沿線でマン・レイ展 いろいろ

ヴェネツィアからパドヴァを抜けA13号線を南下。沿線でのマン・レイ展カタログなどをアップしておきたい。まずはヴェネツイア、1990年。


Venezia, Palazzo Fortuny. Man Ray / Cent'anni di libertà 1890-1990. July 7 - August 26, 1990. 28 × 21 cm. 136 pp.

---

 続いて、フェラーラ、1972年。同地は14世紀にエステ家によって整備され、ルネサンス期には文化の中心地、ウィキによれば人口約13万。


Ferrara, Galleria Civica d'Arte Moderna. Man Ray. May 20 -June 25, 1972. 20.8 × 20.8cm. 96 pp.

---

 ラヴェンナ、1987年。A13号線から離れるが、ラヴェンナフェラーラから南東66kmのアドリア海に面した海港都市。古代ローマ時代から中世にかけて繁栄、ウィキによると人口約15万。

Ravenna, Pinacoteca Comunale Ravenna. L'Atelier de Man Ray. June 16 - July 1, 1987. 9.6 × 21cm. 4 pp.

---

 ボローニャ、1989年。(すでに紹介した →

https://manrayist.hateblo.jp/entry/2023/06/12/060000

) ここからA1号線に入りフィレンツェ

Bologna, Galleria Civica Modena. Man Ray L'età della luce. October 29, 1989 - January 7, 1990. 24 × 21 cm. 136 pp.

---

 パルマ、1981年。同地もルートから離れボローニャの西北西87km。古代に起源を有する都市で中世は自治都市、ウィキによれば人口約19万、パルマハムなど美食の都として知られる。


Parma, Universita di Parma, Centro Studi e Archivio ella Comunicazione. Man Ray Fotografia ann '30. April 4 -May 12, 1981.  22.5 × 22.5 cm. 184 pp.

---

 

 小生は快適なデラックスバス(シートピッチ85〜95cm)の窓側で、パチリをするでなし、ぼんやりと道路標識の地名からマン・レイ展の開催を思い出し、イタリアの人たちがどのようにマン・レイを受け入れたのか、ファンになったのか、地図に展覧会の開催地をマークし作品と風土の関係性を考査しなくちゃと、うとうと。原稿になるかしら。

グーグルマップから引用、感謝申し上げます。(丸印など追加)