『書斎の漂流物』最終回


京都平安神宮近くのお宅

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夜野悠氏が「ときの忘れもの」のブログで連載された『書斎の漂流物』が本日の第12回「「書斎」も漂流する―知の方舟とles epave(漂着物)」で最終アップとなった。終わってしまうのは残念であるが、当初の約束であり、受け入れなければならない。でも、別のテーマか、形式を使い、改めてブログに発表していただきたいと切に願う読者は、わたしだけではないと思う。
 初回から興味深く拝読。氏が「知の狩人」の自分史を、折々の書物や作品、出来事を語り部として読者に開陳してくれたおかげで、隣接したフィールドを生きてきた小生にとっても、時代や土地の記憶につながって、「わたしの日記」を読むような臨場感に満たされた。今回冒頭のテーゼ「書物が言葉を運ぶ方舟ならば、書斎もまた書物を運ぶひとつの方舟である。」からして、これまでの連載が入れ子構造のパーツであったと気づかされる仕組みで、書斎が京都の地に流れ着いた理由を読み取るのも可能であるだろう。ここにわたしが居るからと云うのは、兄弟愛のようなものだけど、「知」の地形が流れ着くよう準備されていたと思う。京都平安神宮近くで深みを増す第三期黄金時代(?)の書斎を、能舞台に変えようとする精神の状態に夜野氏が至った。---これもまた、興味深い。
 最終回では特に写真に付されたコメントが秀悦だった。聞けば氏は「「引用」だけの書物をつくりたい」との事、写真と引用が並行して進む構造は、良い効果になったと思う。それにまた、アンドレ・ブルトン瀧口修造の書斎の終焉から「一般の市井人の書斎などあっけない。蒐集した書物や作品も実は所有しているようで所有していないのだ。人生が時間を借りているように、所有物も生きている間、借りているに過ぎない。」と吐露しながら、「手を伸ばし、二重三重になって書棚の背後に隠れた本を入れ替えたり手入れ」されている氏の日々は、終活要請に伴う書斎の崩落を受け入れた小生からすれば、羨ましい限り。本が少ない方が心が落ち着くのは、体力と知力が衰えた為めなのだから、情けない。

 海岸に打ち寄せる波に氏の「書斎」が引き戻され、手がかりをなくしてしま事がないよう、早い段階で「ときの忘れもの」のブログを再開され、氏との会話が続けられますよう、切に願う。


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