『土曜日』補足-1

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 復刻版『土曜日』 解説:久野収 思い出: 斎藤雷太郎 三一書房 1974年7月発行 31×22cm pp.184

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 ときの忘れもののブログに寄稿した『土曜日にフランソア』で、「復刻版の『土曜日』を、数日来熱中して読んでいる」と書いた。愚稿では書ききれなかった事柄を整理しておきたい。
 隔週でスタートした新聞『土曜日』は前紙『京都スタヂオ通信』から通巻した経緯から、12号が創刊号(1936.7.4)。当初は隔週第一・第三土曜日発行。編集の林要が東京に拠点を移した23号の頃(1936.12.19)に毎月一日・二十日発行に変更。愚稿では当初「発売前の金曜夜」と記したのだが「発売前夜」とした。タイトルに繋がるから「金曜」と入れたかったのだけど。

 引用した「一定の水準以上の能力と意志を持たない人間は、直接革命運動には参加さすべきでなく、犠牲ばかり多くて実効のあがらないやり方で、あたら善意と熱意を持った人々を、犬死させてはならないというのが、私の体験から得た見解」の部分は斎藤雷太郎の「『土曜日』について」8頁によった。

 『京都スタヂオ通信』が『土曜日』に移行したのは、無保証で発行していた前者を「時事問題の書ける有保証・金五百円」としたのによる。個人で大金を捻出した斎藤の姿勢に感服する。

 わたしも銀紙書房をしているので「売れるということは、読まれるということでもあるので重要でした。それが「お義理」でなく、赤の他人である世間の人々が、参銭出して『土曜日』を店で買う、その売れる部数と新聞の内容に問題のカギがあるのです」(9頁)と云う部分など、共感を持った。

 尚、復刻版では、18、26、33、43、44の各号が見つからず欠号のままの発行となった(但し、後に26、33号は能勢克男の旧宅から発見)。

 

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創刊号 (復刻版、三一書房)

 

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 9日(金)のY新聞朝刊22面地域版(京都展覧会情報)に『さまよえる絵筆』展と共に『独立美術京都作家展』の案内が掲載されている。戦前とは変わっているだろうけど、後者は13日〜18日まで府立文化芸術会館で催される。