけど、マティス、ルオー、ダリ、モランディ、写真もいくつかあり、各部屋に入りたかった。グループ移動では許されない、ミケランジェロが観たいから……
ルーチョ・フォンターナ(?)
9:42
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● システィーナ礼拝堂はシクストゥス4世により1477年から1480年に再建、部屋には祭壇背後の副扉から入る構造。後陣のない矩形の広間は40.23m × 13.41m 高さ20.7m 上部はやや平ら、装飾は複数の絵画チームにより「キリストとモーゼの物語」や星空などを描き1482年完成。両物語の終端部分(祭壇背後)にあったペルジーノの『聖母被昇天』を主題とした絵画と天井画をパウルス3世の圧力から破壊し、ミケランジェロが天井に「キリスト降誕前の人類の物語」を、次いで『最後の審判』を描いたのは画家60歳代の1536年夏から1541年秋までのこと、「同年10月31日、一日千秋の思いで進捗を見守っていたパウルス3世はこの類まれな絵画の前で荘厳に夕拝を執り行った。ジョルジョ・ヴァザーリが証言するとおり、本作は『全ローマを驚愕と賛嘆で満たした』のであった」(『バチカン美術館の至宝100』KADOKAWA 2020年 285頁)
神聖な礼拝堂ではパチリ不可。人気故に満員電車並の人混み、堂内では会話を慎むように求められる。小生、石のベンチから山田五郎指摘の「皮を剥がれた男」をギャラリースコープで凝視する。物語として観ることは、時間軸に自分を置くこと、永遠であることの如し。また、三層構造の壁面最下段に描かれた「金銀の布」はだまし絵を意識させ、物語を虚構と思わせる。自意識の安全弁なのだろう、団体観覧でも充分に堪能させていただいた(感謝)。
山田五郎のオトナの教養口座。 →
【ミケランジェロ】「最後の審判」皮を剥がれた男のナゾ【過労】 - YouTube
システィーナ礼拝堂のバーチャルツアーを紹介したい。→
Virtual tour "Sistine Chapel"
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10:39 出口: ジュゼッペ・モモ設計二重螺旋階段 1932年
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