「赤ナンバーC57消える 曽原健一/石原輝雄」

---

 作鉄氏を誘ってリニア・鉄道館を訪ねたのは、名機C57139に再会したいがため。撮り鉄時代の小生ホームグラウンドは関西線、蒸気機関車の美しさに開眼したのはC57の勇姿だった。名古屋機関区で出会った曾原健一氏と、実家が近かったので交流が深まり、さまざまなアドバイスをいただいた。全日本学生写真連盟の先輩・杉山茂太氏と関西線の蒸気機関車最終牽引旅客列車を弥富駅西や名古屋駅で撮影した折など、曾原氏の計らいで小生も写真とテキストを竹島紀元氏の雑誌「鉄道ジャーナル」に寄稿した。初めて原稿料をもらったのです。嬉しかったですね。

 美しく磨き上げられたC57形139号機、53年ぶりの再会に涙がちょちょぎれる。あの時、デフレクターにひげ(3本)はありませんでした。


鉄道ジャーナル」1970年1月号

87頁 「関西本線から 赤ナンバーC57消える 曽原健一/石原輝雄」2点は小生のパチリ

---

 名古屋駅到着の最終列車「この日のために磨きあげられたボイラが雨にぬれ、ホームの灯ににぶく火かった」。小生、三脚を立てています。

 

[ブログで報告]

SLさよなら運転 →  https://manrayist.hateblo.jp/entry/20141223
赤ナンバーのC57 → https://manrayist.hateblo.jp/entry/20130428