マルキ・ド・サドへの旅


 12月2日はサドの祥月命日。夜の10時に亡なくなったというから、時差を考慮すると日本では3日の朝6時。シャラントン精神病院、1814年の事である。サドはマン・レイの精神的師匠であり、小生も強く惹かれてきた。若い頃は澁澤龍彦訳で多く読んだ。後にマン・レイよる油彩『サド侯爵の想像的肖像』を知って彼の敬愛を受け取った。油彩の下部には遺言からの一節が書き込まれている「…… 余の墓の跡が地表から見えなくるようにしてほしい。人々の心から余の記憶が消し去られることを願うが故に」(マン・レイの墓がそのようになってきたのは暗示的である)

 サドが亡くなって145年目の命日の日にシュルレアリストたちがジョイス・マンスールアバルトマンで『サド侯爵の遺言執行式』を催した。その1959年12月2日22時からの式の招待状現物を昨日、市内某所で拝見した。エフェメラ好きにはこたえられない代物だった。日本の京都でサドの死と対面できるとは、「肉筆の原稿や書簡」もあり狂喜乱舞。展覧会は来年2月4日(日)まで、完全予約制で開催される。