今年も良い年でありますように


新年明けましておめでとう御座います。
本ブログご訪問の皆様、旧年中はお世話になりました。本年も宜しくお願いいたします。

毎年の事ながら、酔っぱらったまま新しい年を迎えるのは幸せです。皆様はいかがお過ごしですか。昨年の振り返りと本年の抱負などを報告させていただこうと思います----ヨッパライなので、支離滅裂ですが(笑)

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昨年前半は銀紙書房刊行の「マン・レイ展のエフェメラ」に費やされた、印刷と製本を一冊ごとに総て手作りで仕上げる作業は、根気と忍耐が必要で75冊までたどり着けたのは6月17日だった。展覧会資料のレゾネである本書は、零細出版ながら様々な方からのご注文を頂き、完売する結果となった(深謝)。その間、東京南青山のギャラリーときの忘れものから依頼され、同画廊主催による写真を中心とした魅力的な「マン・レイ展」でギャラリートーク(4月11日)を行った。わたしの話は日本で開催されたマン・レイ展の案内葉書の実物をお見せしながら、マン・レイの仕事とマン・レイへの思いを吐露したものだが、画廊スタッフとの気持ち良い関係と、参加された人々からの熱気ある視線に圧倒された一時だった(いずれ、この「時間」についての本を銀紙書房から刊行したいと思っている)。そして、7月には友人の土渕信彦が情熱と愛情を注ぐ仕事「瀧口修造の光跡 1 「美というもの」展」を拝見しに茅場町森岡書店を訪問した。公的な展示ではなく瀧口の書斎でもあるかのような私的空間に、並べられたコレクションにうなった。成長を続ける個人の仕事、美術館の学芸員の餌食から、隔離された世界こそ後世に残さねばと思った。
 そんな訳で、昨秋、ニューヨークのユダヤ美術館とフィリップス美術館で展示が始まった二つのマン・レイ展、「エイリアスマン・レイ」と「マン・レイ、アフリカ・アートとモダニスト・レンズ」には懐疑的態度をとることになった、特に前者ではいくつかの協力をしたので、職業人とマン・レイ・サークルの友情とのズレを実感せずにはいられなかった。そして、今夏にはヨーロッパを巡回中のマン・レイ財団による展示が日本にも移動し東京・国立新美術館(7月14日から9月13日)、続いて大阪・国立国際美術館(9月28日から10月14日、いずれもマン・レイ財団のホーム・ページによる)で開催される。招来品の具体的な内容については知らないが、スペイン等で開かれた「呑気にしているけれど、無関心ではいられない」展のカタログから推測すると、危惧する部分が多い。マン・レイが生きていたら許さない展示であるだろうな。純粋である事が総てではないが、マン・レイの視線からはブレないと思う石原コレクションのマン・レイを、今後どのようにして紹介して行くのか、いろいろと考えているところである。

 さて、昨年の主な収集品はマン・レイのヴィンテージ写真1点(1957年)、ポスター2点(1975年、2000年)、詩画集1点(1947年)、絵葉書1点(1937年)といったところだが、もっとも熱中して追いかけたのは、日本におけるマン・レイの受容史を裏付ける一次資料だった。天野隆一の詩集を中核とした戦前京都の詩人たちの仕事は、現時点でのわたしの立ち位置を反映している。2010年の銀紙書房本は、これを纏める予定である。

今年の年賀状は、昨年買い求めた書物の著者達の名前を列挙させて頂いた。最初は天野隆一で「紫外線」(青樹社、1932年)、もちろんマン・レイポール・エリュアールは「自由な手」(ガリマール社再版、1947年)、そして最後が竹内勝太郎で「西欧芸術風物記 京都=巴里」(芸艸堂、1935年)。いずれも戦前の京都で発行された詩の同人誌が糸口。きっと面白い本になると思うのだが、筆者の執筆時間は限られ、しかも、年中酔っぱらい、反省しきりであります。

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 お雑煮を仏壇に供え、お福茶と共に家族で頂く、新しい年の初めである。食後、氏神様へ初詣、丁度、御神酒の準備をされているところだったので、タイミングを合わせてお願いすると、「お待ちどおさま」と云われてしまった、恥ずかしい。

梛神社(元祇園社)は、貞 観11年(876)京都に疫病が流行した時、牛頭天王(ごずてんのう)(素戔鳴尊)の神霊を播磨国広峰から勧請して鎮疫祭を行なったが、このときその神輿を椰の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであると言う。


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夕食も家族そろって、冷酒を頂く、月桂冠から八海山へ。島原・中淺のお造りが最後になるとは、つらい気分だ。この味を舌にとどめようと、美味しく頂く。