鷹山・巡行-3 辻回し

08:55 三条通新町角

---

 200年前の巡行コースを知らないが、江戸時代から続く伝統的な後祭巡行は烏丸三条から寺町通を経て四条烏丸までだったと云う(1955年までも同様)。とすれば三条通りに建てられる鷹山は、正面から真っ直ぐ東に向う訳で、くじとらずの大型曳山の堂々とした晴れやかぶりが目に浮かぶ。これから続く懸装品の嗜好・充実が楽しみですな。

 

新町通前方に南観音山

09:10

09:16 電線 ぎりぎりセーフ

09:20 電線に当たってます

09:21 見送りを掲げ、いざ隊列へ 

鷹山・巡行-1

07:07

正面に御神体(鷹遣い)がお出でになられる。

 

裾幕は京都市立芸術大学の学生・小山内瑞恵らがデザイン「鷹狩を意識し、草原での鷹狩の様子を感じ取れるように、風にゆれる草のモチーフを取り入れた」とのこと。

 

07:37 記念写真

---

 曳手の皆さんから、カメラウーマンが笑わせ上手くパチリ。ひとつの山鉾巡行にどれだけの人がたずさわるのか、山鉾建てでは作事三方といわれ、(1)手伝方: 基礎構造、胴組組み立て、(2)大工方: 鉾屋根、囃子台組み立て、(3)車方: 車輪取付。巡行では町内の役員を筆頭に、音頭取り、囃子方、屋根方、曳手などなど。関係者はおよそ200人。パチリの皆さんを拝見しながら、笑顔はよろしいなと、思いました。196年ぶり復活です。
 新聞などによると、鷹山保存会の理事長は山田純司(68)、手伝方棟梁は森耕一(69)、車方棟梁は井上八三郎(58)、囃子方代表に西村健吾(52)。皆さんのお顔、晴れやかでした。

鷹山・宵山飾り

三条通室町西入ル

 

中納言平卿(左手に鷹右手に餌飼を持つ、源頼朝とも在原行平ともいわれる)

樽負い(樽を背負い両手に粽を持つ) 巡行では後方西面に座する

犬遣い(右手に白黒斑の犬を率いる)

 

 

いよいよですね。

鷹山・復活

鷹山 三條通室町西入ル 2022.7.20 13:00

---

 196年ぶりに巡行復帰。「懸装品などが整うのに後、50年はかかります」と代表の方が言っておられた。先は長いが楽しみです。

胴懸 柘榴蓮植物文様絨毯(子孫繁栄) 蟹文様絨毯(水神) 「手紡ぎ・草木染め」イラン・ミリーコレクション製

後懸 東トルコ地方で約70年前に造られたと云う絨毯

前懸 エーゲ界近くの南トルコ地方で約140年前に造られたと云う絨毯

一番水引は龍村美術織物

 

鷹山応仁の乱以前から巡行していた「くじとらず」の大型曳山、御神体は三方(鷹匠、犬飼、樽負)で鷹狩りをする場面を表し、黒漆塗りで破風裏金という豪華な屋根をもっていたと云う。1826年(文政9年)の大雨で損壊し翌年から休み山、さらに、1864年(元治元年)の禁門の変でほぼ燃失(御神体三方の首及び上手、鉦4丁が守られた)。松本元の『祇園祭細見』(1977年)によると「近年まで同町の医院玄関に宵山飾が行われ……建物が取壊されてビルとなり……以来、残念ながら宵山にも見られなくなった。今は同町の大学堂という眼鏡屋さんで守りをして居られるが……もはや宵山飾りの復興さえ全く見込のない現状である」とある。それが、2012年に「鷹山の歴史と未来を語る会」が設立され、囃子方設立、保存会(公益財団法人)設立、2019年には唐櫃巡行、そしてついに196年ぶりに山鉾巡行への参加を果たす事となった。「山は高さ18メートル、幅4.3メートル、長さ6.3メートル」設計は末川協(1964- )、歴史が蘇り、暗い世相の中、わたしたちは元気をいただいた。感謝申し上げたい。

テレサ・ライト

 先日、家人が外出していたのでビールを呑みながら1946年のハリウッド映画『我等が最良の年』を観ていた。第二次世界大戦が終わり日常生活に復帰しようとする三人の復員兵が直面する問題が描かれている。この国と戦い破れたのだと思う反面、まだ「良き時代のアメリカの良心」が残っていると思った。今はまったく違いますな。小生単純なのでボーイングB-17の爆撃手だったフレッド(ダナ・アンドリュース)とペギー(テレサ・ライト)の物語に感情移入してしまったのであります、こういうの好きなんですよ。

 それで、素敵な人だと思いつつ、どこかで観た記憶が浮かんだ。確認するとマン・レイが1944年に撮影していたのである。テレサ・ライトマン・レイは何を話したのだろうか ── Teresa Wright は1918年の生まれでハーレム育ち、1942年に結婚しているので、レンズの前でポーズしたのは新妻ですな、1943年の『ミニヴァー夫人』でアカデミー助演女優賞受賞。女優の絵葉書も探す小生、ハリウッドでマン・レイが撮ったスターも探求品に加えなくてはと、思ったしだい。

 

『プロレタリアの手』ときの忘れものブログ

『アヴァンガルド勃興──近代日本の前衛写真』展カタログ 34×22.7cm 208pp.

