適塾

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大阪市中央区北浜3丁目3番8号

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幕末の蘭学者緒方洪庵(1810-1863)の適塾を見学した。緒方は備中国足守藩士・佐伯惟因の三男で母は石原光詮の娘・キャウ。元服して田上惟章と名乗り、大阪に出て漢方医・中天游の私塾「思々斎塾」に入門した時に、緒方三平と名乗ったと云う。以前から田上寺に関連するかと思い適塾に関心を持っていた。----いずれ、このテーマで書きたい事柄あり。

 福沢諭吉大村益次郎など適塾に学んだ幕末の偉人たちの若き姿を、二階のジーフ部屋で観たように思う。解説に「洪庵の翻訳姿勢は大意をとって意訳し俗文体で翻訳するものであった。門人の一人である福沢諭吉は回想録「福翁自伝」のなかで「そもそも原書を読めない人のために翻訳するのであって、原書に抱泥して難解な翻訳を行うことは笑うべきだ」という洪庵の姿勢を回想している。当時、江戸では原書に忠実に翻訳するのが主流であった。」とあって、わたしが現在している事に援護いただいた感覚。ありがたいことである。

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