鈴鹿芳康・最終講義


実行委員会の可愛らしいお嬢さん(お顔は自主規制させていただきました。)
京都写真クラブのメンバーでもある、京都造形芸術大学教授・鈴鹿芳康氏の最終講義が午後1時から始まる。暑い日差しの中でも風がありバスを降りると、同じ京都写真クラブのI先生と一緒になった。京都造形芸術大学銀閣寺から白川通りを上がった上終町、瓜生山に沿って幾つかの校舎が連なっている。大階段を上がると学生スタッフが「最終講義」の案内をされていた。会場の直心館は一番奥にあるようで階段が続く、若い学生にはよろしいが、シニア組みには辛い。学内は見晴らしが良く学生も多い---夏休みに入っているのにね。

講義前の鈴鹿

鈴鹿さんは京都に来られて40年(なぜか1972年と云うキーワードが重なる)、教員をされたのは1984年からとの事で、わたしがお会いしたのもその頃だった。街中でのお酒を交えた世間話で、作家の人生観をお聞きしてきた者として、氏の作品世界を客観的な視点で考える糸口を与えられるだろうと、今回の「最終講義」が楽しみだった。現役にも、子供連れのお母さんにも、新幹線に乗って駆けつけてくれた人にも、「元を取らしてあげなくては」と云う講演は、12枚ものレジメを下に進むはずだったが、脱線、後戻りが織りなす鈴鹿ワールドに入り込み、ビデオ・レター(小名木陽一、松本俊夫)も挟んでの興味が途切れない構成となった。実行委員会が調整しなければ、3時間、4時間へと終わりなくお話が続いただろうと思われる。氏の経歴については、ウエッブ・サイトに詳しいので、ここでは触れないが、宗教者との交流も多い氏は「慈愛・自足・不戦」からなる大切な3項を語られた---若い時にエネルギッシュであったからこそ、この心境となったのだろうね。バランスが寛容だけど、コレクターのわたしには「自足」の心が必要だと思った。京都造形芸術大学の定年は65歳との事で、さらに氏は「隠居」の思想も語って「江戸時代では30ぐらいから隠居したし、隠居する年は自分で決める」とし伊能忠敬松尾芭蕉をあげられた。書道との関わりやエコロジーの面白いエピソードもあり、加島祥造から「道(タオ)」→「陰陽五行」→「易」へと講義は続きそうだが時間ぎれ、鈴鹿氏は「般若心経」を唱えられて最終講義をしめくくられた。
 「隠居」の後の仕事こそ、自由で開かれたもので心技体の宇宙的拡がりの中で作品は作り続けられるだろう。ご自宅の三部屋にうずたかく積まれた資料や作品---「ゴミのようなものでも捨てたくはないけど、僕が死んでしまったら、本当のゴミになってしまう。エネルギーがいるけど、10分の一にはしたいんだ」と語られた。氏と同じように京都へ移り住んで40年のわたしも、そろそろ「隠居」の身「慈愛・自足・不戦」を会得して、後半戦に備えよう。充実した2時間だった。

現役代表で花束を贈るK嬢

記念写真撮影に集まる参加者の皆さん。

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カフェ「猫町」で世間話をした後の皆さん。
二次会までに時間があったので、友人たちと生ビールを幾杯かいただく。「マン・レイのパリ、1972年」の準備状況を報告したり、ニューヨークのマイノリテイー文化、性的嗜好の変遷について、身振り手振りの雑談となった。鈴鹿氏が講義で落とし紙や縄を使ったエコロジーからウォッシュレットへと話題を展開されたので、タナトス論議があふれてしまったのだろうね。面白かった。

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 さて、二次会は大学近くのA WOMBを会場に5時30分から始まった。鈴鹿氏は若い女性たちに囲まれて終始和やかな様子。氏の人柄が若い感性に良い影響を与えてきたのだろうね---いろいろな組織を立ち上げてきたディレクションの達人は笑顔のひとだった訳。美味しい料理をつまんで赤ワインを中心にいただく。現役代表で花束を贈られたK嬢が近くに居たので、一言三言世間話。彼女の専攻は油彩と聞いたが作品はルシアン・フロイド風との事、こうした美しく知的な女性がアート・マーケットに出て行くのだと思った。I先生はルッカのチャオ友路線をねらわれたのだけど、わたしのGRには顔認識センサーが付いていないので、ピントが合わないままとなってしまった。京都写真クラブの仲間たちが彼女のファンクラブを作りそうな勢いで「作品と作者の風貌は一致する」と考えるわたしとしては、早く作品を拝見したいと思った。どこかのアート・フェアーで新進作家しとて売り出されたK嬢と、いずれお会いするだろう。----その時にはあらためて報告いたします。

二次会会場のA WOMB

サイン入りポスター争奪ジャンケン大会、三回戦敗退でした。


西海岸派とシカゴ派のビンテージ・ブーツ談義、「Jastinが良いよね」

パーティ一番人気のK嬢(お顔は自主規制させていただきました。)

熱い口づけに悲鳴をあげる鈴鹿芳康

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 鈴鹿教授の古い教え子で、染色から写真に転向しプロになってしまった高橋嬢が熱い口づけを迫る。もちろん証拠写真家にならせていただいた。人の人生を変えさせる「表現世界」の拡がりと自由、明るさと楽しみを感じた一瞬だった。艶やかな着物姿の女性が、帯もキリリと迫るなんて、楽しいかぎり。
 その後、四条河原町まで移動し三次会の生ビール。サッカー男子チームが1-0で優勢、教育談義やらカメラ談義やらがはずみ、暑い中、焼きそばを食しながらの楽しい世間話。楽しかった。