---

  ときの忘れもののブログで連載中の「美術館でブラパチ」第15回は兵庫県立美術館で催されている『関西80年代展』を報告する予定で準備を進めていた(7月8日原稿締切)。ところが、6月21日に東京都写真美術館での『アヴァンガルド勃興──近代日本の前衛写真』展のカタログを手にして驚き、これは大問題、泉下のマン・レイも苦言を呈すだろうと、担当の学芸員に写真(5-13)を永田一脩作品として展示した経緯などを尋ねた。次いでマン・レイ作品と小生が判断する資料などを示したのだが、学芸員の判断は変わらない。展覧会が終わる迄(8月21日)に、一人でも多くの観客に、プリントを観る参考にしていただきたく、予定を変更してときの忘れもののブログに、「永田の名誉」の為にもと思い寄稿させていただいた。詳しくは『プロレタリアの手』と題した拙稿を読んでいただきたい。 → http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53477880.html

 

 

カタログpp.172-173 左の写真キャプションは「5-13 永田一脩 題不詳(手) c.1930s」

 

カタログpp.12-13 左の写真キャプションは「1-5 マン・レイ 映画『ひとで』より 1928」

---

 

 6月27日のときの忘れものブログ掲載の展覧会紹介。後段に問題提起されている。

---

 この執筆は早い段階から友人、知人のお世話になった。作品リストの確認から展示場及び額装の写真確認、加えて観客の感想などを教えていただいた。そのために臨場感を持って書くことができた、記して感謝申し上げる。尚、小生は2017年にギャラリー176で催された『写真家マン・レイの前衛映画』展を紹介している。

gallery176での『写真家マン・レイの前衛映画』展

---

京極映画劇場プログラム

右: 50号(表紙: フランセス・ファーマー) 1937年9月(表紙: フランセス・ディ) 『第一回 映画アンデパンダン』上映予告『ひとで』『貝殻と僧侶』 右: 51号 1937年9月27日〜29日『ひとで』『貝殻と僧侶』上映 浅原清隆「『ひとで』『貝殻と僧侶』評」

祇園祭・胴懸

函谷鉾 左から玉取獅子、華文唐模様ペルシャ産、李朝十七世紀朝鮮段通、

月鉾 前懸: 十八世紀東ペルシャメダリオン(円形模様)段通、右側胴懸: 十七世紀ペルシャ産段通

菊水鉾 後懸: 布袋 右面胴懸: 毘沙門天弁天

岩戸山 花模様段通ペルシャアゼルバイジャン地方十八世紀

祇園祭・放下鉾

子結棚町会所(放下鉾) 京都市登録有形文化財

天井幕 四季草華図(原画・柴田是真)

---

● 朝8時、蝉が鳴いている。曇り空、テレビで巡行観覧の予定、粽を飾るのは、そのあとになりますな。── 今年もネット購入、控えには「向暑のみぎり長刀鉾のご縁をもちまして、新型コロナウイルスなど、疫禍に遭われることのないようお祈り申し上げております」とあった。家内安全・無病息災・疫病退散。

 


14 × 9 cm

 

放下鉾 新町通四条上ル

祇園祭・長刀鉾、菊水鉾

長刀鉾 四条通烏丸東入ル

---

 人混みでギャラリースコープが使えなくても、小鍛冶宗近神剣鍛造像を拝見しないと、お祭りの気分がでません。── iPhoneパチリはさすがの描写力、これではデジカメの低迷もしかたおへん。
 先日、テレビの再放送で長刀鉾の胴懸(梅樹図絨毯)にはチベットカモシカの毛が使われ、タクマラカン砂漠あるいはゴビ砂漠の辺りで、モンゴル帝国によってイスラム文化圏と中国文化圏が交流した時代(13〜15世紀末)につくられた可能性があると紹介されていた。くすんだ色合いの絨毯を町家の二階で見てきたものだがら、タイムカプセルみたいで嬉しい── といっても、パチリをしたのは復元新調品になるかしら。

---

 

菊水鉾 室町通四条上ル