京都のモダニズム I  及び II


コレクション・都市モダニズム詩誌 第24巻・第25巻 発行:ゆまに書房

戦前京都の詩人たちを巡った拙著『三條廣道辺り』(銀紙書房、2011年刊)の基礎調査の折には、芦屋市立美術博物館が所蔵される富田砕花旧蔵資料のお世話になった。稀覯文献を直接手に取って頁に触れる感動は、思索を進める原動力となったが、富田資料でも全冊が残されていた訳ではなく、天野隆一が中心となった詩誌「青樹」第1次・35冊の内の多くの号が未見で、俵青茅の作品を中心に、見落としの不安が残ったままの執筆だった。それが、和田博文を監修者とするゆまに書房の復刻版シリーズとしてよみがえった(2013年4月25日発行)ので読み始めた---実は、このシリーズの計画については幾人かの友人・知人から聞いていてのだが、京都関係で2巻、それぞれ900頁前後、一冊単価が税別で25,000円となるので、手にするのは無理だとあきらめていた。
 経緯は別として、今、俵の詩篇や天野たちの挿画を楽しみながら頁をめくっている。急いで詩篇を書き写した美術博物館の体験とは異なり、ゆっくり、考えながら、行きつ戻りつして読んでいる。拙著で「マン・レイ」の名前はどこにも出ていないと書いたが、未見だった29号(1930年7月)掲載の俵青茅の散文「休戦と肉情」挿図に1927年のレイヨグラフが使われているのを知った。ソビーがMOMAに寄贈している有名なイメージ、同じく未見の30号(1930年9月)表紙裏に厚生閣書店の近刊案内の竹中郁・詩集『ラグビイ』を飾って、再度、使われている。ひょつとして、これが竹中が持ち帰った(あるいは送った)レイヨグラフ? 年代的には合うんだけど、三度目に使われた「麺麭」7号(1933年6月)の広告頁に引きずられてしまったかもしれない。これでは、拙著の続編を準備しなければならないと思う。刺激を下さったゆまに書房の仕事に感謝したい(有難う)。
 尚、第24巻のエッセイ・解題・関連年表などは外村彰で「青樹はパリの街路樹・マロニエを意味している。フランスの詩なり詩人への憧れを象徴したものだろう」と指摘している。外村さんの『近江の詩人 井上多喜三郎』も良い本だった。重ねて感謝申し上げたい。

第24巻 526頁

第24巻 562頁
詳しくは→
コレクシヨン 都市モダニズム詩誌 監修・和田博文 24 京都のモダニズムI 外村彰編 ゆまに書房
コレクシヨン 都市モダニズム詩誌 監修・和田博文 25 京都のモダニズムII 熊谷昭宏編 ゆまに書房